第35話:死神の休息、あるいは戦場外のオーバークロック
予選グループC・Dの全日程が終了するまで、あと三日。
Trinity Raidの決勝進出が決まってから、世間の喧騒は増す一方だったが、当の「黒幕」こと葉月は、都内のゲームセンターの入り口で、死ぬほど場違いな空気を感じていた。
「……遅い。集合から既に45秒経過している」
「もー! コーチくん、女の子に秒単位の集合を求めないでくださいってば!」
人混みをかき分けてやってきたのは、配信での「新衣装」とはまた違う、鮮やかな私服に身を包んだ三人だった。
スポーティーなパーカーを羽織ったレイ。パステルカラーのニットが眩しいねね。そして、黒のタイトなセットアップを完璧に着こなしたほむら。
渋谷の街角でも目を引く三人に囲まれ、葉月は胃の辺りを押さえて顔をしかめる。
「……今日は脳のクールダウンだ。姉貴に『休ませないと脳が腐って決勝でエイムがブレる』と脅されてな。不本意だが、遊びに付き合ってやる」
「ふふ、お姉さんに感謝ね。……でも、コーチと外で会うなんて、なんだか不思議な気分だわ」
ほむらが少しだけ口角を上げる。配信中の鋭い「氷の瞳」ではなく、年相応の少女の瞳だ。
四人が最初に入ったのは、爆音と電子音が渦巻く大型ゲームセンターだった。
真っ先にねねが飛びついたのは、超高難易度で知られるリズムゲーム。
「あーっ! この曲、どうしても最後で指が追いつかないんですぅ!」
「……どけ。音の配列に規則性がある。……いいか、この譜面は四拍子に見えて、裏で三拍子のアルゴリズムを混ぜているだけだ。レイ、右から。ねね、左のパネルを死守しろ。俺がセンターを叩く」
遊びのはずが、葉月の目は既に「攻略」のそれだった。
葉月の指示通りに三人が動いた瞬間、筐体のスピーカーから聞いたこともないようなコンボ音が鳴り響く。
「え、ええええ!? 嘘、フルコンボ……?」
「……ただの動体視力とリズムの同期だ。……次だ。ほむら、あのアームの緩いクレーンゲームを攻略するぞ。重心のズレから逆算して、三回以内にあのぬいぐるみを落とす」
「……了解。コーチの指示なら、物理法則も味方しそうね」
周囲の若者たちが「なんだあの集団……」「ガチ勢すぎだろ……」と引き気味に注目する中、葉月は無機質な顔で、次々とプライズを「殲滅」していった。
一時間後、両手にお菓子やぬいぐるみを抱えた三人を連れて、一行はカラオケボックスへと移動する。
密室に入り、ようやく一息ついたところで、レイが恐るおそるマイクを差し出してきた。
「あの、コーチ。……配信でも言われてましたけど、コーチの声、すごく……通るから。歌ってるのも、聴いてみたくて」
「却下だ。俺は喉を消耗させる非効率な行為は好まない」
「えー! ケチ! コーチくんの『正解』の歌、聴かせてくださいよぉ!」
ねねが勝手に予約ボタンを押した。
流れてきたのは、最近流行りの、しかし妙に低音の響きが重要なロックナンバー。
葉月は深いため息をつき、諦めたようにマイクを握った。
――イントロが終わり、葉月が口を開いた瞬間。
狭い部屋の空気が、物理的に震えた。
「――……っ」
レイが息を呑む。
配信で45万人を戦慄させたあの重厚な低音が、メロディに乗って、さらに艶を増して響き渡る。
それは、ただ上手いというだけではない。
完璧なピッチ、完璧なビブラート。まるで音楽そのものを「ハッキング」しているかのような、圧倒的な支配力。
歌い終え、葉月が「……満足か」と冷たく言い放つと、そこには顔を真っ赤にしたレイと、呆然と固まるねね、そして熱っぽい視線を隠そうともしないほむらの姿があった。
「……コーチ、それ、反則。……女の子を、勘違いさせるプロね」
ほむらの呟きは、カラオケの残響にかき消されたが、部屋の温度は確実に数度上がっていた。
だが、そんな甘い空気を切り裂くように、葉月のスマホが震える。
画面に表示されたのは、姉・Mintyからの短いメッセージだった。
『CvsD終了。――“本命”が来たわよ、葉月』
葉月の瞳から、一瞬で「休日」の光が消え、底冷えするような「死神」の眼光が戻った。
「……本命、か。姉貴にしては、随分と控えめな表現だな」
カラオケボックスの狭いモニターに、葉月が自らのスマホをミラーリングさせる。
映し出されたのは、CvsDグループのダイジェスト映像。そこには、これまでの日本のプロシーンではお目にかかれないような「異質な光景」が記録されていた。
チーム『Valkyrie』。
今季、大手スポンサーの資金力に物を言わせ、北欧スウェーデンのトップリーグから電撃移籍してきた男――『ヨハン』を擁する、優勝候補筆頭だ。
「……っ。何、これ。……今、遮蔽物の裏から出た瞬間に抜かれた……?」
レイが息を呑む。
画面の中では、ヨハンの操るキャラクターが、まるで未来を予知しているかのような最短距離のエイムで、日本のトッププロたちを次々と「ゴミ」のように排除していた。
弾丸が、吸い込まれるように敵の眉間に消えていく。
「無駄がないわね。……エイムの修正がほぼゼロ。最初から、そこに敵が湧くことを確信している動きだわ」
ほむらが、いつになく真剣な表情で画面を睨む。
ヨハンのスタッツは異常だった。ヘッドショット率、驚異の82%。
日本のタクティカルな連携を、彼はただの「エイムの暴力」だけで粉砕し、一人で戦局をひっくり返している。
「あわわ……。コーチくん、ねね、あんなの無理ですぅ! 幽霊ですよ、あんなの!」
「幽霊ならまだいい。……あれは『精密機械』だ」
葉月は冷たく言い放ち、画面を一時停止させた。
ヨハンの瞳が、カメラ越しに無機質に光っている。
「ヨハン・エクルンド。北欧の神童と呼ばれた男だ。あいつにとって、このゲームはチェスと同じだ。……敵の心理、弾道のドロップ、サーバーのラグ。そのすべてを脳内で演算し、『正解』しか選ばない。……お前たちと同じ、徹底した合理主義者だ」
部屋の空気が、一気に冷え切る。
自分たちが信じてきた「合理性」の、さらにその先にいる怪物。
三人の肩が、かすかに震えた。
だが、葉月はそんな彼女たちの不安を切り捨てるように、ふっと口角を上げた。
「……だが、機械には必ず『仕様』がある。……あまりに完璧すぎるエイムは、逆説的に『想定外』の動きに弱い。あいつの脳内演算に、この世界に存在しないはずの数式を叩き込んでやる」
葉月は立ち上がり、コートを掴んだ。
その瞳には、先ほどまでの穏やかな休息の残滓は微塵もない。
王者を殺し、神童を地に引き摺り下ろす。「死神の戦術」が、既に脳内で火花を散らして組み上がっていた。
「遊びは終わりだ。……三日間で、お前たちの指先に『毒』を仕込む。……ヨハンが、自分の『正解』に絶望して指を止めるほどの、猛毒だ」
「「「…………はい!!」」」
三人の返声が、密室に響く。
夜の渋谷。ネオンの洪水の中へ足を踏み出した四人の背中は、もはや一週間前の「11位の弱小チーム」のものではなかった。
グランドファイナルまで、あと三日。
『死神』と『精密機械』。
どちらの「正解」が上か、世界が目撃する時が迫っていた。




