第48話:正解という名の呪い
五年前、ロンドン。世界大会決勝。
会場の熱気は最高潮に達していた。
それもそのはずだ。目の前で、チーム『Ground Zero』が史上初の三度目の世界優勝という、神話に等しい偉業を成し遂げようとしていたからだ。
Greed(矛)の破壊力は研ぎ澄まされ、Machina(盾)の精密さはもはや機械の領域。
そして指揮官・OUKAのオーダーは、未来予知と見紛うほどに冴え渡っていた。
マッチポイントは点灯済み。あと一試合、チャンピオンを獲るだけでいい。誰もがそう確信していた。
第5マッチと第6マッチの間の、わずか10分間のインターバル。
「……おい、OUKA。次、南側から回るか? それとも安置を先取りして……」
Greedが興奮気味に、次のプランを相談しようと振り返った。
だが、そこにあるはずの椅子は、無造作に引かれたまま空だった。
「……OUKA? トイレか?」
Machinaが首を傾げた。
1分が過ぎ、5分が過ぎる。
ヘッドセットはデスクに置かれ、モニターには、彼のログイン情報が静かに表示されている。
試合再開のブザーが、無情にもアリーナに鳴り響いた。
運営スタッフが血相を変えて通路を走り回り、実況席が困惑した声を上げる。
『……一体何が起きたのでしょうか!? Ground Zero、指揮官のOUKA選手が、試合開始時刻になっても座卓に戻ってきません!』
結局、その試合にOUKAが現れることはなかった。
三度目の優勝という栄光を掴みかけていたGreedとMachinaは、戦術の核を失い、霧の中を彷徨うようにして初動で壊滅した。
会場の喧騒から離れた、雨の非常階段。
葉月は、マウスを握りすぎて感覚のなくなった右手を、ただじっと見つめていた。
自分が信じているのは「仲間」なのか、それとも自分が作り上げた「最適解」というプログラムなのか。
完璧を求めすぎた代償として、葉月の脳内では「正解」が「呪い」へと反転していた。
正解という名の怪物に食いつぶされた心。
彼は、三度目のトロフィーを、そして共に戦ってきた仲間たちを、その場に置き去りにして立ち去った。
弁明も、謝罪も、後悔の言葉すら残さずに。
「……それが、あの子の最後だったわ」
現代のオフィス。Mintyが、消え入るような声で締めくくった。
「あの子、戻ってこなかったんじゃないの。……戻り方が、分からなくなっちゃったのよ。勝利以外の『正解』を、誰も教えてくれなかったから」
静まり返ったフロア。
レイは、コーチが座るはずの空の椅子を見つめ、あの日、彼が一人で飲み込んだ孤独の深さに、震える唇を噛み締めた。
「……だから、決めたのよ」
Mintyは、飲み干したグラスを静かに置いた。
「あの子に『勝利』以外の正解を教えられるのは、あんたたち三人の――『今のTrinity Raid』だけなんじゃないかってね」
その言葉は、レイたちの胸の奥に、重く、深く沈み込んだ。
五年前、雨のロンドンで一人立ち尽くしていた十九歳の少年。
正解に縛られ、仲間に絶望し、出口を見失って「消える」ことしかできなかった、かつてのコーチ。
「……レイちゃん」
ねねが、震える声でリーダーを呼ぶ。
「ねね……コーチに、笑ってほしいもん。一等賞を獲ったとき、一緒に『やったー!』って言いたいもん……」
「……ええ。私たちの戦術は、ただのプログラムじゃないわ」
ほむらが眼鏡を指先で拭い、モニターを見つめる。
「コーチが導く『正解』の先に、私たちの『心』があることを……今度は私たちが、証明しなきゃいけないのね」
レイは、ゆっくりと立ち上がった。
窓の向こう、夜明けが近い東京の街並みが、薄っすらと白み始めている。
「……行こう。もうすぐ朝の六時だよ」
誰もいないゲーミングフロア。
三人は、まだ回線の繋がらない最新鋭のPCの前に座り、静かにその時を待った。
ガチャリ、と重いドアが開く音がした。
入ってきたのは、いつもと変わらない、少し寝癖のついた、冴えない格好の葉月だった。
「……なんだ。もう集まっていたのか。早起きだな」
葉月は三人の様子に気づかないふりをして、自分の椅子を引き、どっかと腰を下ろした。
五年前、空席のまま放置された、あの日の椅子。
今はそこに、彼が座っている。
「コーチ、おはようございます!」
レイの、真っ直ぐで力強い挨拶がフロアに響く。
葉月は一瞬、眩しいものを見るように目を細め、すぐにいつもの冷淡な顔を作った。
「……挨拶はいい。昨日の撮影のせいで、エイムが鈍っているはずだ。回線が来るまでの一ヶ月、まずは『オフライン』でできる地獄を見せてやる。……いいな?」
「「「はいっ!!」」」
迷いのない、三人の声。
過去の呪いを、今の熱量で上書きしていく。
伝説の指揮官『OUKA』が二度と座るはずのなかった椅子で、一人の「コーチ」が再びマウスを握りしめた。




