第49話:沈黙の牙
「――おい。意識をこっちに戻せ。マウスが泣いているぞ」
葉月の冷徹な声が、静まり返ったフロアに響く。
WiFi開通まであと三週間。ネットという外界との繋がりを断たれたこの「城」で、三人は狂ったように「オフライン・トレーニング」に没頭していた。
これまでの彼女たちなら、一時間もボット(標的)を撃てば「飽きたー!」と叫んでいたはずだ。だが、今の三人は違う。
昨夜、Mintyから聞いた「空白の十分間」。コーチがかつて、独りで背負い、そして壊れてしまった絶望の重さ。
それを知った彼女たちの集中力は、もはや「努力」という言葉では生ぬるい、狂気すら孕んだ純度を見せていた。
(……なんだ、この精度は)
背後で見守る葉月は、モニターに映るレイの視点移動を凝視し、内心で舌を巻いた。
一切の迷いがない。標的に吸い付くようなエイム。リロードの一瞬の隙すらも、反射神経で最短化されている。
「コーチ。……次のメニュー、お願いします」
レイがヘッドセットを外し、葉月を真っ直ぐに見つめる。
その瞳には、不安も、甘えもない。あるのは、コーチがかつて辿り着いた「正解」の先を、自分たちが切り拓くという静かな殺意だ。
「……いいだろう。今日は『目隠し索敵』だ。音だけで敵の位置を三センチ以内の誤差で言い当てろ。外せば、明日の朝食は抜きだ」
「「「はいっ!!」」」
三人の迷いのない返事が重なる。
葉月は、彼女たちの変化の理由を測りかねていたが、今はそれを問う必要はないと感じていた。
そんな中、フロアの重厚なドアが開き、Mintyが数人の大人を引き連れて入ってきた。
「はいはい、修行中失礼! 葉月、三週間目のお仕事よ」
連れてこられたのは、高級そうなスーツを着た男たち。
国内最大手の周辺機器メーカー『ゼノス』の役員たちだった。
「Mintyさん。……例の『新人プロ』とは彼女たちのことですか? 噂では聞いていますが……ネットも繋がらない環境で、一体何ができるというんです?」
男の言葉には、あからさまな「客寄せパンダ」を見るような侮蔑が混じっていた。
「あら、失礼ね。うちの子たちは、ネットがなくても『世界』を獲れるわよ。……ねえ、コーチ。見せてあげなさいよ。『正解』の基礎体力ってやつを」
葉月は、キャップを深く被り直し、三人に短く命じた。
「……練習通りにやれ。……ただし、一発も外すな。……外せば、クビだ」
大人たちの冷ややかな視線に晒される、真っ白なオフラインの練習場。
静まり返ったフロア。最新鋭のゲーミングデバイスから響くのは、心地よいはずの打鍵音ではなく、獲物を屠る直前の鋭い金属音だけだった。
「……目隠し索敵? 冗談でしょう。このデバイスの性能を宣伝してほしいと言ったんですよ。サーカスの芸が見たいわけじゃない」
メーカー役員の男が、鼻で笑いながら時計に目をやった。
「いいから見てなさいよ。瞬き厳禁よ?」
Mintyの余裕の笑みを合図に、葉月が短く指を鳴らした。
三人は迷いなくヘッドセットを装着する。画面は暗転。一切の視覚情報が遮断されたトレーニングステージ。
葉月がランダムに、ボット(標的)を配置するコマンドを叩く。カチッ、カチッ、という微かなポップアップ音。
「……右、45度、距離20」
レイの声に、ねねのマウスが電光石火の如く走った。
ドン、と一発。
視界が戻った瞬間、そこには眉間を正確に撃ち抜かれた標的の残骸があった。
「……え?」
役員の口が半開きになる。
だが、それは序の口に過ぎなかった。
続いてほむらが、ヘッドセットから漏れる微かな環境音だけで敵の移動パターンを割り出し、画面を見ることなく「予測射撃」で空中の標的を叩き落としていく。
一切の無駄がない。一切のミスがない。
それは、五年前のロンドンで人々を熱狂させ、同時に恐怖させた「伝説の指揮官」の動きそのものだった。だが、当時と決定的に違うのは、彼女たちの動きには「命令への服従」ではなく、コーチを守り抜こうとする強烈な「意思」が宿っていることだ。
「…………これ、は……」
役員の手から、資料のタブレットが滑り落ちそうになる。
ネットがないから、実力が見せられない?
笑わせるな。ネットがないからこそ、彼女たちは「一発の重み」と「音の正体」を、脳に直接刻み込んできたのだ。
「……これ以上、見せる必要があるか?」
葉月がキャップの鍔を上げ、初めて役員の目を真っ直ぐに見据えた。その瞳に宿る威圧感に、男は思わず一歩後ずさった。
「彼女たちはパンダじゃない。……世界を獲りに行く『怪物』だ。あんたたちのデバイスは、その牙の一部になれるか?」
「……失礼、しました。……すぐに、契約内容を見直させます。……追加の支援も、前向きに検討させてください」
先ほどまでの侮蔑は消え失せ、男たちは震える声で頭を下げ、逃げるようにフロアを去っていった。
再び訪れた静寂。
ヘッドセットを外した三人は、肩を上下させながら、どこか誇らしげに葉月を見つめていた。
「……レイ。あんなメニュー、教えた覚えはないぞ。……いつからあんな精度で撃てるようになった」
葉月の問いに、レイは少しだけ照れたように、だが力強く笑った。
「コーチが言ったんです。……『正解』は上書きできるって。……私たち、コーチが昔見た景色を、もっと綺麗な『正解』で塗り替えたいんです」
その言葉の意味を、葉月は理解しきれなかった。
だが、彼女たちの澄んだ瞳を見た瞬間、五年前のあの雨の日に凍りついたままだった彼の胸の奥が、わずかに熱を帯びた。
「……バカ野郎。浮かかれるな。……明日からは今の倍の速さでボットを動かす。一発でも外せば、連帯責任だ」
「「「望むところです!!」」」
ネット開通まで、あと二週間。
牙を研ぐ城の中で、彼女たちの「本能」は、もはや画面の枠を越えようとしていた。




