第64話:静寂の代償
「――落ちたあああああ!! ヨハン脱落! あの『氷の狙撃手』が、霧の中での超近接戦闘で競り負けた! 倒したのは、Trinity Raidのエース、レイだあああ!!」
ジャックの絶叫がアリーナの空気を震わせ、観客たちは総立ちとなって拳を突き出した。
『……信じられません。デジタルな音響情報をあえて捨て、現実の感覚を同期させたというのですか? 常識では考えられない暴挙……。しかし、その「野生の勘」が、ヨハンの精密な計算を完全に上書きしました!』
だが、勝利の余韻に浸る時間は、一秒たりとも残されてはいなかった。
「……ねね、ほむらちゃん! まだ終わってない! すぐに遮蔽へ!」
レイの叫びが防音ブース内に響く。
ヨハンが最期に遺した「呪い」――彼が霧の中へ誘い込んだ複数のチームが、ヨハンの消失と同時に、その銃口を一斉にTrinity Raidへと向けたのだ。
――バラバラバラ!!
霧を切り裂き、四方八方から銃弾の雨が降り注ぐ。
「うわあああ! めちゃくちゃ撃たれてるもん! どこを見ても敵だらけだもん!」
ねねが負傷した体を引きずりながら、巨木の根元に滑り込む。ヨハンとの激闘でアーマーはすでに紙同然。一発でも掠めれば、そのまま脱落という極限状態。
「……位置が最悪ね。ヨハンは死に際、私たちをこの『袋小路』に完全に固定していったわ」
ほむらが舌打ちをしながら、木陰から牽制射撃を放つ。だが、霧に紛れて接近してくる敵の数は、Trinity Raidのリソースを遥かに上回っていた。
レイの視界が、再び激しく明滅する。
ヨハンを倒すために感覚を限界まで引き絞り、さらに片耳のヘッドセットを外して「生音」を脳に叩き込んだ代償。平衡感覚が狂い、キャラクターの視点が勝手に上を向こうとする。
(……まずい。……脳が、拒絶してる……)
コーチ席の葉月は、その様子を見て唇を噛んだ。
(……レイ、耐えろ。あいつ(ヨハン)はお前の感覚を壊すことまで計算に入れていた。……だが、お前にはまだ、頼れる『翼』があるはずだ)
その時、霧の向こうから、重厚なエンジン音が聞こえてきた。
「――ジャック! 新たな乱入者です! 南から『Iron Wolf』、北からは『Blue Fang』! 第1マッチで煮え湯を飲まされた連中が、Trinity Raidの窮地を嗅ぎつけて集まってきた!」
全方位包囲。逃げ場なし。
絶体絶命の瞬間、レイの手がふっと軽くなった。
「……レイちゃん、もう休んでいいもん。あとは、ねねとほむらちゃんで道をこじ開けるもん!」
ねねが、予備のショットガンを両手に持ち替えた。
「……ええ。情報の処理は私たちが代わりにする。レイ、あなたはただ、私たちの『背中』だけを見ていて」
二人のキャラクターが、レイを守るように前に出る。
これまでレイの「音」に導かれてきた二人が、今度は自らの「意志」で、傷ついた死神の盾になろうとしていた。
激しい銃声の中、ほむらはスコープを覗きながら、隣で荒い息を吐くレイを視界の端に捉えた。
レイは今、感覚のオーバーロードでまともに画面が見えていないはずだ。それなのに、レイのキャラクターは、時折「あり得ない方向」へ微かに銃口を向けている。
それは、今現在敵がいる場所ではない。
これから敵が来る場所でもない。
まるで、このゲームのプログラムそのものが、次に「音」を鳴らす場所を予知しているかのような、不気味な精密さ。
(……何、今の。……レイ、あなた何を『聞いて』いるの?)
ほむらの背筋に、ヨハンの時とは違う、もっと根源的な「寒気」が走った。
ヨハンを倒したあの瞬間、レイの中で何かが「壊れた」のか、あるいは「覚醒」したのか。
自分たちが守ろうとしている少女が、一瞬、全く知らない「何か」に見えた。
「……レイ……?」
ほむらの呼びかけは、接近する『Iron Wolf』の重機関銃の轟音にかき消された。
「――さあ、ここからが本当の地獄だ! 満身創痍のTrinity Raid、この包囲網を突破する術はあるのか!?」
霧の中に、再び銃声が猛り狂う。
それは、勝利への凱歌ではなく、生への執念が奏でる、激しい不協和音だった。




