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レポ 落とし物の街  作者: 智珠
第二巻 名前をなくした街

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第044話 拾い納め

 朝の玄関は昨日より一つぶん狭い。


 傘立ての前に段ボールの箱が置いてあった。中身は新聞で、上まで詰まっていた。出したのは母で、昨日の夜。


 箱の横に紙が貼ってあった。朝のうちに出す、と書いてあった。紙は貼り直した跡があって、角が二重になっていた。


 灯は箱を横へ寄せた。動かした先で、箱の底が土間の縁に当たる。音は一度きり。


 傘立てには傘が五本。灯のは三番目で、木の柄の先が他の四本より少しだけ上に出ていた。柄の内側には祖母の字があった。字は柄の同じところにあって、そこだけ色が濃くなっていた。


 五本のうち、動いた跡があるのは二本だけだった。祖母のと、母の。あとの三本は底の位置が昨日と同じところにあった。


 灯は自分の傘の柄へ指を掛けて、上へ少しだけ引く。引いた先で手を離すと、金物の底へ落ちて、落ちた音が一度した。


 祖母は上がり口にいた。手は上着の前で合わせてあった。


 上着の前は昨日と同じところで留めてある。留め具は上から三つ目までで、四つ目から下は開いていた。


 「今日も学校かい」


 「うん。箱の日だから」


 祖母は傘立てのほうを見なかった。見ているのは灯の靴の先で、そこから目を上げなかった。


 「弁当はいるかい」


 「いらない。すぐ帰る」


 祖母はうなずいた。それから、上がり口の縁へ手を掛けて、少しだけ体を低くする。低くしてから、また戻した。


 灯は靴のかかとを土間の縁へ二度当てた。二度とも同じ高さの音がした。


 外は昨日より明るくなっていた。空の色は薄くて、雲の切れ目が東のほうに一本だけ入っていた。切れ目の幅は指三本ぶん。


 切れ目の中は、まわりの雲より白く見えた。白いところの端は、右のほうだけがぼやけていた。


 門の前で、灯は一度だけ振り返った。玄関の戸は閉まっていた。閉まった戸の下の隙間から、土間の明かりが細く出ていた。


 祖母はまだ上がり口に立っている。立っているのは足の影で分かった。影は隙間の幅のところで二度切れていて、切れ目の間が動かない。


 道は八百歩ぶんある。灯は数えなかった。数えるのは学校のある日だけになっていた。


 数えないと、道は短くなる。同じ角を二つ曲がって、二つ目で塀が終わる。


 塀の終わりで、道は駅前の広いところへ出た。年末の朝の広場には人が四人いて、四人とも荷を持っていた。


 荷はどれも同じ紙の袋で、袋の口だけが違う。


 改札の時計は八時六分。腕の時計は八時五分。差はいつも同じ向きに出る。


 灯は改札の手前で足を止めた。学校のある日はここで止まらない。止まれば、そのぶん遅れる。


 今日は間に合わせるものが無かった。


 改札の向こうは階段で、階段の上がホームだった。上から音が下りてきた。鉄が鳴って、それから風が来ていた。


 風は改札を通って、灯の前まで届いた。トンネルの中の空気は外より温いはずで、当たったものは温くない。


 灯はもう一度、改札の向こうへ目を上げた。


 電車が入ってくる音は、止まる手前で一度だけ上がった。それから、下がる。


 戸の開く音は届かなかった。届いたのは、人の足が階段を下りてくるほうになる。


 下りてきたのは七人。七人とも改札を出て、広場のほうへ散っていった。向きは四つに分かれていた。


 四つのうち一つは、灯の立っているほうへ向いた。その人は灯の横を通って、そのまま後ろへ抜けていった。


 上着の裾が灯の鞄(かばん)へ当たった。左の側になる。


 灯はその七人を最後まで目で追う。後ろから来る者はいなかった。


