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第42話:泡立つ祝杯

 煙に燻された赤提灯が揺れる、路地裏の古びた焼肉屋。

 予選突破の熱気が冷めやらぬ深夜、貸し切りに近い店内に、威勢のいい声が響き渡った。

「かんぱーい! 世界、行っちゃうもんねー!」

 ジョッキを勢いよくぶつけたのは、Trinity Raidの「中の人」たち。そして、この計画の仕掛人であり、葉月の奔放な姉・Mintyだった。

 彼女は長い髪をかき上げ、豪快にビールを煽る。

「ぷはぁー! 最高! あんたたち、マジでやったじゃない! 私の目に狂いはなかったわ。ね、葉月?」

「……うるさいぞ、姉貴。声がデカい」

 葉月は端の席で、カルピスソーダのグラスを片手に、網の上で丸まるタン塩をひっくり返した。

「コーチ、今日は私の奢りじゃないからね! 姉さんが『全部出す』って言ったんだから!」

 ねね(中の人)が、普段のアバターそのままの天真爛漫さで、高級な特上カルビを次々と注文していく。

「……ねねちゃん、一応これでも私たちは『新人』なんだから。少しは遠慮しなさいよ」

 苦笑いするのは、ほむら(中の人)だ。眼鏡の奥の瞳は、モニター越しでは分からなかった勝利の余韻で、まだ潤んでいる。

「いいのよ、今日くらい! 日本代表よ? 広告換算したらいくらになると思ってるの?」

 Mintyがゲラゲラと笑いながら、レイの肩を叩く。

「ほら、レイちゃんも食べなさい。あんた、最後あんなに泣いてたんだから、スタミナつけなきゃ」

 振られたレイは、おしぼりを握りしめたまま、じっと網を見つめていた。

 彼女の目の前には、葉月が絶妙な焼き加減で皿に置いたハラミがある。

「……コーチ。私、あのクレイモア(地雷)を踏んだ瞬間、頭が真っ白になったんです」

 ぽつりと、レイが口を開いた。

「世界に行けるってわかった後も、ずっと……悔しくて。1位で、コーチを世界に連れて行きたかった」

 店内の騒がしさが、一瞬だけ凪いだ。

 葉月は箸を置き、レイの真っ直ぐな視線を受け止める。

「……レイ。お前が踏んだのは、ただの地雷じゃない。世界というステージに立つための『授業料』だ。あの痛みを知らないまま世界に行っていたら、お前たちは初動で消されるだろう」

 葉月の冷徹な、だが確かな熱を帯びた言葉に、レイが息を呑む。

「半年ある。……その間に、お前のその『悔しさ』を、世界一の連中が震え上がるような『牙』に変えてやる。……いいな?」

「…………っ、はい!」

 レイの力強い返事とともに、再びジョッキの氷が鳴る。

 その様子をニヤニヤと眺めていたMintyが、さらに脂の乗った肉を追加しながら、葉月の耳元で囁いた。

「……ねえ、葉月。あんた、もう気づいてるでしょ? 公式のチャット欄。……『OUKA』の名前が、もう消せなくなってるわよ」

 祝杯の泡の向こう側。

 半年後の「地獄」へのカウントダウンは、この喧騒の裏で、すでに始まっていた。

 特上カルビの皿が空になり、網の上の火も少し落ち着いてきた頃。

 ねねはデザートのアイスに夢中になり、ほむらは手元のタブレットで今日の試合のクリップを無言で見返している。

「……ねえ、コーチ」

 ふいに、レイがジョッキの結露を指でなぞりながら呟いた。

「世界大会って……やっぱり、今日戦った人たちより、ずっと強いんですよね」

 葉月は、網の端に残っていた野菜をゆっくりと口に運んだ。

「……比べるのも失礼なレベルだ。今日のValkyrieやREIGNが『国内の精鋭』なら、世界大会に集まるのは各国の『バケモノ』だ。弾を一発外せば、その瞬間にチームが壊滅する。そんな領域だよ」

 店内の空気が、ふっと冷える。

 三人の箸が止まった。浮かれていたねねも、アイスのスプーンを咥えたまま葉月を凝視する。

「お前たちが今日、準優勝できたのは、俺の『嫌がらせ』に近い戦術が初見殺しとして機能したからだ。だが、半年後の世界は、その戦術を完璧にコピーし、さらに上書きしてくる。……今のままじゃ、初戦の初動で轢き殺されて終わりだぞ」

「……っ、そんな……」

 レイの顔に、再び緊張が走る。

 そこに、横からMintyがヒラヒラとスマホを振って割り込んできた。

「だからこそ、この半年が勝負なのよ。……ほら、葉月。これ見て。さっき届いたばかりの『公式招待状』のドラフト案」

 葉月がスマホを覗き込むと、そこには世界大会の主催団体から届いた、出場チーム向けのガイドラインが並んでいた。

 だが、その最下部に追記された一文を見て、葉月の眉がピクリと動く。

『今大会より、コーチの登録情報の透明性を強化する。元プロ、あるいは関係者の場合は、実名および過去の所属チームの公開を義務付ける――』

「……なんだ、これは。前回の世界大会には、こんな項目はなかったはずだ」

「あんたの『正解』があまりに鮮やかすぎて、運営がビビったのかもね。……それとも、誰かさんが横槍を入れたか」

 Mintyの視線が、どこか楽しげに、それでいて鋭く葉月を射抜く。

 葉月が「OUKA」として表舞台に出れば、五年前のあの事件の真相も、彼を追放した連中の思惑も、すべてが日の下に晒されることになる。

「コーチ……。もし、私たちが世界に行くことでコーチに迷惑がかかるなら、私……」

 不安げな表情を浮かべるレイに、葉月はふいと視線を外した。

「……勘違いするな。俺の名前がどうなろうと、お前たちの勝敗には一ミリも関係ない」

 葉月は飲みかけのグラスを置き、立ち上がった。

「行くぞ。……半年だ。この半年で、お前たちのエイムを、俺の戦術が追いつかないレベルまで叩き上げる。明日から、睡眠時間は今の半分だと思え」

「「「えええええええええっ!?」」」

 三人の悲鳴が店内に響き、Mintyの豪快な笑い声がそれに重なる。

 店を出ると、夜風は少しだけ冷たかったが、レイたちの瞳には、恐怖を塗りつぶすような決意の火が灯っていた。

 葉月は一人、夜空を見上げる。

 半年後。そこにあるのは、栄光か、それとも過去の清算か。

 どちらにせよ、もう「退路」という文字は、彼の辞書から消え去っていた。

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