第8話「赤点のムジカントム」 Bパート①
「ヨシノ、なんかえらく疲れてんね」
とある朝の登校風景。歩くのも精一杯。
震える足を辛うじて動かすヨシノ。軽やかな足取りで、
幾度となくヨシノを追い越してしまいそうになる凪。その息遣いに、
友人が行ったテスト勉強の凄まじさを、凪は漠然と理解する。
「…いや、何したらこうなんの!?」
気息奄々。虫の息のヨシノ。さすがの凪も、
いくらなんでもテスト勉強でここまで著しい体力の消耗をするわけがないと、
ヨシノに何があったのかを問い詰める。肩を揺すって、ポロッと溢れたのは、
ヨシノの行った勉強方法。
「ビームとか…」
「び、ビーム!?」
教室に入るヨシノの歩幅は、酒など無くとも千鳥足。
今まで見せたことのない、あまりの様子。隣の賢界もさすがに困惑。
目を見開き。机に倒れた大切な友人の背中を揺らし。そのまま手を握り。
友人を見つめるその瞳は、激しく揺らぎ。忘れてはならないが、
イーヴィルタキオンを使ってヨシノを殺しにかかったのは、賢界。その人である。
「嫌だ!死なないで!ヨシノさん!!」
「こ…殺そうとしたよねこの前」
あれはヨシノさんがルミナタキオンとして、
試練の一つくらい乗り越えられるから。
確かに賢界は、その信念を以てイーヴィルをぶつけたのだが、
命を狙われたも同然のヨシノにとっては、天秤がどっちに傾くこともない。
それとこれとは違うわと、目に涙を溜めながらヨシノを気遣う賢界だが、
当のヨシノ本人としては、力の抜けた体でもなお、脱力する他ない。
「今日は中間テストだけど、みんな勉強してきたか?」
いつの間にか始まったホームルーム。ヨシノの担任も、
生徒たちの健闘を祈るように、或いは不安を煽るように。
中間考査の開始を宣言する。ええい、やってやるわ!
先程の死に体の姿は何処へやら。震える体に思い切り力を込めて、
ヨシノは己が身体を再起動させる。
「フフフ…気合十分だな、ルミナタキオン」
「へ?」
間髪入れず。聞き覚えのある声の方向に、反射的に上体をひねったヨシノが見たもの。
学生服に、絵に描いたような瓶底眼鏡。そして白い仮面。そう、ムジカントムだ。
絶叫の代替ですと言わんばかりに、歯を食い縛り顔を歪ませるヨシノであるが、
ムジカントムは鼻と腹で笑うばかり。
「安心しろ…俺はただテストを受けにきただけだ」
確かに。ヨシノの学校に乗り込んだのであれば、
今この場で生徒たちを人質に取ったり、即座に心の闇を抽出し、
ワルターにしてしまえばいい。それを行わない以上は、
この仮面男の自己申告通り、本当に試験を受けに来たのだろう。
試験に便乗して、生徒たちの心の闇を抽出しやすいように、
という前置きは必要だろうが。
「たかがテスト一つでも…人の人生を少しずつ変えていくからな」
他の生徒の認識をコントロールしているのか。
ここまで露骨な会話を行ってもなお、本来ならば存在しない座席とともに、
教室に居座っているムジカントムに対して、誰ひとり目を向けない。
頬杖をつき、恍惚の表情を浮かべながら、
生のルミナキャストの撮影現場を眺める賢界以外は。
「せいぜいお友達の心が折れない事を祈るんだな…フフフ」
決闘を正々堂々挑む行為。人間の心を利用してワルターを作り上げる行為。
それら二つは、ムジカントムの中では矛盾しない。
自身の芸術を突き詰めて、それを誇示する事。
それこそがムジカントムの命題。この男にとっては、
自分だけが世界の主役であり、他の存在は書割なのだから。
瓶底眼鏡の鼻当て部分を人差し指で持ち上げながら、
仮面男は会話を切り上げる。己が宿敵の健闘を祈るように。
ムジカントム、悪いけど。
「その時は、万全の私がワルターを退治するまでだよ」
どこへ行ったか、虫の息。決意に満ちた目、伸びた背筋。
変身せずとも。ヨシノの顔つきは既に、ルミナタキオンそのものである。
そして次の瞬間、崩れ落ちるのもヨシノであるが。
フフフ…大丈夫か?
「(金属の元素記号はそのまま書く…)」
銅はいくら重ねてもCuである。Cu2やらCu3やらと、
珍妙な回答を自主学習で行っていたヨシノは、もういない。
そして、物質が酸素と結びつくのは酸素変化ではなく、もちろん酸化。
その足裏に圧を加えつつ、問題用紙を読み進め
腹部に力を入れながら、シャープペンシルを走らせる。
「(なんだかんだ、これもアルマゲストのおかげかも…)」
アルマゲストの光線を躱し、受け止め、
四択問題を繰り返し解いていった行為は決して無駄ではなかった。
机に座って筆記試験を受ける行為において、
間違いなく必要のない所作を交えながら、
ヨシノはその勉強の成果を痛感する。
そして、答案を完成させて、そのまま崩れ落ちるヨシノ。
実際の商品はもう少し穏便な構造になっているはずとはいえ、
このような危険極まりない玩具を販売できるのだから。
宇宙のコンプライアンスというものは、
地球人にはまだまだ未知の領域である。
「はい、答案を後ろから前へ回していってください」
チャイムと共に、積み重なる解答用紙が、バケツリレーのように教壇へ向かっていく。
その満身創痍の肉体とは裏腹に、ヨシノは順風満帆に中間テストを終わらせる。
集中的に勉強した理科は当然として、その他の科目も手ごたえあり。
「やっと終わった~…」
後は、見直し忘れが無いこと、そして、
前提知識が間違っていないことを祈るのみである。
脱力したまま、机に引っ付くように体を伸ばす。
「ムジカントムは!?」
そのまま勢いよく立ち上がる。
試験に集中して、前提が抜け落ちていたが、ムジカントムも中間テストを受けていたのだ。
試験の日程が一通り終わった今、成績不振の生徒の心の闇を吸い取って、
今すぐにでもワルターを生成可能な状況。そして、ヨシノの目に飛び込んだのは、
机に引っ付くように力の抜けたムジカントム。
そう、中間テストに撃沈したのだ。
「…ワルター!?」
そして、ムジカントムの体から、
そのまま黒い影が噴き出していく。
ワルターの仮面がムジカントムの心に呼応し、
そのまま触媒としたのだ。
いつの間にか誰もいなくなった教室。
そこに鎮座する、燕尾服をまとった巨大な黒い影。
これこそがムジカントム・ワルターである。




