第67話:泥濘(ぬかるみ)の凱歌
「――信じられん、何が起きた! 勝利目前のTrinity Raid、味方同士の誤爆か!? ほむら、ねねの両名がダウン状態! 立ち尽くすレイの前には、漁夫の利を狙うハイエナたちが殺到しているッ!!」
実況ジャックの絶叫が、アリーナの空気を焦燥で塗り潰す。
レイの視界からは、先ほどまでの透き通った「全知の風景」が完全に消失していた。代わりに飛び込んできたのは、爆辞によって巻き上がった土煙と、耳を刺すようなアラート音。そして、地面に伏し、血を流している二人の仲間の姿だった。
「……っ、ああ…………」
レイは、自分が何をしようとしていたのかを思い出し、喉の奥がせり上がるような戦慄を覚えた。勝利という効率のために、自分はこの二人を「道具」として消費しようとしていた。
「レイ……ぼーっと、してんじゃないわよ……!」
ほむらのキャラクターが、体力のバーをミリ単位で残しながら、這いずるようにレイの足元へ近寄る。
「あんたが……自分を捨ててまで勝とうっていうなら、私はそんな勝利、いらない……! 私たちを助けなさい。……この泥臭い戦場から、私たちを連れて帰るのよ!」
その声は、システムのノイズなどではなかった。ほむらの魂が、レイの心に直接叩きつけた「拒絶」であり「信頼」だった。
「わ、わかったもん! レイちゃん、ねね、まだ死にたくないもん!」
ねねの声に弾かれたように、レイの指が動いた。
未来はもう聞こえない。敵がどこから出るかも、何秒後に弾丸が届くかも分からない。
ただ、敵の銃口がこちらを向く「予感」だけがある。それは全知の力などではない、葉月に叩き込まれた、泥臭い「経験」と「執念」の結晶だった。
「……煙幕、展開!」
レイは手持ちの全スモーク弾を自らの足元に叩きつけた。周囲が真っ白な壁に覆われる。
「ねねちゃん、ほむらちゃん……起こすよ!」
霧の中で、レイは交互に二人の蘇生ボタンを押し続ける。
スモークの外側からは、敵チームの弾丸が容赦なく撃ち込まれていた。パツン、パツンと、スモークを透過して弾丸がレイのアーマーを削る。
コーチ席の葉月は、座席の手すりを指が食い込むほど握りしめていた。
(……そうだ。それでいい、レイ。計算なんて捨てちまえ。合理的に考えれば、そこは見捨てて一人で逃げるのが正解だ。だが……お前たちが選ぶのは、そんな安い正解じゃないはずだ!)
蘇生完了まで、あと二秒。
スモークの境界線を突き破り、敵のアタッカーが突入してくる。
「見つけたぞ、死神の残党が!」
敵の銃口が、無防備なレイの頭部を捉えた。
――その瞬間。
「……残念だったわね。……死神の鎌は、折れてないわよ」
蘇生が完了した瞬間のコンマ一秒、ほむらが寝た状態のまま、予備のハンドガンを敵の眉間に叩き込んだ。
――パン、パンッ!
「……っ、ナイスだもん! お返しだもん!!」
続いて立ち上がったねねが、近距離からショットガンをゼロ距離でぶっ放す。
突入してきた敵を返り討ちにし、三人はスモークの中で再び背中を合わせた。
「――奇跡だ!! 壊滅状態から、Trinity Raidが再び立ち上がった!! レイ選手が二人を繋ぎ止め、そして三人の『不協和音』が、完璧な包囲網を内側から爆砕したあああ!!」
レイは、流れる汗を拭う暇もなく、マウスを握り直した。
さっきまでの無機質な感覚はない。心臓は早鐘のように打ち、指先は熱い。
隣には、自分を叱ってくれる仲間がいる。
「……行こう。……今度は、三人で」
レイの瞳に、かつてのOUKAが持っていた絶望の光はない。
そこにあるのは、未完成で、不確実で、だからこそ何よりも強い、新生Trinity Raidの輝きだった。
森を抜ける最後の一歩。
かつてこの世界から逃げ出した葉月が、ついに目にすることのなかった「逃げなかった者たち」の凱歌が、ロンドンの森に響き渡ろうとしていた。




