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第十五話・古語の読解がんばりましょう

 そのころ。

 関係者の脳内からはすでに「失踪」ではなく「蒸発」もしくは「行き倒れ」もしくは「怪死」と認識されつつある王妹は、細く細く長く伸びる命の糸をかろうじてつなぎとめていた。だが王妹付け焼刃な根性もそろそろ限界が近い。現状、糸が近いうちに切れる可能性は確かに大であるといえた。

 雨雲に喧嘩を売ったら速やかにお買い上げいただき土砂降りの雨で支払いをもらってしまった。いまさら過去の言動を悔いても遅いが、室内からしか雨を経験したことの無い王妹は、実際に雨に降られるということがどういうことか、現在身をもって体感しているところである。

「なんでこんなに寒いのかしら」

 それは全身雨に濡れているからである。

 大自然がもたらす災厄の前に足指のつめの剥離という悪夢な事実は些細なことになりさがった。痛むつま先を無視して薄暗い地の底から外へと半ばはいずりながらまろび出る。喧嘩上等といわんばかりに仁王立ちしてみると、意外につま先の痛みはその気になれば無視できることに気づく。

 だが奇妙な遺跡を歩き回ることができたとして、それがどうすれば生命維持に一役買うだけの幸運を勝ち取れるだろうか。

 池らしき廃墟の底から放射状に岸へたどりつくには、徐々に傾斜がきつくなることをまず念頭に置かねばならない。角度と重力の計算を甘く見ると、数度登攀を試みては絶望に叩き落とされる×学習能力を身をもって知らされる。濡れてすべる石造りの傾斜は容赦なく王妹を転ばせ、地に叩きつける。底にみるみるたまっていく雨水のなかに落ちては這い上がり、それを繰り返すうちに王妹の柔肌は擦り傷まみれになる。、全身の擦過傷からは体温とともに体液も流出、吹き降ろす風は濡れそぼった衣類をわずかに乾かしがてらその温度を容赦なく奪ってゆく。

 すでに王妹がはいずりながら出てきた穴は、排水溝としての役割を立派に勤め上げており、天露をしのぐ仮の宿りにもならない。

 かといって、このおわんの底から這い上がらなければ雨風から身を隠すすべも無い。

「これ、もしかして詰みましたわね?」

 はいずる気力さえ使い果たし、かろうじてまだ水没していない石組みの上にぺたりと座り込んで王妹は瞑目した。

「前向きに考えればアレね、乾いて死ぬのはまぬかれたわね」

 これからの可能性は二択で答えられそうである。ひとつにはなんとか這い上がる努力を続けた挙句に体力を消耗しきってもうすでに浅くはない水面に倒れ伏し、水死。もうひとつはこのまま水位が上がっていくまで体力を温存し、そしてやっぱり水死。

「まさか、このわたくしが水死とか、ないわマジ。ここはお約束来るパターンですわ。わかってますわよ、これまで眠っていた才能がいま開眼!ですのね?何系の魔術が発露するかしら、水系だったら水死の確率倍率ドンなんだけど…」

 マイナス方向に傾きそうになる思考を振り払って、成せば成ると念じつつ意識を集中しつつ、五分経過。そして十分経過。

「さすがに現実ですわね、お約束まるっと無視とは…」

 硬く閉じていた目を急に開いたせいか、視界がゆらぐ。

「あれ?」

 眇めた目で視点をあちこち動かしていると、なにか見たことのないものが見えた気がした。

「この場で決して見えてはいけない三途の川的ななにかだったらどうしましょう」

 この期に及んでのんきなものであるが、その発見が王妹の生死を分けた。

 淡く発光する黄色いリング。

 この場に似つかわしくなく、なにをなすためのものかはさっぱりわからず、でも無視すると水死二択とあっては躊躇も何もなく不明物体の元に近づくしかない。

 気持ちは水没していない落石の上を軽やかに渡り、あっというまにリングの元にたどり着く、しかし現実はよどんだ水をかきわけたまにすこんと意識を失いながら、朦朧とした状態でじわじわとリングに近づいていた。

「ううん、なんでしょうねえこれ」

 石組みの隙間にごくごく薄い黒い板状のものがさしはさまれ、件のリングはその黒い板に溶接されているように見える。

「えい」

 躊躇したところで水死な王妹は怖いものなどない。リングに指をかけてぐいっと板を持ち上げた。

 磨耗した敷石の感じからしてもう少し砂を噛むなりして抵抗があるかと思いきや、それは思いのほかするりと石の隙間から飛び出てきた。

 カチリと小さな音がして、石版の根元が固定される。それを合図にしたかのように、池を構成する石組みに無数の小さな光が点滅した。

「いまのは…いなびかりを見間違えたとか?…ではないようね」

 黒い石版に目をおとすと、こちらも同様の光の明滅を確認できた。

 そして光の粒は石版の上を自在にうごめいてくっついたり離れたりしてめまぐるしく移り変わる。

 それをただ座してみていた王妹は、一瞬そのなかに文字列を見た気がした。

 よくよく見ると、それはたしかに文字らしかった。光の粒が規則的な形を作って形状を維持したままゆるやかに情報へスライドし、下からは次々と別の文字列が現れる。

「遺跡には失われた古代技術がいまもたまに誤作動するっていうけど…ホントにワケわからないもの出てきちゃったわね。それに、これは、なんていうか、考えてみれば当たり前なんだけどこの文字全部古語じゃないの、古語なんて当の昔に習ってさっくり忘れたわよ!」

