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レポ 落とし物の街  作者: 智珠
第二巻 名前をなくした街

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第034話 二度降る

 十二月十四日の夕方、空の色が東の道の上から抜けはじめた。


 灯は四つ角の真ん中に立って、それを見上げた。抜けるのは色だけで、雲は動いていなかった。雲の縁が薄くなって、その先が白へ寄っていった。夏に見た時も同じ順。


 キリは台の板を外していた。外した板を壁へ立てかけて、脚を四本とも横へ倒していた。倒す速さが、いつもより速かった。


 台の上に何も載っていなかった。夕立の日は名前を書かない。書いても、書いた札を持って帰る前に上から何か来る。灯はそれを四日前にキリから聞いていた。


 「畳むの。まだ日があるけど」


 「夕立だ。台を出しとくと、上から来たやつで板が割れる」


 灯は板の立てかけてある壁を見た。壁の下の跡は四日前と同じ場所に四つ並んでいた。今日はその横に五つ目が付いている。


 「割れたことあるの」


 「二度ある。板は三枚目だ。一枚目は三年前で、二枚目は去年だ」


 灯はその数を口の中で置いた。三年前。二日前に聞いた四年とは、そろわない。


 そろわない数を、灯は今日は数え直さなかった。


 灯は倒した脚のうち、一番短い一本を持ち上げた。持ってみると軽い。木の中が乾いているからだと灯は思った。


 脚の断面には輪が出ていた。数えられる細さではない。四日前に数えようとしてやめた輪と、同じ一本。


 脚を壁のところまで運んで、板の横へ寄せた。寄せた先で、キリが上に袋を載せた。袋の重さで、板は少しも動かなかった。


 四つ角の四つの道のうち、南は坂の上へ向かっていた。あとの三本は平らか、下っている。夕立の日は下る二本のほうが先に人で埋まった。物は低いところへ集まるからだと、灯は夏に一度そう決めていた。決めてから、確かめてはいない。


