第55話:超感覚の共鳴
「――始まったあああ! 第1マッチ初動、世界が固唾を呑んで見守っていた激突が、早くもマップ中央の廃墟群で勃発だあああ!」
実況のジャックの声が、アリーナのスピーカーを震わせる。
「解説のキースさん、これを見てください! 日本代表Trinity Raid、そして世界王者Black Lotus! 2チームが完全に同じビル群に吸い込まれていきました!」
『……信じられませんね。初戦の初動、リスクを避けるのが定石のこの舞台で、彼らは真っ向勝負を選んだ。これはもはや、技術の戦いではなく、プライドの殺し合いです』
防音ガラスに囲まれたブース内。
レイの耳には、実況の狂熱も観客の怒号も届かない。
聞こえるのは、着地と同時に響く、砂利を踏む乾いた音と、周囲に散らばる「物資」の配置音だけだ。
(……右、二枚。サブマシンガンの装填音。……左、一枚。ショットガンを拾った……距離、15メートル)
レイは、一ヶ月の暗闇で研ぎ澄ませた「耳」をフル稼働させた。アリーナの床を通じて伝わる微かな振動が、脳内で完璧な三次元マップとして組み上がっていく。
「ねね、11時方向の窓! 敵がショットガン持ってる! ほむらちゃん、右の路地を抜けてくる奴にプレッシャーかけて!」
「任せろだもん! フライパンの代わりに、この鉛玉を喰らえええ!」
ねねが遮蔽物から飛び出し、牽制射撃で敵の足を止める。
「……ターゲット捕捉。路地の奥、二秒後に頭を出すわ」
ほむらが冷徹にトリガーを引き、壁を抜こうとした敵の進路を正確に削り取った。
実況席が再び絶叫する。
「何だ今の連携は!? Trinity Raid、まるでお互いの視界を共有しているかのような動き! 遮蔽物越しに敵の位置を完全に把握しています!」
『……驚異的です。彼らはモニターを見ていない。いや、モニターに映る前の「音」で動いている。これは……五年前の「あの男」が提唱していた極限の索敵理論……!』
だが、王者は「バグ」を許さなかった。
レイの脳内に、針で刺すような鋭い殺意が突き刺さる。
(……来た。ヴィクター!)
廃墟の屋上。そこには、一人だけ異質な静寂を纏った男、ヴィクターが立っていた。
彼は味方が追い詰められていることなど意に介さず、ただ獲物を定める猛禽類のように、レイの「予測」のさらに先を狙い定めている。
コーチ席の葉月は、組んだ腕に指が食い込むほど力を込めていた。
マイクは切れている。声は届かない。
(……レイ、行くな! 奴の銃口は、お前が「次に出る場所」をすでに捉えている!)
レイが遮蔽物から飛び出す。ヴィクターの弾丸が、彼女の残像があった場所を正確に貫く。
だが、レイはそこにいなかった。
ねねが投げたスモークの「音」を合図に、三人は互いの死角を補い合いながら、王者の「絶対射程」を、理論を超えた三位一体の突撃で食い破り始めた。
「――今!!」
三人の銃撃が、一つの巨大な「牙」となってヴィクターを飲み込む。
しかし、膝を屈しかけたヴィクターの瞳が、一瞬だけ黄金色に輝いた。
「『……Goodbye, Little Ghost.』」
ヴィクターの放った最後の一撃。それは、死に際の苦し紛れなどではなかった。
三人の完璧な連携の、わずかな「継ぎ目」。
レイを庇うために一歩前に出た、ねねの眉間を、彼の銃弾が正確に捉えた。
[ TR_Rei knocked down BL_Viktor ]
[ BL_Viktor knocked down TR_Nene ]
「……っ、ねねちゃん!?」
レイが叫ぶ。
アリーナの巨大モニターに刻まれた、相打ちのログ。
一瞬の静寂の後、ロンドンのアリーナが、爆辞のような歓声で爆発した。
「……あいたたた。……ごめん、レイちゃん。世界1位、やっぱりちょっとだけ、硬かったもん……」