 それでも過去の記憶をたぐりたぐり、文面を読むうち少しずつ古語の文法を思い出す。

 しかし文字列のスクロールスピードは結構早く、王妹が古語の意味を読解する前にどんどん消えていってしまう。

「え、エラー? 終了?ふがいない終了…じゃなくて強制終了、選択示、猶予、…あ、文字がとまった」

 王妹はかろうじて判読できた文字を反芻しながらこの板からのメッセージを読み解こうと頭を絞りまくった。が、最後の画面に書かれた古語のうち、解読できた「猶予」「再起動」「カウントダウン」のそれぞれの意味に不穏なものを感じた王妹はもっとよくスクリーンを覗き込む。

 案の定、最後の数字は刻々と減っていっていた。

 減っていく数字の隣には二つの単語がある。さすがにその意味はたがえることはなかった。

「イエスかノーか…。って、なにがよ!」

 回答を求められても問題がわからないのでは答えようがない。

「えい」

 緊張に耐えられず、王妹は「ノー」と書かれた部分を指先でタッチした。

 ぱっと石版から光が消え、黒い謎の板は微細なモーター音を立てながら元の石組みの隙間に戻っていった。

「あー緊張した」

 どっと疲労感を感じて王妹は三途の川のふちが近づくのを感じた。

「渡し守さんにはもう少し待ってもらわないとね…」

 言いながら王妹は再びリングを引き上げる。

 先ほどと同様の現象が起こる。

 今度はさっきよりもすこし冷静に文字を読むことができた。

 再び「ノー」を選択。

 意外と賢い王妹は再試行を繰り返すことにより、すべての文字列を確認することに成功した。

「えーと、少なくともところどころは読解できたわね」

 王妹は五回目の再試行あたりでいちいち端末をシャットダウンせずとも石版をタッチすることでスクロールアウトした文面を読むことができると気がついた。

 そしてゆっくりと読める速度でスクロールしながら解読できた文面を読み上げる。

「最終アクセス時の入力者情報は失われました。現在のアクセス者をスキャンしたところ、正統なアクセス権を確認しました。よって管理者権限を書き換えた後、中断された作業の復元が可能になります。管理者変更手続きはこの端末からは行えません。中枢システムに直接アクセスする必要があります。メインブリッジのセントラルコントロールルームへ実体を転移してください。また、前回の予期せぬ強制終了によりプログラムにエラーが発生した可能性があります。エラー検出のためのセーフモードでの再起動では端末を利用した転移が不可能となります。コントロールルームへの転送目的で通常モードで再起動した場合は予期せぬトラブルが起こる可能性があります。通常モードでの再起動に同意しますか? イエス/ノー カウントダウン開始後入力なき場合はシステムシャットダウンの後再びスリープモードに移行します」

 確かに読むだけは読めた。それはもう王妹を褒めていいところである。だがしかし、失われて久しい古代文明の知識は現在まで伝わっていない。

 要するに、読めはするけれどそれが何を意味するのかやっぱりわからないということであった。

「できるだけ現代語に近い言葉に置き換えて、それから古代語の授業で教わった古代人の豆知識やら微妙に怪しげな伝説やらを思い出して補足するしか、手はなさそうね…っていうかそんなことしてる間に水没タイムリミットが…」

 制限時間はせいぜい半刻、それ以上になってしまえば水面がタブレットの高さを越えてしまう。一部水没でもずいぶん読みづらくなるのに、半刻後にはもうもぐって確認するしか手がなくなってしまう。

「前半はお手上げだわー。前回の予期せぬ強制終了…ってところを無理やり現代語っぽくするなら、こうかしら? 前回はびっくりどっきりあわてて終始狼狽の末やむにやまれず遺憾なれど相互意思疎通不可。あら、余計意味がわからないわ」

 王妹が言語野をフル回転させた結果、現代語としてすらどうかと思うようなトンデモ文章が出来上がってしまった。

「これ、手法としてあってるのかしら。ほかに手がないからやるしかないんだけれども…自分で自分の翻訳読んで引くわー」

 愚痴を交えながらその後を逐次翻訳する。

「とある一定の形式において命令無視が横行するかもね。それでも敢えて設定の変更をせずに一からやり直しますか?人生を…」

 身につまされる思いがして思わず翻訳の手が止まる。

「数字を未来から過去へと流し始めますが、時の流れを止める悪魔のささやきに乗りたければお乗りなさい、茨の森で百年眠れ」

 翻訳し終わって王妹はがっくりうなだれた。

「最初の訳より意味不明になってるし」

 覚悟を決めた王妹は寒さと緊張で震える指先を「イエス」の文字に滑らせた。

 同時に石組みの光が明滅し、その光は次第に強くなる。突如足元の石組みが消えうせ視界が真っ白に染まる。

 何が起きたのか理解できぬまま、王妹の意識は光に溶けた。

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