 風は東の道から来ていた。来た風は四つ角の真ん中でぶつかって、上へ抜けていった。抜けたぶんだけ、灯の髪の右の側が持ち上がった。


 空の色は東からしか抜けない。西の側はまだ濃く残っていた。濃いところと薄いところの境が、屋根の高さのあたりで一本の線になっていた。線は動いていなかった。


 灯は首を後ろへ倒して、その線の下を端から端まで見た。端まで行くのに、二十を数える。


 「何が降るの。今日は」


 「知らん。降ってみないと分からん」


 「前は何だったの」


 「前は紙が多かった。その前は金物だ。続けて同じものは来ん」


 「じゃあ今日は」


 「布か木だ。三回に二回は布だ」


 「当たったことあるの」


 「四回に三回は当たる。外れた一回は雪が降った」


 「雪って、降るの」


 「降る。落とし物の雪だ。手のひらで消える」


 灯は聞き返さなかった。キリは消えるとは言わなかった。


 キリは袋の口のひもを締めた。腰のところで結び目を作っていた。結び目は上へ来た。上へ来ると、走る時に膝へ当たらずにすむ。


 袋は夏に見た時より、縫い直したところが増えていた。縫い目の糸は三色で、色の違う三本が同じ袋の上に並んでいた。一番新しいのがどれかは、糸の毛羽で分かる。


 灯はその一番新しい糸を、目で追った。先は袋の底のほうへ回って、そこで見えなくなっていた。


 鞄(かばん)のひもの下で、トトが揺れていた。揺れ方は風のぶんだけ遅れる。


 朝から、トトはそこにいた。丘から連れて出たのは灯で、連れて出た理由は自分でも作れずにいた。


 「おねえさん、これから降るよね。僕、分かるんだ」


 「何が重くなるの」


 「僕の布だよ。降る前に一回だけ重くなるんだ。ねえ、便利だと思わない」


 「重くなってから、どのくらいで降るの」


 「そこまでは分からないんだ。重くなるのは分かるけど、いつかは分からないよ」


 灯はトトを鞄のひもから外した。手のひらの上に平らに置いた。


 「ぬれると二日乾かないんでしょ」


 「二日だよ。よく覚えてるね。でも大丈夫。僕は端のほうから乾くから、真ん中さえぬれなきゃいいんだ」


 「真ん中って、どこ」


 「どこだろう。この辺かな。それとも、もう少し上かもしれないよ。前は分かってた気がするんだ」


 灯は鞄の口を開けて、トトを中へ入れた。場所は輪の側ではなく筆箱の反対の側。


 「真ん中が分からないと、どこを守ればいいか分かんないじゃん」


 「そうだね。だから全部守るんだ。三百年、端から順に守ってるよ。順番は毎日変えてる」


 「入っとく。ぬれるより」


 「入ってていいの。じゃあ入るよ。僕は暗いのは平気なんだ」


 鞄の口を、灯は上まで閉めなかった。指一本ぶん開けて、そこで止めた。


 東の道の先で、人が二人こちらへ走ってきた。走りながら上を見ている。見上げたまま走るので、足元の石を二度踏み外した。


 二人とも布の袋を持っていた。袋の口は開けたままで、片方は肩へ掛け、もう片方は腰の前で抱えていた。抱えているほうが速かった。


 四つ角の店の三つは、戸を半分だけ閉めていた。半分だけ閉めると、中の者が外を見たまま手を伸ばせた。上に何か当たっても、戸の板が受け止める。


 一番北の店の軒の下に、木の桶(おけ)が三つ伏せて置いてあった。伏せた底に、前の夕立の跡がまだ残っていた。跡は丸く、縁だけが黒く残っていた。


 キリは走らなかった。壁のところで袋のひもを確かめて、それから四つ角の真ん中の石を見た。


 北の道の坂の上から、荷車が一台下りてきた。荷は空。下りきったところで向きを変えて、そのまま西の道へ入っていった。荷は夕立の前に上へ戻る。


 押していたのは大人が一人で、下を向いていなかった。上も見ずに通り過ぎた。前だけを見て、四つ角を通り抜けた。


 「そこ、どく」


 灯は一歩よけた。よけた先の石はまわりより色が薄かった。四角く区切ってあって、その中だけ黒く汚れていた。


 拾い場だ。同じ石の上で、灯は同じことを言われている。言ったのは台の後ろの男の子で、いまは二歩ぶん左に立っていた。背の高さだけが違っていた。


 あの日、灯は縁の外に立って、青いスコップを一つだけ拾った。今日は袋を持ってきていない。持っているのは鞄で、口は指一本ぶん開けてあった。


 「今日はどこで拾うの」


 道の石の色が、四つ角の真ん中から順に濃くなっていく。濃くなる速さは、灯が数えて七つぶん。数え終わると、真ん中が一番濃かった。


 「拾い場だ。石の内側がいちばん落ちる」


 「外じゃ拾えないの」


 「拾える。拾った物は拾った奴のものだ。だが外は三つに一つも来ん」


 人はまだ増えていた。北の道からも来ていた。来た者は拾い場の外側に立って、四角い石の縁に爪先を並べた。その先を、誰も越えずにいた。


 縁の内側に立っているのは、キリを入れて四人。四人とも袋を持っていて、四人とも上を見ていなかった。見ているのは足元の石で、目の高さは同じところに止まっていた。


 灯は四人の立ち方を見比べた。膝の曲げ方が四人とも同じで、片足だけを半歩前へ出していた。前へ出しているのは、四人とも右。


 四人の袋は口の開き方が違っていた。キリのは指の三本ぶん。隣の者のは大きく開いていて、その隣は半分だけ開いていた。一番端の子供のは、口を折り返して外側へ広げてあった。


