第46話:フラッシュライトの洗礼
最新鋭のゲーミングデバイスが並ぶ、静まり返ったフロア。
世界大会まで半年というこの時期に、ネット回線がないという絶望的な現実に、レイたちは所在なげに自分のマウスを眺めていた。
「……本当にお仕事、行くんだよね? 修行、しなくていいのかな」
レイが不安げに、着慣れない白いブラウスの襟を直す。
「コーチが『これも訓練だ』って言ったんだから、従うしかないわ。……でも、まさか広告代理店のオフィスに『メイク室』まで完備されているとは思わなかったけれど」
ほむらが、いつもより念入りに整えられた自分の髪を鏡越しに見つめる。
「ねね、お腹すいたもん! モデルさんって、レタスしか食べちゃいけないの? お肉食べたいもん!」
そんな三人の背後から、ヒールの音を響かせてMintyが現れた。
「はいはい、お喋りはそこまで! プロの初仕事よ、シャキッとしなさい!」
彼女の手には、分厚いスケジュール表が握られている。
「いい? 今日の仕事は、世界大会に向けた『公式メインビジュアル』の撮影。アバターのイラストじゃないわよ。あんたたち『中の人』としての、実写のポートレートよ」
「じ、実写……っ!?」
レイの声が裏返る。Vtuberにとって、中の人の姿を公に晒すのは、ある種の一線を越える行為だ。
「世界大会はオフラインなの。どのみち顔は全世界に晒されるわ。だったら、最高にクールな状態で自分たちを売り出しなさい。……これが、スポンサーとしての最初の命令よ」
反論を許さないMintyの勢いに押され、三人はビル内の特設スタジオへと連行された。
そこには、巨大な照明機材と、威圧感のあるレンズを構えたプロのカメラマンが待ち構えていた。
「……チッ、今度はゲームオタクのガキ共かよ」
カメラマンが、隠そうともせずに小さく舌打ちをした。
現場に漂う、独特の緊張感。それは、ゲーム画面の中の銃撃戦とは全く質の異なる、「大人の社会」からの洗礼だった。
スタジオの隅。
折り畳み椅子に深く腰掛け、キャップを深く被った葉月が、無言でその光景を見つめていた。
「コーチ……助けて……」
助けを求めるようなレイの視線に対し、葉月は冷徹に、だが短く言い放った。
「……敵地だと思え。……マウスを持たずに、どうやってその場を支配するか。……それも『正解』の一つだ」
逃げ場のない真っ白な背景の前。
三人の少女たちの、プロとしての「最初の戦い」が幕を開けた。
「……おい、もっと肩の力抜けよ。死体撮ってるんじゃないんだからさ」
カメラマンの不機嫌な声が、スタジオの静寂に響く。
真っ白なホリゾントの前に並んだ三人は、借りてきた猫のように固まっていた。レイは指先を震わせ、ほむらは視線を泳がせ、食いしん坊のねねですら、照明の熱気に気圧されて口を真一文字に結んでいる。
「これだから素人は。……Mintyさん、これ、ただの『パンダ』として撮ればいいの? それとも、一応『選手』っぽく見せる努力する?」
カメラマンの刺すような言葉。スタジオのスタッフたちの間に、微妙な苦笑いが広がる。
(……アウェーどころか、完全な袋叩きだな)
スタジオの隅、パイプ椅子に座った葉月は、深く被ったキャップの下で目を細めた。
彼女たちは今、モニターという盾を失い、生身の自分をどう定義すればいいか分からずにいる。
「……レイ。ほむら。ねね」
葉月の低い声が、スタジオの空気を一変させた。
カメラマンが「なんだよ、撮影中に」と忌々しげに振り返るが、葉月は構わず続けた。
「――最終アンチの遮蔽物なし、残り1チーム。お前たちの目の前にいるのは、Valkyrieのエースだ。……今、何をすべきだ?」
その言葉に、三人の肩がビクリと跳ねた。
レイの脳裏に、あの予選最終マッチの光景が蘇る。地雷の爆音、降り注ぐ弾丸、そして――自分を信じて背中を預けてくれた二人の存在。
「……コーチ」
レイが顔を上げた。その瞳から、迷いが消えていた。
「……索敵。射線の確保。そして、一歩も引かないこと」
「……計算外の事態ね。でも、やるべきことは一つだわ」
ほむらが眼鏡をクイと押し上げ、カメラのレンズを「敵のスコープ」と見定めた。
「ねね、フライパンは持ってないけど……。負けるのは、もうお腹いっぱいだもん!」
ねねがぐっと拳を握り、カメラマンを真っ直ぐに見据える。
「……おい、なんだ。急に顔つきが……」
カメラマンが息を呑んだ。
さっきまでの「自信なさげな少女たち」は、もういない。
そこに立っているのは、死線を潜り抜け、絶望を「正解」で上書きしてきた三人の勝負師だった。
カシャッ、カシャカシャカシャッ!!
スタジオに、激しいシャッター音が鳴り響く。
カメラマンは、何かに取り憑かれたようにファインダーを覗き込み、夢中でシャッターを切り続けた。
「いい……! その目だ! 媚びなくていい、そのまま俺を殺すつもりで睨みつけろ!」
フラッシュの閃光が、彼女たちの「プロ」としての第一歩を刻み付けていく。
それは、アバターというガワを脱ぎ捨て、魂だけで世界と戦う覚悟を決めた、美しくも恐ろしい宣材写真だった。
一時間後。
撮影を終え、疲れ果ててソファに沈み込む三人のもとに、カメラマンが少し決まり悪そうに歩み寄ってきた。
「……悪かったな。ゲームオタクなんて言って。……君たち、いい『牙』を持ってる。ロンドン、楽しみにしてるよ」
プロが、プロを認めた瞬間。
Mintyが満足げに頷き、葉月の隣に座った。
「……ね。言ったでしょ? これも訓練だって」
「……ああ。……だが、次はマウスを握らせろ。こっちの心臓が持たん」
ネットの繋がらない一ヶ月。
彼女たちの修行は、画面の外で、より深く、より鋭く加速し始めていた。