 電車の出ていく音は、入ってきた時より長かった。細くなって、途中で切れる。


 灯は改札の前から動かずにいた。上の音はしばらくするともう一度そろい直す。次のが来るまでの間、駅は静かになるらしい。


 灯は地下への階段の口を見た。今日は下りない。多田が言った時刻は午前で、下りて上がる時間は入らない。


 灯は改札に背を向けて歩き出した。


 校門の内側の掲示板には、四枚の紙が貼ってあった。十二月の一枚は右から二番目。四日前に読んだ紙で、日付は二十日のままだった。


 灯はその下の小さい字をもう一度読んだ。置き場所のことが書いてある。字の下の縁が波を打っていた。紙が湿ってから乾いていた。


 四枚の紙は画びょうの数が違う。十二月のは四つ、あとの三枚は二つずつ。


 昇降口の戸は片側だけ開く。冬休みは片側で足りる。開いていないほうの戸の下に、砂が細く寄っていた。


 開いた側の戸の車輪が、下のところで一度だけ音を返した。


 寄せたのは風。人の手なら、境がまっすぐに切れていた。


 砂の中に、青い紙の切れ端が一つ交ざっていた。灯はそれを拾わなかった。


 灯は自分の名前の下から上履きを出した。甲の内側の字は二十一日に書き足したままだった。上と下の二つは小さくて、真ん中の一つより濃い。


 灯はそれを履いた。かかとを指で起こす。減っているのは内側のほうだった。


 廊下の窓は北を向いていた。朝のうちは日が入らない。床の色は端から端まで同じ暗さに見えた。


 昇降口の内側で、みずきが上履きを履いていた。冬休みの三日目に学校で会ったのは、灯は初めてだった。


 「おはよう」


 「おはよう。箱、見に来たの」


 「箱。見にきただけ」


 「あたしは部活。今日は二時間だけ」


 みずきはしゃがんだ姿勢でかかとを指で二度起こしていた。


 みずきは立って、上履きの先で床を一度こすった。こすった跡に色は付かない。


 こする音のほうが、みずきの声より高く聞こえた。


 こする音は、廊下の側へ抜けていった。冬休みの校舎は、音の行く先が決まっていた。


 みずきの上履きのかかとは、外側だけが減っていた。灯のは内側から減る。二人の減り方は四月から逆のままだった。


 教室の戸は開いていた。机はいつもの場所にある。人は一人だけだった。


 灯は自分の席へ着く。天板の木の目は右の端で一度切れていて、そこから先だけ向きがずれていた。


 灯は指の腹でその切れ目をなぞった。四月からずっと同じ場所にある切れ目で、なぞる度に爪の先が一度だけ引っかかる。


 机の中は空。教科書は二十二日に全部持って帰っていた。中の板には、消しゴムのかすが二つだけ残っていた。


 二つのかすは、同じ大きさになっていなかった。大きいほうは角が丸く、小さいほうは角が立っていた。


 灯は指を入れて、二つとも手のひらへ載せた。載せてから、机の横のごみ箱を見る。ごみ箱に袋は入っていなかった。


 灯はかすを上着のポケットへ入れた。入れた先で、指の先にまだ二つの形が残っていた。


 ポケットの底には、四月からの綿ぼこりが薄く敷かれていて、かすはその上に載ったまま沈まなかった。


 窓のところの壁には、給食の献立表がまだ貼ってある。二十三日から先の枠は白かった。白い枠は九つ並んでいた。


 白い枠には線だけが引いてあった。線を引いた紙がまだ掛かっているぶん、冬休みは表の内側にあることになる。


 黒板の右の端には、二学期の残りの予定が二行のまま残っていた。二行とも横線で消してあった。線は定規で引いてあって、字の幅からはみ出していなかった。


 消した線の下の白い粉は、まだ黒板の縁に残っていた。粉は端のほうへ寄っている。消した者は右から左へ拭いた。


 線を引いた者は、引く前に字の幅を測っていた。灯はその二本を見て、下に空いている場所のほうを見た。空いているところには何も引かれていない。