 広げてあると入れるのは速かった。速いかわりに、走ると出てしまう。


 灯も右足を半歩出した。出してから、鞄の持ち手を握り直した。持ち手のへこみは、いつもの場所にあった。


 灯は縁の内側へ入って、キリの二歩ぶん右に立った。


 石の縁の内側は外より少しへこんでいた。長い間、人が立って、物が落ちてきたぶんだけ下がったことになる。へこみの深さは灯の靴の底ほども無い。灯はそこへ靴の先を入れてみた。


 灯は靴の先で、その縁をなぞった。縁の石だけ角が丸くなっていて、内側の石は角が残っていた。踏まれる場所と、当たる場所が違う。


 立ったところで、上を見た。


 雲の白いところが、一度だけ厚くなった。


 *


 最初に落ちてきたのは、小さいもの。


 落ちてくる前に、上の音が変わった。屋根と屋根の間を抜けていた風の音が、一度だけ低いところへ下りた。下がりきったところで止まって、そこから何も聞こえなくなった。


 聞こえなくなったのは、灯の耳が上のほうへ向いたからかもしれない。


 灯の三歩ぶん先の石で、何かが一度跳ねた。跳ねてから横へ転がって、拾い場の縁のところで止まった。誰も動いていなかった。


 二つ目が落ちた。三つ目は屋根に当たって、そこから道へ落ちた。


 屋根に当たったものは、必ず一度跳ねてから来ていた。跳ねると向きが変わって、落ちる場所が読めなくなる。灯は屋根の側を見るのをやめて、真上だけを見た。


 そこから先は数えられなかった。


 空の低いところが物でいっぱいになって、落ちてくる速さが上と下で違う。上のほうはゆっくり見えた。下へ来るほど速く見えた。灯は目を上げたままにした。上げたままにしていると、どれが自分の前へ来るかが早く分かった。


 水は混じらない。


 匂いは布が先に立った。布の下に、乾いた木と、その下に金物。三つとも上から下りてきた匂いで、四つ角の石の匂いとは別に来た。


 肩に一つ当たった。当たりは痛くない。落ちたのは布で、膝の横へ滑り落ちた。


 灯はしゃがんで、それを拾った。細長い布で、端が縫ってある。縫い目は粗かった。中は空。


 次に来たのは金物になる。指の長さほどの、平たい金物。真ん中に穴が二つ開いていた。灯は拾って、鞄の外の物入れへ入れた。


 金物は冷たかった。上から来たものは、来る前のところの温度をそのまま持ってきた。


 落ちてくるものは、大きさが決まっていない。灯の手のひらに乗るものと、両手でも抱えられないものが、同じ空から同じ速さで来ていた。大きいほうは拾い場の外へ落ちた。外へ落ちるのは外のほうが広いからだと灯は思った。


 石の上に、櫛(くし)が一つ落ちた。歯が三本欠けていた。欠けた場所は端ではなく真ん中で、そこだけ間が空いていた。


 その横に、子供の靴が片方。左。


 その先に紙の束が一つ落ちていた。ひもで縛ってあって、結び目は固い。落ちても解けなかった。


 どれも、誰かが持っていたものだ。


 灯はそこまで考えて、手を止めなかった。止めると数が減っていく。


 拾い場の中で、四人が同時に動いていた。動き方は四人とも違っていた。キリは膝を落とさずに、腰から先だけを折って拾った。折る回数が少ない。一度折って、二つか三つをまとめて取る。


