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第66話:逃亡者の悔恨

「――壊滅! 『Iron Wolf』、そして『Blue Fang』までもが全滅! Trinity Raid、たった三人でこの森の包囲網を食い破りました!」

 実況席のジャックは絶叫しているが、会場の空気はどこか異様だった。あまりにも理不尽なまでの「予知」。レイの動きは、卓越した技術という枠を超え、神懸かり的な――あるいは薄気味悪いほどの正確さを帯びていた。


 コーチ席の葉月は、震える手で顔を覆った。指の隙間から見えるレイは、虚空を見つめながら機械的にマウスを動かしている。


(……やめろ。それ以上、その音を聞き続けるな、レイ)


 葉月にとって、かつての「OUKA」としての栄光は、今や忌まわしい記憶でしかない。

 あの日、彼は頂点にいた。すべてが聞こえ、すべてが見え、敵の弾丸が自分を避けていくような全能感。だがその代償として、隣で笑っていたはずの仲間の顔が「ただの数値」に見え、彼らの作戦提案が戦場のノイズとして脳を焼き切ろうとした。


 自分を人間として繋ぎ止めていた感情が、勝利のための計算に上書きされていく恐怖。

 彼は最強のまま、すべてを捨てて、この世界から「逃げ出した」のだ。

 戦うことから、仲間から、そして自分を怪物に変えた「音」から。

 だが今、自分が育てた少女が、かつて自分が命からがら逃げ出した「地獄の入り口」を、無防備に踏み抜こうとしている。


「……ねね、左。……ほむら、後ろ。……そこ、重なるから、一発で抜ける」

 レイの声には、もはや勝利への渇望すら宿っていない。ただ、流れてくる情報を処理し続ける、温度のない機械の響き。


「……レイ! もういいわ、あとは私たちがやるから!」

 ほむらが叫びながら、レイのキャラクターの前に無理やり割り込み、視界を遮るように動く。

 ほむらの目には、レイの背中がどんどん遠ざかっていくように見えていた。同じ防音ブースに座り、肩を並べて同じモニターを見ているはずなのに、レイだけが自分たちの手の届かない、暗く冷たい「情報の深淵」へと沈んでいく。


(……この子は今、私を見ていない。私たちの向こう側にある『システム』だけを見ている……)


 ほむらは、コーチ席で凍りついている葉月と一瞬視線が交差した。

 葉月の瞳にあるのは、教え子の成長を喜ぶ師の顔ではない。

 自分の過ちが、最悪の形で繰り返されていることを突きつけられた、臆病な逃亡者の顔だった。


「――ジャック! Trinity Raid、安全地帯の中心へ向けて進軍を開始! しかし……エースのレイ選手の様子がどこかおかしいか? 仲間の制止を無視するように、ただ淡々と、最短ルートの敵を排除し続けています!」


 霧が晴れ始めた森の出口。レイが銃口を向けた先には、第2マッチ最後の生き残りたちが待っていた。

 だが、今のレイにとって、それは「倒すべき強敵」ではない。

 ただ消去されるべき、不規則で不快な音の塊。


 葉月は、マイクのスイッチに指をかけた。ルール違反で失格になるかもしれない。だが、このままではレイの心が、かつての自分と同じように――「逃げる」ことすらできない場所へ行ってしまう。


「――レイ、戻ってこい、そっちは……」

 葉月の祈るような呟きは届かない。レイのキャラクターは、吸い寄せられるように安置の中心へと進む。その銃口は、岩影から顔を出そうとした敵の額を、0.1秒の狂いもなく正確に追撃し続けていた。


もはやこれは、協力プレイではない。レイという絶対的な「正解」に、二人が無理やり追従させられている独裁的な行軍。


「……ねね」

 ほむらが低く、しかし硬い声で呼んだ。

「なんだもん……。ほむらちゃん、レイちゃんがなんだか怖いもん。呼んでも、全然こっちを見てくれないんだもん」

 ねねの指先も震えている。レイから発せられる、人間味を削ぎ落とした「効率」の波動に、チームの絆が内側から軋み、悲鳴を上げていた。


このまま勝てる。ヨハンを、ヴィクターを、世界を、レイならこのまま「消去」できるだろう。

 ――けれど、その先に残るのは、かつてのOUKAがそうであったように、誰もいなくなった荒野で独り立ち尽くす「機械」としてのレイだけだ。


「……ねね、私の言うことを聞いて。レイを、一度『こちら側』へ引き戻すわよ」

「引き戻すって、どうやって……?」

「この不快な全知の旋律を、私たちの音で『破壊』するの。――全火力を、自分たちに叩き込むわ」


 ねねが息を呑む。ほむらの意図を察し、その瞳に覚悟の火が灯った。

「……わかったもん。レイちゃんを一人ぼっちになんて、させないもん!」


 その瞬間だった。

 レイの耳元で、これまで聞いたこともない「最大のノイズ」が爆発した。


 ほむらがピンを抜いた破片手榴弾を、自らの足元へ。

 それに合わせるように、ねねが至近距離でドラム式ショットガンを全弾、ほむらと自分に向けて叩き込んだ。


 ――ドォォォォォン!!!


「――な、なんだあああ!? Trinity Raid、痛恨の自爆!? 連携ミスか!? ほむら選手とねね選手、二人が同時にダウン! エースのレイが一人、敵のど真ん中に取り残されたああああ!」


 ジャックの絶叫がアリーナを裂く。

 レイの脳内に流れていた、冷徹で美しい未来の旋律が、凄まじい爆発音と「味方の悲鳴」によってズタズタに切り裂かれた。


「…………っ、ねねちゃん!? ほむらちゃん!?」


 レイの焦点が、ようやくモニターに戻る。

 視界の端で、膝をつき、今にも力尽きようとしている仲間のアイコンが激しく点滅している。

 聞こえてきたのは、サーバーの演算周期でも、未来の足音でもない。


「……ったく、耳が痛いわ……。……レイ、あんた……今、私の顔が見えてる?」

 ヘッドセット越しに届いた、ほむらの皮肉めいた、けれど確かな「体温」のある声。


「レイちゃん! 一人は嫌だもん! 助けてほしいもん!」

 ねねの、必死に生にしがみつこうとする叫び。


「あ…………」

 レイの視界から、赤黒いノイズが消えていく。

 全知の風景は消え去り、そこには「敵に囲まれ、仲間が虫の息」という、絶望的で、しかしどうしようもなく愛おしい、たった一度きりの現実が広がっていた。


 コーチ席の葉月は、その光景を呆然と見つめ、やがて力なく座席に深く沈み込んだ。

「……馬鹿野郎が。……最高の、チームだな」


 自爆という名の、命がけの不協和音。

 それが、深淵へ堕ちかけていた死神の袖を、現実へと引き戻した。

 

 レイは、震える手でマウスを握り直す。

 未来なんて聞こえなくていい。

 今、隣で喘いでいる仲間の「音」だけを信じて、レイは初めて自らの意志で、戦場の引き金に指をかけた。

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