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第45話:牙を研ぐ城

 昨夜の狂乱が嘘のように、東京の空は淡々と晴れ渡っていた。

 昼過ぎ。葉月とTrinity Raidの三人は、Mintyに呼び出され、都心の一等地にある超高層オフィスビルの前に立っていた。

「……姉貴、何の冗談だ。こんなところで練習しろって言うのか?」

 葉月が怪訝そうな顔で見上げる。そこにあるのは、日本を代表する大企業がひしめくビジネスの聖地だ。

「冗談じゃないわよ。ここ、私の会社――広告代理店『Minty Agency』の本社ビル。その最上階の一部を、Trinity Raidの専用ブートキャンプ・フロアに改造したの」

 Mintyが慣れた手つきでセキュリティゲートにスマホをかざす。エレベーターが最上階で止まり扉が開いた瞬間、三人の少女は息を呑んだ。

「な……何ここ!? 会社の中に、こんな場所があるの!?」

 ねねが叫ぶ。そこは、スタイリッシュなオフィスエリアを抜けた先にある、独立したゲーミングエリアだった。

 最新鋭のPCが並ぶ防音ブース、巨大な戦略分析用モニター、そして……。

「……モーションキャプチャー用のスタジオに、クロマキー合成の背景? 会社の中にこれを作ったのか」

 ほむらが呆れたように呟く。Mintyは満足げに胸を張った。

「世界大会はオフラインなのよ? 自宅のぬるい環境で練習なんてさせないわ。今日から半年間、あんたたちはここで毎日、『プロ』としてのルーティンを叩き込んでもらうわよ」

「プロの、ルーティン……」

 レイが、まだ自分たちのものではないような豪華なデバイスに手を触れる。

「そう。出勤時間は朝九時。昼は社内食堂で栄養管理された食事。そして夜まで、葉月の『正解』を叩き込む修行。……もちろん、このビルの一部に宿泊用のスイートルームも確保してあるわ」

「……宿泊用まで?」

 葉月が眉をひそめる。つまり、二十四時間体制で彼女たちと顔を合わせ、生活のすべてを管理下に置くということだ。

「そう。コーチのあんたもよ、葉月。……オンラインという『盾』を剥がされた、本当の師弟関係の始まりよ」

 「共同生活」に近いその提案に、三人の顔は一気に赤らんだり青ざめたりと忙しい。

「え、えええええっ!? コーチと一緒に住むの!? ねね、パジャマ可愛いの持ってないもん! 準備してないもん!」

「ねねちゃん、そこじゃないでしょ……。プライバシーとか、管理体制とか……」

 ほむらが動揺を隠すように眼鏡をクイと押し上げるが、その指先はわずかに震えている。

「いいじゃない、楽しそうで。……ほら、葉月。あんたの『隠居生活』も、これで強制終了よ」

 Mintyは、キッチンスペースの冷蔵庫から勝手にエナジードリンクを取り出し、葉月に放り投げた。

 葉月はそれを受け止め、無機質な黒い缶を見つめる。

 オフライン大会で勝つには、画面内の技術だけでは足りない。

 互いの呼吸を知り、一瞬の表情の変化で意図を読み取り、数千人の前で「三人の心」を一つにする必要がある。……そのためには、この半年間、家族以上の時間を共有するのは理にかなっていた。

「……レイ。嫌なら今すぐ断れ。これはあくまで『修行』の一環だ」

 葉月が、静かにリーダーを見据える。

 レイは、少しだけ俯いたあと、顔を上げて葉月の目を真っ直ぐに見返した。

「……いえ。やらせてください。……コーチ。私、世界大会では、もう二度と『声が届かなくて不安だった』なんて言いたくないんです」

 予選最終マッチでのミス。

 コーチの声が届かない静寂の中で、独りでに折れそうになった心。

 それを克服するためには、この半年、彼の「正解」を身体に染み込ませるしかない。

「……よし。……決まりだ」

 葉月は短く告げ、メインモニターの電源を入れた。

 眩い光の中に、世界最強のチーム『Black Lotus』のロゴが浮かび上がる。

「明日から、生活のすべてをFPSに捧げてもらう。……いいな、お前たち」

「「「はいっ!!」」」

 窓の外。

 夕闇に包まれ始めた東京の街を、ロンドンの霧を予感させる冷たい風が吹き抜けていった。

 伝説の指揮官・OUKAと、三人の新人。

 広告代理店のオフィスの一角が、世界を揺るがす「牙」を研ぐための城へと変わった瞬間だった。

「……いい、あんたたち。ここに来たのは、ただ一緒に住んで練習するためだけじゃないわ」

 Mintyが、重厚な革のファイルから三通の契約書を取り出し、テーブルに滑らせた。

 そこには、広告代理店『Minty Agency』のロゴと、【専属プロフェッショナル契約書】の文字が躍っている。

「今日から『Minty Agency』が、Trinity Raidのメインスポンサーとして正式に就任するわ。……つまり、あんたたちは今日から、晴れて『プロゲーマー』になるの」

 店内の空気が、一気に引き締まった。

 ねねが差し出そうとしたポテトチップスの手が止まり、ほむらが契約書の細かな条項を食い入るように見つめる。

「プロ……。私たちが、本当に?」

 レイが震える指で、契約書のページをめくる。そこには、新人としては破格の活動資金と、そして何より「勝利」への責任が明記されていた。

「そうよ。もう『趣味でやってるV』なんて言い訳は通用しない。このビルの一角を自由に使わせる代わりに、あんたたちの背中にはうちの看板が乗る。……世界大会で無様な姿を見せたら、違約金……は冗談だけど、私の顔に泥を塗ることになるわよ?」

 Mintyの言葉は軽快だが、その瞳はビジネスパーソンとしての鋭さを秘めていた。

 葉月は無言でその光景を見つめていた。

 自分もかつて、この「契約」の重みに押し潰され、そして裏切られた過去がある。だが、今の彼女たちの瞳にあるのは、怯えではなく、確かな高揚だった。

「……コーチ。私、書きます」

 レイが迷いのない手つきでペンを握り、自らの名前を記した。

 続いて、ほむらが、ねねが。

 三人の署名が揃った瞬間、彼女たちは「守られるべき新人」から、世界と戦う「プロ」へと変貌を遂げた。

「……よし。契約完了ね」

 Mintyは満足げにファイルを閉じると、葉月の肩を強く叩いた。

「さあ、コーチ。あんたの仕事よ。……『プロ』を預かった以上、もう手加減は無しよ?」

 葉月は冷えたエナジードリンクの缶を開け、一気に飲み干した。

 喉を焼く刺激。

 目の前には、自分を信じて「プロ」の道を選んだ三人の教え子。

「……当たり前だ。明日から、生活のすべてをFPSに捧げてもらう。……いいな、お前たち」

「「「はいっ!!」」」

 窓の外、夜の帳が下りた東京の街並み。

 広告代理店のオフィスの一角。そこは、世界を揺るがす「牙」を研ぐための、最も贅沢で、最も過酷な城となった。

「あ、それと一ヶ月は修行禁止でお願いね。WiFiの契約が滞っていて、開通が来月になりそうなの」

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