第36話:死神の遺言、あるいは勝利への絶対命令
公式配信の同時視聴者数は、試合開始前だというのに既に60万人を突破していた。
画面を埋め尽くすのは、無数の応援コメントと、それ以上に冷ややかな懐疑の言葉。
『TR、新衣装はいいけど相手が悪すぎるだろ』
『ヨハンのエイム、あれ人間じゃないし。対策のしようがない』
『死神のコーチ、今度はどんなインチキを見せてくれるんだ?』
そんな喧騒から隔絶された、都内のワンルームマンション。
葉月は、ブルーライトに照らされた手元の胃薬を、水なしで飲み込んだ。
三つのモニターには、Trinity Raidの三人のコンディション、回線のパケットロス、そして敵チーム『Valkyrie』の過去三日間の練習スタッツが、無機質なグラフとなって並んでいる。
「……各員、マウスパッドの滑りは。デバイスの入力遅延チェック、異常なし。……よし、始めようか」
葉月の声は、驚くほど平坦だった。
ボイスチャット越しに、三人の緊張した呼気が伝わってくる。
『コーチ。……準備、できてます』
『ねね、お水用意しました! 緊張して……指、震えてないですよね、私!?』
『……ふふ。大丈夫よ、ねね。コーチの『正解』が、私たちの指に流れてるわ』
レイの凛とした声、ねねの震える気合、ほむらの冷徹な陶酔。
三人は、それぞれの自宅という「独房」で、今まさに戦場へ降り立とうとしていた。
オンライン大会。そこに観客の歓声はない。あるのは、ただクリック音と、重苦しい静寂だけだ。
「いいか、お前たち。……これから始まるグランドファイナル。……北欧のヨハンという『正解』を叩き潰すために、一つだけ、今この場で【絶対禁止命令】を下す」
一瞬、通信の向こうで三人が息を呑む音がした。
これまでのタクティクスを根底から覆すような、非情な宣告。
「――『味方を助けること』。これを、本日から一切禁ずる」
『……えっ!?』
『……コーチ。それは、連携を捨てろということですか?』
レイの戸惑いに、葉月は冷徹に言葉を重ねた。
「そうだ。……『助け合い』は人間的な美徳だが、FPSにおいては最も予測しやすい『ノイズ』だ。……ヨハンという精密機械は、お前たちが味方をカバーしようとする0.1秒の『情』を、物理法則レベルで予測して弾道を置いている。……だから、捨てろ。仲間が撃たれても、カバーに行くな。死ぬまで放置しろ。……その代わり、死体を餌にして、一ミリも揺らがずにヨハンの眉間を撃ち抜け」
――。
沈黙。
それは、これまで築いてきた絆を、勝利のために「弾除け」として利用しろという、悪魔の指示だった。
「……できるか。情を捨て、俺が用意した『勝利の座標』に辿り着けるか」
数秒の静寂の後。
リーダーのレイが、絞り出すように、けれど確固たる意志で答えた。
『……了解。……私たちは、あなたの駒。……勝利という『正解』のためなら、心なんて、今ここで捨ててみせます』
その瞬間、画面のカウントダウンが『0』を示した。
第1マップ。雪原の要塞『アイアン・フェンス』。
三人のアイコンが、戦場へと吸い込まれていく。
「……さあ、壊れてもらおうか。北欧の最高傑作」
葉月の独白と共に、日本一を決める、残酷で美しいロジックの幕が上がった。
カウントダウンがゼロになると同時に、ボイスチャットの接続を示すランプが消灯した。
ここから先、葉月の声は三人に届かない。彼にできるのは、モニター越しに胃を焼きながら、自分の授けた「正解」が彼女たちの血肉となっているかを凝視することだけだ。
広大なオープンフィールド。
中心部の要衝へと向かう唯一の直線道路で、激突は起きた。
高台に陣取った『Valkyrie』のヨハンが放った一弾が、高速移動する車両の風防を貫き、リーダーのレイを車外へと叩き落とした。
『ダウン! Trinity Raidのレイが落ちた! 遮蔽物のない平原、絶体絶命だ!』
実況が絶叫する。通常、ここでチームは急ブレーキをかけ、煙幕を焚いて「蘇生」を試みる。それがこのゲームの鉄則だ。
葉月はモニターの前で拳を握りしめた。
(……止まるな。……止まれば、死ぬぞ)
画面の中、ねねが運転する車両が一瞬、小刻みに揺れた。仲間が落ちた衝撃に、ハンドルを握る手が反射的にブレーキへ伸びかかったのだ。
だが、その直後。
ねねは、バックミラーを叩き割らんばかりの勢いでアクセルを踏み抜いた。
「――っ!」
葉月は、思わず息を吐き出した。
ねねも、そして助手席のほむらも、背後で転倒し、地に伏したレイを『一瞥だにしなかった』。
走り去っていく仲間の車の背中を見送りながら、レイは血を流し、孤独に地面を這いずり始める。
その光景に、世界中の視聴者が戦慄した。
ヨハンは、次弾を装填しながら、困惑に眉を潜める。
(……なぜだ? なぜ車を止めない。……「勝率」を考えれば、救助に来るタイミングを狙われるリスクより、三人で戦うリターンを取るのが『正解』のはずだ。……なぜ、僕の計算式にない『孤独』を選ぶ……!)
ヨハンは、這いずるレイを「餌」にして、救助に来る残りの二人を仕留めるつもりだった。
だが、誰も来ない。
コーチの声が届かない静寂の中で、三人は葉月の「味方を助けるな」という呪いを、完璧に、そして狂信的に遂行していた。
予測が外れたヨハンに、コンマ数秒の「迷い」が生じる。
その隙を、監視塔へと滑り込んだほむらが見逃さなかった。
ヨハンは、レイが「リタイア」してキルログが出るのを待っていた。その瞬間こそ、敵の意識が最も削削がれるタイミングだと知っていたからだ。
しかし、ほむらはレイが消えるのを待たなかった。仲間の命の灯火が消える前、その「残光」をバックライトにして、ヨハンの潜む稜線の裏側をスコープに捉えた。
『――捉えた』
声は聞こえない。だが、葉月の耳には彼女の確信に満ちた呟きが届いた気がした。
乾いた銃声。
ほむらの放った弾丸が、遠距離から正確にヨハンの眉間を撃ち抜いた。
【TR_Homura knocked down V_Johan】
画面に流れた通知に、実況席が、そして世界が絶句した。
北欧の精密機械が、初動で、しかも「仲間を見捨てた囮作戦」によって、無様に地に沈んだのだ。
「……そうだ。それでいい」
胃を抑えながら、葉月はモニター越しに浅く笑う。
刻一刻と迫る制限時間に飲まれ、画面がモノクロに染まっていくレイ。
リタイアするその瞬間、彼女の操作キャラクターは、まるで遠くの監視塔にいる仲間に「あとは任せた」と告げるように、一度だけ短く視線を巡らせて消えた。
一人が欠け、残り二人となったTrinity Raid。
しかし、その動きにはもはや迷いも、弱小の面影もない。
『死神』の不在。その静寂の中で、少女たちは史上最も残酷な「正解」を証明し始めていた。