 柊は窓側の一番前にいた。机の上には何も出ていない。両手は膝の上で、右のほうだけが上着のポケットへ入っていた。


 窓側の一番前は、朝のうちだけ日が当たっていなかった。壁の側になるからで、柊はいつもそこにいる。


 灯は自分の席から柊の背中を見た。上着の肩は、片方だけが下がって見えた。


 灯は職員室の前まで歩いた。戸は開いている。中の石油の匂いは、天井の側へ上がって、そこで止まっていた。


 多田は入口に近い机にいた。左手に紙の束、右手には何も持っていなかった。


 束は二つに分けてあった。上のほうが薄くて、下のほうが厚い。多田はそれを机の上へ置いて、上の束だけを右へずらす。


 ずらした先の角は、机の縁とそろっていた。そろえたのは置いた後で、置く時ではなかった。


 「先生、いいですか」


 「灯。どうしましたか」


 「箱、今日ですか。体育館の裏の」


 「今日です。午前に来ます」


 多田は暦のほうを見なかった。目は灯の顔の高さのところにある。


 「片づけは、あと何人来ますか」


 「来る人は決まっていません」


 多田はそれだけ言って、下の束を左へずらした。ずらした先も、机の縁とそろっていた。


 職員室の中で音を立てているのは、奥のほうの一人だけだった。紙をそろえる音が、間を空けて三度した。


 三度目のあとは何も来ない。灯は戸のところで待ってから、そこを離れた。


 離れる時、机の上の紙が一枚だけ風で動いて見えた。


 *


 冬休みの廊下で音の出るところは決まっていた。職員室と、その先の給湯室と、体育館の側の戸。


 灯は教室へ戻る間に、三つを順に聞いた。


 教室に戻ると、柊はまだ同じところに座っていた。座り方も、灯が出ていく前と同じに見えた。


 みずきの席は廊下側の一番前で、そこは朝から空のままになる。


 窓の外は明るいままだった。雲の切れ目は朝より広がっていて、幅は指五本ぶんになっていた。


 灯は窓の下の暖房へ手を当てた。入っていない。冬休みは職員室だけだった。


 暖房の金物の上には、埃(ほこり)が薄く一列にたまっていた。列の幅は指一本ぶん。端のところだけが切れる。


 切れているところは、誰かが物を置いた跡。置いた物の大きさは、灯の手のひらより小さかった。


 当てた手のひらは、金物のぶんだけ冷えて戻る。灯はその手を上着の袖へ入れた。


 「柊くん」


 柊は顔を上げた。それから、机の中へ手を入れる。


 「柊くんの箱、久しぶりに見た」


 「知らない」


 柊は箱を出した。小さい箱で、蓋は別になっていた。十二月の初めに灯が横から見た時より、角の紙が擦れて見えた。


 蓋を開けると、中は仕切ってあった。厚紙を切って、縦に二本、横に一本。それで六つに分かれていた。


 二十三日前に見た時、中は仕切っていなかった。物は底へ直に入っていて、置き方だけが決まっていた。


 左上に金物の輪。灯の持っているのより一回り小さいものが並んでいて、大きさの順に置いてある。


 その右にボルト。ボルトは頭の形で分けてあった。六角のものと、溝が一本のもの。溝が一本のほうは少なかった。


 「これとこれ、下が同じじゃん」


 「頭がちがう」


 「下で分ければいいのに」


 「下は回らない」


 灯は六角のほうを一つつまんだ。指の腹で回すと、溝の側の面が順に来る。六つ来て、また一つ目へ戻っていた。


 戻ったところで、灯は指を止めた。止めた先の面は、最初に上を向いていた面と同じだった。


 「これ、六回で戻る」


 「戻る」


 「柊くん、それも知ってたの」


 「知ってた」


 右上には片方だけの耳の物。三つ。三つとも線の付け根が同じ向きに折れていた。


 三つの折れ方は、深さが少しずつ違った。一番深いものは、折れた先が反対側へ回って見えた。


