第52話:亡霊の再会、霧の街の宣戦布告
成田空港の喧騒は、かつてない熱を帯びていた。
普段は人目を避けるように活動するVtuberたちが、今日は一人の「プロ」として、剥き出しの姿でゲートの前に立っている。
「コーチ……、すごい人だよ。みんな、私たちの名前を呼んでる……」
レイが圧倒されたように呟く。カメラのフラッシュが絶え間なく焚かれ、メディアの記者がマイクを突きつけてくる。先日、世界1位のヴィクターを「目隠し」で葬った衝撃は、それほどまでに巨大だった。
「……気にするな。お前たちが見るべきなのはレンズじゃない、スコープの先だけだ」
背後で、黒いキャップを深く被り直した葉月が冷淡に告げる。その胸元には、運営から支給された「COACH:HAZUKI SAKURABA」のネームタグが鈍く光っていた。
――12時間後、ロンドン・ヒースロー空港。
タラップを降りた瞬間に肌を刺したのは、湿り気を帯びた重く冷たい空気だった。
「つ、ついたもん! 英語の看板ばっかりだもん! コーチ、お腹すいたもん!」
「ねねちゃん、静かに。……ほら、お迎えが来ているわよ」
ほむらが指差した先。VIP用ゲートの前に、一台の漆黒のリムジンが停まっていた。
車から降りてきたのは、執事のような身なりの男ではない。
白一色のタイトなスーツに身を包み、銀縁の眼鏡の奥で「数値」だけを追うような無機質な瞳。
「……五年ぶりだね、OUKA。……いや、今は逃亡者の顔を捨てて『コーチ』のつもりかな」
その声を聞いた瞬間、葉月の足が止まった。
レイは、コーチの背中がかつてないほどに強張るのを見た。
「……マキナ」
葉月の喉から、掠れた声が漏れる。
Machina。かつて葉月と共に『Ground Zero』を頂点へと押し上げ、そして五年前――絶頂期にいたチームと相棒を、独断で「捨てた」葉月によって、栄光の座から突き落とされた男。現在は世界王者『Black Lotus』の監督として、FPS界の頂点に君臨する支配者だ。
「……何の用だ。わざわざ迎えに来るような仲じゃないはずだ」
「挨拶だよ。ヴィクターが君の新しい『おもちゃ』に恥をかかされたからね。……だが、少し失望したよ。君が連れてきたのは、ただの『人形』じゃないか」
マキナの視線が、レイたちをなめるように動く。その瞳には、かつて自分を置き去りにした男への、深く静かな憎悪が宿っていた。
「五年前、君が僕たちの未来を一方的に断ち切って消えた時……僕は誓ったんだ。君が積み上げた『正解』のすべてを、僕の論理で叩き潰すとね」
葉月は無言で、震える右手を左手で強く抑えていた。
裏切られたのではない。自分が裏切ったのだ。
完璧を求めすぎた果てに、共に戦う仲間を信じられなくなり、決勝戦の直前に逃げ出した。マキナのキャリアを、夢を、あの日、自分は粉々に壊した。
「……お前が俺を憎むのは当然だ。だが、この三人は関係ない」
「関係あるさ。君の教える『正解』は、いつか必ず綻び、彼女たちを絶望させる。……かつての僕のようにね」
マキナが冷たく言い放つ。
「……私たちのコーチを、勝手な理屈で決めつけないで」
静寂を切り裂いたのは、レイの声だった。
彼女は一歩前に出ると、世界最高の監督を真っ直ぐに見据えた。
「コーチが五年前、何をしたかなんて関係ない。……私たちが今信じているのは、今のコーチです。……あんたのチームが『暴力』なら、私たちはそれを上書きする『覚悟』で勝ちます。……コーチを、もう二度と逃げさせたりしません」
マキナの眉が、わずかに動いた。
「……面白い。その『意思』が、絶望の淵でどこまで保つか見ものだ。……葉月、アリーナで証明したまえ。……君の作り上げた『脆い幻想』を、僕の『絶対的な論理』が粉砕する瞬間をね」
リムジンが走り去り、再び霧の街に静寂が戻る。
葉月はキャップを深く被り、顔を上げられずにいた。過去の罪が、霧の中から実体を持って襲いかかってくる。
「……コーチ。大丈夫ですよ」
レイが、そっと葉月の袖を引いた。
「……あんな人の言うこと、私たちが全部ひっくり返してきますから。……コーチは、私たちの後ろにいてくれるだけでいいんです」
葉月は、ゆっくりと顔を上げた。
かつての「加害者」としての悔恨と、今の「コーチ」としての使命が、彼の中で激しく火花を散らす。
「……ああ。……叩き潰すぞ。……ロンドンを、お前たちの色に塗り替えろ」
世界大会、開幕まであと24時間。
裏切りと後悔が渦巻く霧の街で、Trinity Raidの真の戦いが、今ここから始まる。




