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第56話:包囲網(ターゲット・ロック)

 ロンドンのアリーナに、一瞬の、だが重苦しい静寂が降り積もる。

 巨大モニターに映し出されたキルログは、依然としてその衝撃の余韻を世界中に撒き散らしていた。世界王者、ヴィクターが地に伏した。その事実は、このマッチに参加している全20チーム――総勢60名の「脳」を瞬時に書き換えた。


「――ジャック、これを見てください。全20チームの動きが明らかに変わった」

 実況席のキースが、戦況マップを指して声を潜める。

「北の稜線に陣取っていた強豪『Iron Wolf』、東の給水塔を確保していた『Blue Fang』……。通常ならこの段階で20チームがひしめき合えば、あちこちで小競り合いが起きるはずです。ですが今、全チームが互いに射線を通せる位置にありながら、一発も撃ち合っていない。彼らの銃口はすべて、中央の廃墟――Trinity Raidが潜むあの小さな家屋に集中しています!」


『……恐ろしい光景だ。本来なら漁夫の利を狙い合うはずのライバルたちが、今は沈黙の合意を形成している。「あのアマチュアの死神たちを、この戦場から今すぐ排除しろ」という、本能的な防衛反応ですよ。20チームという過密な状況が、皮肉にも彼女たちを逃げ場のない檻に閉じ込めている』


 防音ガラスの向こう側。

 レイの耳には、実況の分析など届かない。だが、彼女の神経は、アリーナの空気が「粘質」に変化したことを敏感に察知していた。


「……レイ。これ、おかしいわ」

 ほむらがボルトアクション式の狙撃銃のボルトを引き、一発の弾丸を排出した。チャリン、という乾いた金属音が静かなブース内に響く。

「12時方向の丘の上だけじゃない。……周囲の岩陰、廃ビルの2階、あらゆる場所からスコープの反射光が見える。……20チーム分の『視線』が、この小さな家に突き刺さっているわ」


「ねね、わかるもん。……これ、いじめだもん! 全方位から狙われてる気配がして、背中がゾワゾワして、毛穴が全部開いちゃうもん!」

 ねねが汗ばんだ手で、近距離用の自動散弾銃フルオートショットガンを握りしめる。彼女の「超感覚」は、アリーナに満ちた数万人の観衆の熱狂と、19チームが放つ物理的な殺意が混ざり合い、針のように肌を刺す痛みとなって襲いかかっていた。


 コーチ席の葉月は、組んだ腕に指が食い込むほど力を込めていた。

 マイクを切り、唇を噛み締める。

(……マキナの仕業か。いや、違うな。これはこのアリーナ全体の『生存本能』だ)

 葉月は隣のブースを盗み見た。マキナは眉一つ動かさず、ただ冷徹に戦場を俯瞰している。

 Trinity Raidがヴィクターを落とした。その事実は、彼女たちが「運の良いラッキーガール」ではなく、「真っ先に潰すべき異物」であることを全プロに分からせてしまったのだ。

 

 (……レイ、お前ならどうする。19チームが作る包囲網は、もはや鉄壁だ。一歩でも外に出れば、三方向、四方向からの集中砲火で、肉片すら残らない。……これが、世界大会(プロ)の洗礼だ)


「……コーチ」

 レイがふと、背後を振り返った。

 葉月は答えない。答えることは許されない。ただ、キャップの奥の瞳が、鏡のようにレイの覚悟を映し出していた。


 レイは再び、モニターへと視線を戻す。

 建物の外からは、じりじりと距離を詰める足音と、遠方のスナイパーが放つレンズの反射光が死の予兆を告げている。


「……ねね、ほむらちゃん。……怖くない?」

 レイの声は、不思議なほど透き通っていた。

「怖いなんて言ってる暇ないもん! お腹空きすぎて、もう誰でもいいから噛みつきたいもん!」

「……最悪のロジックね。でも、この『包囲網』を崩せば、私たちがこのマッチの『主役』になれる。……そうでしょう?」


 レイの唇が、不敵な弧を描いた。

「……正解。……一ヶ月前、暗闇の中でコーチに追い回された時に比べれば、こんなの『おままごと』だよ。……二人とも、私の『音』を信じて。……一発、盛大な花火を上げるから」


 レイはマウスを大きく振り切り、自分たちを囲んでいる敵ではなく、その「さらに奥」で身を潜めていた別のチームが陣取る、壊れた大型タンク車に向けて最初の一撃を放った。


 ドォォォォン!!


 アリーナ全体が揺れるほどの爆発音が、静止していた戦場を無理やり動かす。

 他チームの注意が爆発に削られた、そのコンマ数秒。

「今っ!!」

 レイの叫びと共に、三人の影が、包囲網の「一番薄い継ぎ目」へと正面から突撃を開始した。


「動いたあああ! Trinity Raid、逃げずに攻めた! まさかの正面突破だああ!」

 実況のジャックが椅子から転げ落ちんばかりに叫ぶ。

 

 コーチの声が届かない世界で、彼女たちは自分たちの「正解」を、銃声によって定義し始めていた。

 

 それは、死神たちがプロという名の牙を持つ獣たちを、逆に狩り始めるための合図だった。

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