 三つの並びは、崩すと元へ戻らなくなる。灯は指を近づけずに数えていた。


 三つとも、切れた側の縁が同じ形に潰れて見えた。同じ工具で切った跡になっていた。


 下の段の左は石。石は色で分けてあるように見える。灰と、灰より白いもの。


 灰のほうが多かった。白いほうは三つ。三つとも角が丸い。


 真ん中は紙。折り目の付いたものと、丸めた跡のあるもの。字の書いてあるものは無い。


 折り目の付いたほうが多く見えた。丸めた跡のあるものは二つで、二つとも同じ大きさに丸めてあった。


 「字の書いてあるのは、入れないほう」


 「入れない」


 「なんで」


 「誰のか分かる」


 鞄のほうを、灯は一度見た。中には四つ折りの紙と、青い表紙のノート。二つとも字のあるものになる。


 灯の舌が上あごへ一度当たって、そこで止まった。


 右下は空だった。


 横の厚紙はまっすぐではなくて、右へ行くほど下がっていた。右下が一番浅い。


 灯はそこへ指を伸ばして、触る前で止めた。


 「右の下だけ、まだ入ってない」


 「どれでもないやつ」


 柊は指を右下の区画へ置いた。すぐに離す。


 「今は空だけど」


 「ある」


 柊はポケットへ手を入れた。手はしばらく出てこない。出てきた時、手のひらの上に金物が一つ載っていた。


 平たくて、真ん中に穴が一つ開いている。穴の縁は片側だけ潰れていた。


 「それ、輪に見えるけど」


 「輪だと思ったやつ」


 灯はそれを見た。輪ではない。輪なら穴の縁の厚さがそろう。これは片側が薄く、その側に細い傷が三本。向きは三本とも同じで、間の幅もそろっていた。


 鞄の底を布の上から押した。六つの形が出る。六つとも縁は丸かった。


 「これ、輪の仲間じゃないんだ」


 「別のところ」


 「でも輪のところに入れないんだ」


 「入れたら分かんなくなる」


 柊は金物を右下の区画へ置いた。置くと、仕切りの厚紙より低くなって、上から見ると区画の底の色に近くなる。


 「置いたら見えなくなるじゃん」


 「見える。おれは見える」


 柊は蓋を持ち上げて、箱を傾けた。その先で、輪だけが左上の中で寄る。寄る音は一度きり。


 寄る前に、箱の底が机の板を短く鳴らして聞こえた。


 「いま動いたの、どれ」


 「輪。三つ」


 「三つって、よく分かる」


 「音が三つ」


 柊は箱の縁を持ったままでいた。指の先は白くない。持つ力が要らない重さに見えた。


 灯は箱の中をのぞいた。左上の輪は寄って、隅で重なる。何個あるかは、上から見ただけでは分からない。


 重なった二つのうち、下のほうは縁が欠けていた。欠けた側を上にする者はいない。柊は置き直していない。


 「数えてないでしょ」


 「数えてない」


 「じゃあ三つって、なんで分かるの」


 「三つ鳴った」


 灯は笑った。声が出て、出た先で自分でも止まらなかった。


 止まってから、口の横のところがしばらく元へ戻らない。


 「三つ鳴ったら三つってことか」


 「三つ鳴った」


 「四つ鳴ったら」


 「四つ」


 「零だったら」


 「入ってない」


 灯は箱の中をもう一度のぞいた。左上には輪が、隅で重なっていた。零ではない。


 零ではないのに、柊は零の答えを持っていた。持っていて、使わないままにしていた。


 「もう一回やって」


 柊はもう一度傾けた。今度は前より浅く見えた。


 「今のは」


 「二つ」


 「二つ鳴ったの」


 「二つ鳴った」


 灯は三度目を頼まずにいた。代わりに、自分の鞄を持ち上げて、底を横へ傾けた。中で輪が寄る。


 「今の何個」


 柊は少し考えた。その間、目は灯のほうを見ていない。


 「六つ」


 「当たり」


 「六つは音が長い」


 「長いだけで数が分かるんだ」


 「六つは長い。七つはもっと長い」


