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第70話:深淵の監視者

 アリーナを揺るがす数万人の大喝采。その中心でスポットライトを浴びながら、レイは隣に立つ二人の手の温もりを感じていた。

 勝利のシャンパンゴールドの紙吹雪が舞い散る中、大型モニターには「TR IS A CHAMPIN」の文字が誇らしげに躍っている。しかし、その輝かしい光景とは対照的に、レイの脳裏には、先ほどまでの「全知の静寂」が冷たい澱のように残っていた。


「……レイちゃん、見て! 私たちの名前が一番上にあるよ!」

 ねねが興奮で顔を紅潮させながら観客に応える。その天真爛漫な姿に救われながらも、レイはふと、自分たちを射抜くような冷徹な視線を感じて立ち止まった。


 観客席の最前列。

 敗退したはずのValkyrieのリーダー、ヨハンがいた。彼は拍手もせず、ただ無機質なレンズのような瞳でレイを見つめていた。それは敗北を認めた者の目ではない。まるで、剥製にする標本の価値を測るような、冷酷な観察。


「……レイ」

 背後から、低い声でほむらが呼んだ。「あんたも気づいてるでしょ。あのヨハンの目……あれは終わった人間の目じゃないわ」


「――各選手、速やかにバックステージへ。最終第3マッチ、開始まで残り30分です!」


 無機質なアナウンスが響き渡り、会場の空気が一変した。勝利の余韻に浸る暇すら与えない、非情なタイムスケジュール。観客のボルテージはさらに跳ね上がるが、プレイヤーたちに与えられたのは、わずかな休息と、極限の緊張感だけだった。


 三人がバックステージへ駆け込むと、そこには壁に背を預け、厳しい表情で時計を見つめる葉月がいた。


「……葉月さん」

「ああ。……いいツラだな。だが、浮かれてる暇はねえぞ」

 葉月の声は、いつもより低く、重かった。


「第3マッチ――最終決戦の舞台は『廃都バビロン』だ。視界と音響がこれまでのフィールド以上に複雑に設計されている。ヨハンはそこで、お前を完全に『引きずり出す』つもりだ」


 レイは、自分の指先が再び冷たくなっていくのを感じた。ヨハンを追い詰めた瞬間に感じた、あの異常な没入感。仲間の声さえ邪魔だと感じ、戦場の全てが記号化したあの感覚。


「レイ。お前が今日、OUKAになりかけて踏みとどまったのは、こいつらがいたからだ。……だが、忘れるな。ヨハンはあえて敗北を受け入れることで、お前の中にある『OUKA』を覚醒させるための鍵を手に入れた」


 ほむらが眉を潜める。「どういうこと? あいつは勝つつもりで戦ってたはずよ」


「勝敗の先だ。……あいつは、自分と同じ『全知』の高みに登れる人間をずっと探していた。そして数十分前の戦いで、レイの中にその資質を確信したんだよ」

 葉月の言葉に、室内の温度が数度下がったような錯覚に陥る。


「……一人のほうが、効率がいい。……もしレイちゃんがまた、そう思っちゃったら……」

 ねねが不安げに呟く。その言葉は、先ほど自爆してまでレイを呼び戻した二人の、切実な恐怖でもあった。


「……させないわよ。一度『爆破』して連れ戻したんだもの。何度だってやってやるわ」

 ほむらがレイの背中を強く叩いた。その衝撃で、レイの視界を覆いかけていた冷たい霧が少しだけ晴れる。


 通路の向こう側から、ゆっくりとした足音が聞こえてきた。

 ヨハンだ。次戦への準備を終えた彼は、三人の前で足を止め、レイの瞳をじっと覗き込んだ。


「……Trinity Raid。……君たちが今日見せた不合理な『自爆』。あれはデータ上、最も醜悪なエラーだった。……だが、同時に最も美しい不確定要素でもあった」

 ヨハンは、微かに笑みを浮かべた。

「レイ。この後、君がその不純物なかまを切り捨てるのか、それとも共に沈むのか。……第3マッチ、君が本当の『OUKA』を超える瞬間を楽しみにしているよ」


 ヨハンはそれだけを言い残し、最終決戦の待機室へと消えていった。


「――Day1 最終マッチ、エントリー開始まで残り10分」

 カウントダウンの声が非情に響く。

 

 かつての伝説が逃げ出した世界。

 ヨハンが待ち構える、廃都バビロン。

 

 レイは震える手でマウスの感覚を確かめ、拳を握りしめた。

 休息はない。物語は、本当の「怪物」との最終決戦に向けて、息つく暇もなく加速する。

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