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第59話:冷徹な祝杯

 巨大モニターに踊る「Valkyrie THE CHAMPION」の黄金文字。

 アリーナを包むのは、熱狂というよりも、あまりにも鮮やかすぎる幕引きへの困惑と、それを上書きするような戦慄の混じった咆哮だった。


「…………嘘、でしょ」

 防音ブースの中、ねねが掠れた声で呟いた。

 モニターの中、自分たちの死体の上に立っているのは、返り血一つ浴びていないヨハンのキャラクターだ。彼は死体を漁ることすらしない。ただ、夕日に染まる時計塔の上で、次の獲物を探すように銃身を静かに撫でていた。


 レイは、マウスを握った右手の震えが止まらない。

 あと一瞬。あとコンマ一秒あれば、自分の指先はヴィクターの胸元を貫いていたはずだった。だが、その「正解」に手が届こうとした瞬間、全く別の場所から放たれた弾丸が、自分たちの物語を強制終了させた。


「……気づかなかった」

 レイの瞳が、恐怖に似た驚愕で揺れる。

「あの乱戦の音、20チームが入り乱れる爆音の中で……この人の銃声だけ、一度も聞こえなかった」

「当然よ。……彼は一度も撃っていなかったんだから」

 ほむらが、苦々しく吐き捨てるように言った。

「ログを遡ったわ。チーム『Valkyrie』。第1マッチにおけるチーム総発砲数、わずか『2発』。……その2発で、世界王者と、死地を潜り抜けた私たちを同時に仕留めた。……計算し尽くされた、あまりにも非効率で……完璧な効率主義」


 ブースの背後。コーチ席の葉月は、座席の肘掛けを握りつぶさんばかりの力で固めていた。

 キャップの鍔で顔を隠しているが、その下で剥き出しになった歯茎から血が滲むほど唇を噛んでいる。

(……ヨハン。スウェーデンから移籍してきて早々に日本代表のエースをかっさらった男。貴様、最初からこれだけを狙って、俺たちの『音』を、ヴィクターの『論理』を、戦場全体の『カオス』を……観客席から眺めるように観察していたのか)


 それは、葉月が教えた「泥臭いアナログ」とは対極にある、北欧の寒風のような冷徹な捕食者の戦いだった。


 通路へ続くドアが開き、大会スタッフが退場を促す。

 レイたちは重い足取りでステージを降りた。観客席からは、未だに「ヨハン!」と「死神!」を呼ぶ声が入り混じっている。

 その通路の角、影になった場所に、その男は立っていた。


 日本代表『Valkyrie』のエース、ヨハン。

 白を基調とした洗練されたユニフォーム。眼鏡の奥にある瞳は、たった今世界を驚かせたばかりだというのに、まるで凍てついた北海のように無機質だった。


「……あんなに騒々しく立ち回って、最後は僕に捧げるなんて。……滑稽な死神ゴーストだね、君たちは」

 ヨハンの静かな声が、通路の壁に反響した。完璧な日本語だが、その響きにはどことなく無機質な、翻訳機のような冷たさが混じっている。


「……なっ、何だもん! せっかくレイちゃんが頑張ったのに、横から盗んだだけじゃないか!」

 ねねが顔を真っ赤にして詰め寄ろうとするが、ヨハンは視線すら合わせない。


「盗む? 心外だな。僕は『最も美しいタイミング』で、無駄なノイズを消し去っただけだ。……葉月さん、あなたの教えは相変わらず泥臭い。戦場をオーケストラに例えるなら、今の彼女たちはただの不協和音だ」


 ヨハンは、一歩前に出た葉月の胸元を指差し、冷笑を浮かべた。

「スウェーデン(故郷)の森では、無駄な音を立てる獲物から順に死んでいく。……次は、弾倉を投げる暇なんて与えない。……その『超感覚』とやらが、死の無音サイレンスにどこまで耐えられるか、楽しみにしてるよ」


 ヨハンが去った後、通路には重苦しい沈黙が残された。

 レイは、自分の胸元を強く握りしめる。

 王者の背中は見えた。だが、その背後に潜んでいた、さらに底冷えするような闇。


「……コーチ」

 レイが前を向く。その瞳から、先程までの動揺は消え、かつてないほど鋭い殺意が宿っていた。

「あいつの銃声……次は絶対に、私が見つけてみせる。……『音』のない弾丸なんて、この世に存在しないんだから」


 葉月は無言で、レイの肩に手を置いた。

 第1マッチ、チャンピオン奪取ならず。

 だが、Trinity Raidの心には、王者への対抗心とは別の、燃えるような「復讐」の火が灯っていた。


 日本代表のエースとして君臨する、北欧からの狙撃手。

 ヨハンが投げた冷徹な祝杯は、ロンドン大会がさらなる修羅場へと突き進むための、血塗られた招待状だった。

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