 灯は一度に一つしか取れなかった。取ってから、次を見ていた。見てから、また目を落とした。


 二人目は膝を石に付けていた。付けたまま腕だけを前と横へ動かしていた。動く範囲は狭いが、拾い落としが無い。


 三人目は立ったまま。落ちてくるものを上で受けて、そのまま袋へ入れていた。受け損ねたものは、石に当たってから拾い直す。


 四人目は灯より小さい子供で、両手のほかに口も使っていた。ひもの付いたものを口でくわえて、両手を空ける。


 四人とも、拾い場の縁を一度も越えずにいた。越えると落ちてくる数が減る。


 縁の外に、灯と同じくらいの背の者が立っていた。手ぶらで、袋を提げていなかった。落ちてくるものを見ているだけで、手は動かさなかった。


 その者の足元へ、木の器が一つ落ちた。縁が欠けていた。欠けた断面は白い。


 拾わなかった。縁の外だから拾えるはずなのに、手は動かなかった。灯は目を戻した。戻す前に、その者の靴の先が縁から指一本ぶん内側に入っているのが見えた。


 拾い場の石の色が、拾ったぶんだけ変わっていった。落ちてくるものが石の粉を巻き上げて、その粉が薄く積もる。踏んだところに、靴の底の跡が残った。


 「両手だ」


 キリの声が左から来た。灯は左手で鞄の持ち手を握ったままでいた。


 「持ってるから。置くとこない」


 「置け。石の上なら踏まれん」


 灯は鞄を足の間へ置いた。それから、両手を出した。両手にすると、拾える数が変わる。変わるのは数だけで、選び方は変わらずにいた。


 三度目にしゃがんだ時、木の札が落ちてきた。


 札は灯の靴の先に当たって、そこで止まった。木の色は白くない。日に焼けた色で、縁が一か所だけ丸くなっていた。


 灯はそれを拾った。


 上の穴にひもは無い。切ったのではなく、抜けていた。穴の縁から下へ、細い黒の跡が伸びる。


 表に字が二つ入っていた。


 二つとも、下の線が太かった。


 灯は札を持ったまま手を止めた。上からはまだ落ちてきていた。落ちてくるものが二つ、灯の肩と腕に当たって、そこから下へ行った。灯は拾わなかった。


 字は灯のもの。木の目が横に走っているところへ書くと、灯は下の線を太くする。夏に一度、そう決めた。決めたのは灯で、教わってはいなかった。


 二つの字を、灯は口の中で読んだ。読んでから、そのまま置く。四つ角で書いた札は、書いた相手が持って帰っていた。持って帰ったものが、空から落ちてくる筋はどこにも無かった。