 灯は七つ入れたことがなかった。入れたら長いのかどうかも、七つを持っていないので確かめられなかった。


 「七つは聞いたことないんだ」


 「無い」


 灯はもう一度鞄を傾けた。今度は前より深く倒す。中で輪が寄って、寄った先で止まる。


 「今のは」


 「六つ」


 「同じにしたつもりないけど」


 「同じ六つ」


 柊は自分の膝の上へ手を下ろした。手はまた右のポケットへ入る。


 柊は自分の箱の蓋を閉じた。それから、机の中へ戻す。戻す時に、机の縁で箱の角が一度引っかかった。


 引っかかったところの紙は、前からそこだけ白くなっていた。何度も同じ角が当たっていた。


 灯は自分の机の中へもう一度手を入れた。指に当たるものは、消しゴムのかす二つだけだった。


 天板の裏の金具には、赤い粉が浮いていた。粉は四月からそこにあって、指で押すと落ちる。灯は押さなかった。


 「柊くんのは、いくつあるの」


 「知らない」


 「数を知らないのに、分けてる」


 「分ける。数えない」


 「数えたら、いくつか分かるのに」


 「分けたら分かる」


 「分けても数は分かんないでしょ」


 「分かる」


 灯は箱の蓋の裏を見た。裏には何も書いていなかった。紙の色は表より薄くて、真ん中のところだけ指の跡で濃くなっていた。


 蓋の四隅のうち、二つだけが内側へ折れ癖を持つ。折れているのは開ける側の二つだった。


 跡は一か所ではなくて、同じ場所に何度も付いていた。押さえる指の位置が、いつも同じところにあった。


 鞄の口を閉めた。指の下で、青い表紙のノートの角が布を押し返していた。


 戸のところにみずきがいた。部活の帰りで、鞄はもう肩に掛かっている。教室にいるのは三人になっていた。


 みずきは通路を一本ぶん寄って通る。通り道が灯の机の横。


 「よいお年を」


 「よいお年を」


 灯は顔を上げた。その時、みずきはもう半歩先へ出ていた。


 四日前、みずきはこの掲示板の前に立っていた。袖の内側の手で、紙の下の縁を押さえている。灯はそれを門の柱のところから見ていた。


 みずきは戸のところで一度だけ足を止めた。戸の枠へ手を掛ける。掛けた手はすぐ離れた。


 離れた先の枠に、手の形は残っていなかった。木の色は掛ける前と同じに見えた。


 廊下を行く音は、四歩めで曲がっていた。曲がってからは、板の鳴り方が低くなる。


 窓の外で車の音がした。門のほうから来て、校舎の裏へ回っていった。音は途中で一度低くなって、それから止まっていた。


 柊は窓のほうを見た。それから、灯のほうへ目を戻す。


 「業者」


 「二十五日って言ってた」


 「行く」


 柊が立ち上がった。椅子の脚が床を擦って、その音のほうが車の音より大きかった。


 *


 体育館の裏へ回る道は、渡り廊下の途中から折れた。両側とも壁が無い。柱は六本で、間の幅はどれも同じだった。


 六本目の柱で渡り廊下が終わる。その先は土で、今日も締まっていた。踏んでも沈まなかった。


 柱の根元には、雨の落ちる線が一本ずつ入っていた。線の側は六本ともそろっている。


 張り出した屋根の下の壁を、細い線が横に切っていた。塗り替えの境に見えた。下のほうが新しかった。四日前にみずきがその線の下へ背中を付けていた。


 灯は同じところへ手のひらを当てた。壁が温くなるまでに、四つ数える。


 二度目は五つ。三度目はやらなかった。


 青い箱は三つとも無かった。


 箱のあったところの土は、まわりより色が薄い。四角い跡が三つ、間を空けて並んでいた。跡の縁は指でなぞれるほどはっきりしていた。


 三つとも、縁の四辺のうち一辺だけが薄れている。庇(ひさし)の側の一辺。庇の縁から落ちたものが、そこへ一列に当たっていた。薄れ方は三つとも同じ幅で、指の腹一つぶんだった。