モニター越しに映るねねのキャラクターが、地面に伏して肩を落とす。
だが、その表情には後悔はない。彼女の犠牲があったからこそ、レイの弾丸は王者の喉元に届いたのだ。
「……いいえ、ねね。十分よ。……あとの『正解』は、私たちが引き継ぐわ」
ほむらが静かに、だが熱を孕んだ声で告げる。
コーチ席の葉月は、震える膝を拳で叩いた。
マイクは繋がらない。だが、彼の唇は確かに動いていた。
(……よくやった。……さあ、ここからだ。……世界を、恐怖させてこい)
初戦、開始わずか三分。
世界王者の「首」と、新星の「盾」が同時に落ちるという、歴史に残る幕開けとなった。
アリーナを揺らす絶叫に近い歓声が、防音ガラスを抜けて振動として三人の肌に伝わる。
モニターの中、崩れ落ちた世界王者ヴィクターと、その身代わりとなって伏したねね。両チーム、戦術の核を失った瞬間、廃墟都市に不気味な静寂が訪れた。
「……ねねちゃん、動かないで。今、スモークを焚くわ」
ほむらが震える指先をキーボードに走らせ、灰色の幕でねねの体を覆い隠す。
一方、Black Lotusの残存メンバーもまた、深追いはしなかった。彼らにとって、ヴィクターという「絶対的論理」を失うことは、敗北以上の瓦解を意味する。
「……引き際ね。あっちも蘇生を優先するつもりよ」
ほむらがスコープ越しに、敵がヴィクターの体を抱えるようにして建物の奥へと消えていくのを確認した。
本来なら追撃すべき場面。しかし、今のTrinity Raidにその余裕はない。ねねを失えば、この先の数マッチを戦い抜くための「盾」を失うことになる。
「……レイちゃん、ごめん。ねねのせいで……」
地面に這いつくばるねねの声が、ボイスチャット越しに小さく震えている。
「謝らないで、ねね。……あなたのあの『一瞬』がなければ、今倒れていたのは私だった。……私たちが選んだ『正解』は、まだ間違ってない」
レイは周囲を警戒しながら、ねねの肩を掴み、蘇生シーケンスを開始した。
コーチ席の葉月は、組んだ腕に白くなるほど力を込め、ただじっとモニターを睨みつけていた。
(……痛み分け、か。マキナ、お前も『個』の強さに頼りすぎたツケを払わされたな)
マイクが切れた静寂の中で、葉月は隣のブースに座るマキナの横顔を盗み見た。
マキナは眉一つ動かさず、ただ冷徹にキーボードを叩く自チームの選手を見つめている。だが、その眼鏡の奥の瞳には、かつてないほどの計算外への「苛立ち」が火花を散らしていた。
『……信じられません! あのBlack Lotusが、初動でこれほどまでの被害を受けて撤退を選びました!』
実況席が興奮を抑えきれずに叫ぶ。
『Trinity Raid、ただのラッキーではありません。ねね選手の身を挺したカバー、そしてレイ選手の予測射撃。これらが王者のプライドを、一時的にではありますが、確実に粉砕しました!』
蘇生が完了し、ねねが再び立ち上がる。
「……復活だもん! でも、アーマーも弾もボロボロだもん……」
「……立て直すわよ。このエリアの物資は、私たちが半分もぎ取った。……残りの半分を、王者が血眼になって漁っている間に、私たちは次のステージへ進むわ」
ほむらがマップを開き、次なる安全地帯の収縮ポイントを指し示した。
「超感覚」がもたらした、一時の勝利と、その代償。
レイは、遠ざかっていくBlack Lotusの気配を背中で感じながら、確信していた。
あの日、暗闇の中でコーチが教えてくれたのは、敵を倒す技術だけではない。
極限の絶望の中で、いかにして「仲間を信じて、再び立ち上がるか」だ。
「……行こう。私たちの戦いは、まだ始まったばかりだよ」
再装備を終えた三つの影が、霧の向こう側へと駆け出す。
それは、世界を驚愕させた「痛み分け」を糧に、死神が真の覚醒へと向かうための、静かなる行進だった。




