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第60話:無音の残響

 第1マッチ終了後のインターバル。アリーナの熱気は冷めるどころか、ロビーやSNS、配信のチャット欄を異常な速度で駆け巡っていた。

 世界王者『Black Lotus』を文字通り「死の淵」まで追い詰めた日本の新人チーム。そして、その全てを嘲笑うかのように一弾で奪い去った、もう一つの日本代表『Valkyrie』のエース、ヨハン。


「……信じられないもん。あいつ、あんなに近くにいたのに、全然気づかなかった。ねねの耳、バカになっちゃったのかな」

 バックヤードの選手控室。ねねはソファに深く沈み込み、自分の耳を塞ぐようにヘッドセットをいじっていた。

「……あなたの耳のせいじゃないわ。物理的な音が発生した瞬間には、すでに弾丸が着弾していたのよ」

 ほむらが、タブレットに表示されたリプレイ映像を指先でなぞる。

「見て。ヨハンの放った弾丸の速度、そして時計塔からの距離。銃声が空気中を伝わって私たちの耳に届くよりも、弾丸が脳を貫く方が早かった。……物理法則ロジックに従えば、音で回避することは不可能な『死の無音』よ」


 レイは、冷えたペットボトルを頬に押し当て、一点を見つめていた。

 目を閉じると、今でも「あの瞬間」が再生される。ヴィクターの胸元に銃口を向け、勝利の確信に手が触れた、あの熱。そこを冷徹に貫いた、凍りつくような大口径弾の感触。


「……北欧の森、か」

 レイがポツリと呟いた。

 ヨハンが言った言葉。スウェーデンの過酷な冬、動けば雪の音が鳴り、呼吸をすれば白煙が位置を知らせる。そんな極限の静寂で育った彼にとって、レイたちが作り出した「混沌(オーケストラ)」は、単なる騒がしい標的に過ぎなかったのだ。


 ガチャリ、とドアが開いた。

 入ってきたのは、コーチの葉月だった。彼はキャップを脱ぎ、乱れた髪を乱暴にかき上げると、三人の前に立った。

 その顔に、落胆の色はない。だが、かつてないほどの緊張感が、その全身から漂っていた。


「……レイ。ヨハンをどう見た」

「……怖い、と思った。ヴィクターとは違う怖さ。……あいつは、戦っているんじゃなくて、作業をしているみたいだった。一番効率のいい方法で、命を消す作業を」

「正解だ。あいつは感情で動かない。マキナの『論理』ですら、ヨハンにとっては計算式の一部に過ぎないんだ。……かつてスウェーデンのプロリーグを一人で壊滅させ、日本代表に高額で引き抜かれた『氷の狙撃手』。……あいつは、お前たちが一番苦手なタイプだ」


 葉月は壁に手をつき、低い声で続けた。

「お前たちの『超感覚』は、周囲の音を増幅して情報を得る。だが、ヨハンのように『音を出さない』ことを極めた奴に対しては、その感覚が逆に牙を剥く。存在しない音を探して、脳が勝手にノイズを作り出し、自壊するんだ」


「じゃあ……どうすればいいんだもん! 音がしないなら、聞こえないもん!」

 ねねが立ち上がる。

 葉月は静かに、自分の胸に手を当てた。

「音を聞くんじゃない。……『静寂の歪み』を感じろ」


「……静寂の、歪み?」

 レイが顔を上げる。

「あいつがそこにいるなら、そこだけは音が『消えている』はずだ。風の吹き抜け方、草の揺れ、他のチームの警戒する向き……ヨハンという空白が、戦場に落としている影を見つけろ。……暗闇で俺が教えたことを思い出せ。石を投げられた音を聞くんじゃない。石を投げようとする奴の『気配』で、空気が震えるのを感じるんだ」


 第2マッチの開始を告げるアナウンスが、廊下に鳴り響く。

 三人は立ち上がった。

 次はもう、奇襲は通じない。世界中のチームがTrinity Raidを警戒し、ヨハンの銃口が彼女たちの頭部を再びロックしている。


「……次は、外さない」

 レイが、マウスを握る右手の感覚を確かめるように拳を握った。

「あいつが音を消すなら、私はその静寂ごと、あいつを撃ち抜く」


 控室を出る三人の背中に、葉月はかつての自分たちが追い求めた「究極のアナログ」の姿を重ねていた。

 ロンドンのアリーナに、再び20チームの戦士たちが集う。

 

 第2マッチ。舞台は市街地から、遮蔽物の少ない広大な「森林地帯」へと移る。

 北欧の森で育ったヨハンにとっての「庭」で、死神たちの真の逆襲が始まろうとしていた。

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