 灯は一つ目の跡の四辺を目でたどった。長い辺と短い辺の差は、灯の手のひらの半分ほど。三つとも同じ形をしていた。


 灯は一つ目の跡の縁へしゃがんだ。しゃがむと、土の冷たさが膝の前から来た。


 跡の内側の土は、まわりより色が薄い。給食の器を持ち上げた後の給食台に似ていた。


 跡の内側の土には、細かいものが落ちていなかった。外側には枯れた葉と、砂と、給食の粉の牛乳に似た白いものがあった。それは指で触ると付いて、袖でこすると取れた。


 匂いは土と、その上に鉄。鉄のほうは新しく来ていた。灯は二度吸って、口から出す。三度目に来るものは無かった。


 鉄の匂いは、二度目のほうが強く来た。


 鉄の匂いは車の止まっていたあたりから、一番強く来た。灯はそちらへ三歩寄って、そこで止まる。


 止まった先の土に、油が丸く落ちて見えた。丸は二つで、大きいほうが手のひら、小さいほうが親指の頭ほどだった。丸の縁のところだけ、土の色が濃かった。


 大きいほうの縁は、触れば指に付く。付けば上着でこすっても取れない。


 丸の内側には土が浮いていて、浮いた土だけが乾いていた。下はまだ乾いていなかった。


 「三つとも持っていかれた」


 「行った」


 柊は二つ目の跡の前にいる。手はポケット。灯はそちらを見上げてから、目を土へ戻した。


 二つ目の跡の内側に、一つだけ物が残っていた。


 上履きだった。片方だけで、底を上にして落ちていた。灯は手を伸ばして、底のほうから持ち上げた。


 底の模様は真ん中に丸が三つ。四つのほうが新しいと、みずきが言っていた。これは三つだった。


 甲の内側を光のほうへ向けた。字はあった。三つの形が並んでいて、上と下は丸だけになっていた。真ん中も丸に近かった。丸に近い。ただし丸ではない。


 灯は指の腹でその上をなぞる。布の目が指に引っかかる場所は無い。どこも同じ手ざわりだった。


 四日前に読めたものは四つで、四つとも十二月二十一日の放課後に無くなっていた。これは読めるほうではない。


 灯は上履きを持ったまま立ち上がった。立つと、膝の前だけが冷たいまま残る。


 持ち上げた重さは、思っていたより軽かった。片方だけで、中身も入っていない。それでも、手の中で形が崩れずに立っていた。


 かかとのところの布は、内側だけが薄くなっていた。灯の上履きも、減るのは内側だった。


 薄くなったところの布の目は、まだ切れていなかった。切れる手前で、履く者がいなくなっていた。


 柊は三つ目の跡のところにいた。しゃがんで、跡の縁の土を指で押している。押した先の土は沈まなかった。


 「柊くん」


 柊は顔を上げた。


 「これ、どこに入る」


 灯は上履きを持ち上げて見せた。柊はそれを見た。目を向けていた時間は、灯が三つ数える間だった。


 「入らない」


 「これは入らない」


 「大きい」


 手の中のそれを、灯はもう一度見た。柊の箱に入る大きさではない。仕切りの厚紙より、上履きのほうがずっと大きく見えた。


 柊は立ち上がって、渡り廊下のほうへ二歩歩いた。歩いてから、一度だけ振り返る。


 「持ってく」


 「あたしが持ってく」


 柊はそれ以上言わない。言わないで、そのまま渡り廊下のほうへ戻っていった。柱の六本目のところで、上履きの底が土の縁で一度滑る。滑ってから、柊は足を横へ置き直した。


 灯はもう一度しゃがんだ。三つの跡は、間の幅がそろっていなかった。一つ目と二つ目の間は靴の二足ぶん、二つ目と三つ目の間は三足ぶんある。


 四日前に並べた時は、三つとも壁に付けて置いてあった。いま残っている跡は、壁から指四本ぶん離れていた。運ぶ時に一度手前へ引いていた。


 引いた跡が土の上に細く残る。四角い跡の壁側の辺から、手前へ向かって二本。二本の間は箱の幅と同じだった。


 灯は二本の跡を指でなぞった。なぞると、指の腹に土が付く。付いた土は、跡の内側の色ではなくて、外側の色をしていた。


 跡の外側の土に、車の輪の跡が二本入っていた。二本の間は灯の肩幅より広かった。跡の底は乾いていて、今日の土の色より薄く見えた。


 跡の縁は片側だけが立っていて、そちらが車の止まった側。


 灯は輪の跡を目でたどった。跡は校舎の角のところで切れていた。そこから先はアスファルトになって、跡の付く場所が無くなっていた。


 風が来た。校舎と体育館の間を抜けてきた風で、まっすぐ顔へ当たる。髪は後ろへ寄って、耳の縁だけが出た。


 冷えるのは耳の縁だけ。灯は襟へ指を掛けて、そのまま下ろす。


 もう帰っていいのだと灯は思った。


 灯は三つ目の跡の前から動かなかった。膝の前の冷たさは、しゃがんでいた時のまま残っていた。


 跡の内側の土へ、手に持っていないほうの指を置く。指の腹に土は付かなかった。


 三つの跡の内側は、どこも同じ色をしていた。庇から落ちたものは、四角の内側までは届いていなかった。


 灯は跡の中へ立ってみた。立つと、足が二つとも内側に収まる。箱の底の面積は、灯の靴の二足ぶんより少しだけ広かった。


 立った先の土は、上に箱の載っていたぶんだけ踏まれずに済んで見えた。


 四日前の昼にここへ来た時、箱は壁に付けて三つ並んでいた。灯は一人でその前にしゃがんで、二十三を土の上へ全部出して、それから底を上にして戻した。戻した順は、大きさでも字の濃さでもなかった。


 いま立っている場所は、そのうちの三つ目の箱の内側。四日前に灯が最後の一足を入れたのは、一つ目の箱だった。


 灯はそこに立ったままで、四日前に数えた数を口の中に置いた。十三足で二十三。読めるのは四つ。四つはその日のうちに無くなって、残りの十九が今日までここに在っていた。


 二十三から四を引くと十九。十九から一を引くと十八。灯は手の中の片方を見て、その引き算を二度やった。二度とも同じ数だった。


 鞄の中のノートは、四つ角の紙のところで止まる癖がついていた。開けば、そこが出てくる。


 出てくるのは二十一の名で、名の下の線は九つが太かった。数は四日前から動いていない。


 跡の外側の土に指を置くと、そちらは付いた。灯はそれを袖でこすった。こすると取れて、袖の色は変わらない。


 灯は手の中の片方を、三つ目の跡の内側へ一度だけ置いてみた。置くと、底の丸三つが土に浅い跡を作っていた。


 持ち上げても、丸は残っていた。指で押しても消えない。


 押した指の下で、土だけが少し沈んで見えた。


 灯は同じ場所へもう一度置いてみた。置いた先で、丸は前の丸とわずかにずれる。ずれた幅は爪の半分ぶんだった。


 二度目の丸のほうが深かった。押した力が違ったことになる。


 灯は鞄の口を開けた。中は筆箱と、青い表紙のノート。輪は下の段に六つ。


 上履きを入れると、ノートの上に載る形になった。底の丸三つが、青い表紙の真ん中のところに当たる。


 鞄の口を閉めて、外側から一度だけ押す。六つの形は出てこなかった。上履きのぶんで、布の張りが変わっていた。


 空の雲の切れ目は、朝の指三本ぶんから、昼の指五本ぶんを通り過ぎて、いまは体育館の屋根の端から端まで届いていた。中の色はまわりの雲より白かった。


 そこから先は広がらなかった。


 四角い跡の内側に、丸が三つ残っていた。

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