 鞄の底に、青い表紙のノートが入っていた。紙の下の段に、十二月に入ってから書いた名が四つ。四つのうちの一つが、いま手の中に来ていた。


 灯はノートを出さなかった。出すには両手がふさがっていた。


 「灯」


 キリの声がまた左から来た。


 「手が止まってる。止まってるあいだも降ってる」


 灯は札を鞄の中へ入れた。置く場所はトトの上ではなく横。それから、また両手を出した。


 両手を出しても、次の一つは取れなかった。手が遅れたぶん、物は石に当たって縁の外へ転がる。


 外へ出たものは外の者のもの。灯は転がった先を見ずにいた。


 落ちてくるものは、高いところでは一つずつ離れていた。近くまで来ると、離れていたものが重なって見える。


 灯は落ちてくる先を目で決めてから、そこへ手を置いておくようにした。置いておくほうが、追いかけるより速かった。


 三つに一つは手の外へ落ちた。落ちた先で跳ねて、跳ねた先はもう他の者の足元だった。


 キリは決めずに拾っていた。落ちてくる場所を見ずに、石の上へ落ちたものだけを取っている。取る速さは灯の倍で、取る数も倍になる。


 灯は自分の決め方を変えなかった。変えると、二つとも取れなくなる。


 夕立の音は屋根に当たる音と石に当たる音で高さが違う。屋根のほうが低く残った。石のほうは短くて、二度目が来ずに切れた。


 鞄の口から、トトの声がした。


 「おねえさん、いま何が落ちてる?」


 「布と金物。あと木」


 「布か。布はいいね。布は仲間だから。ねえ、どんな布か教えてよ」


 灯は次の一つを取った。手に来たのは布で、細かった。トトの半分の幅も無い。


 「布が落ちてきた」


 「僕くらいの?」


 「もっと細い。ひもくらい」


 「じゃあ違うね。細いのはひもだよ。僕の幅なら、指を四本そろえたぶんあるんだ」


 鞄の口の隙間から、指の部分が一本だけ出て、また引っ込んだ。


 両手を上げたままでいると、肘から先が重くなった。正座を崩したあとのしびれに似ている。


 灯は音のほうを聞かずに、上を見ていた。上を見ていると、首の後ろが引っ張られていた。


 拾えた数を、灯は途中から数えていなかった。数えるのをやめたのは、数えると手が遅くなるから。


 やめてから、灯は落ちてくるものの向きを見るようになった。同じ向きで落ちるものと、回りながら落ちるものがある。回るほうが軽く落ちた。軽いほうが、当たっても痛くない。


 肩に三つ目が当たった。そのまま背中のほうへ落ちる。灯は振り返らずに前のものを取った。


 夕立の終わりは始まりより急。


 上の物が薄くなって、それから無くなった。無くなってから、遅れて落ちてきたものが四つか五つ。最後の一つは灯の一歩ぶん前の石に当たった。


 当たって、一度だけ高く跳ねた。落ちたところで、字のあるほうが上を向いて止まった。


 木の札。


 灯はそれを手に取った。それから、鞄の中の一枚を出した。


 出す前に、指が中で一度トトに触れた。布は乾いている。


 二枚を並べて、手のひらの上に置いた。


 手のひらの上で、二枚は同じ重さに感じた。片方を持ち上げて、もう片方を下ろしてみた。持ち上げるほうを替えても、同じ。


 灯は右の一枚を裏返した。裏は白かった。左の一枚も裏返した。そちらも白い。木の目の走る向きまでそろっていた。


 木の色も厚みも変わらない。上の穴の位置がそろっていて、穴の縁から下へ伸びた黒の跡も、長さと濃さが変わらない。


 字は二つ。二枚とも同じ字で、下の線はどちらも太かった。


 灯は縁の丸くなったところを見た。二枚とも、同じ場所が丸くなっていた。丸みの深さも、指を当てて比べると差が出なかった。


 丸くなるのは釘(くぎ)に掛けて風で当たり続けた側。二枚とも、丸いのは同じ側だった。


 灯は二枚を重ねた。縁は一分の隙間も無く合った。


 *


 拾い場の外の人が、中へ入ってきた。


 入る前に、外の者は縁の石を靴の先で押す。四人とも同じになる。


 入ってきた者はまず自分の袋を石の上へ下ろした。それから、中のものを道の端へ並べはじめる。並べる場所は決まっていて、左が大きいもの、右が小さいものだった。真ん中は空けてあった。


 道の端は拾い場より一段高くなっていた。並べる者はそこへ膝を付けて、袋の中身を一つずつ石の上へ出した。傾けると割れるものが混じっていた。


 灯は自分の拾ったものを数えた。布が三つ、金物が二つ、木のものが一つ。六つと、札が二枚。


 六つのほうを、灯は道の端へ並べた。順は左から大きいもので、まわりを見て合わせた。そろうまでに、二度の置き直しが要った。


 一度目は木のものを一番左に置いた。木か布かは関係が無く、大きさだけで並ぶ。


 置き直す間、隣の者は待たなかった。自分の並びを終えて、真ん中の空いたところを見ている。


 札の二枚は鞄の中に入れたままにした。


 真ん中の石はまわりより白かった。物が置かれては取られるので、粉が積もらずにいた。


 「出さんのか」


 キリが横に立っていた。袋の口はもう締めてあった。締めた袋の膨らみは、灯の並べた六つより大きい。


 「出さない。これは置いとく」


 「出さんなら値は付かん」


 「付かなくていい」


 キリは灯の並べた六つを見て、指を二本立てた。


 「布の一つは値が付く。縫い目が内側だ。あとの五つは、拾い場の外でも取れる」


 「一つだけなの。六つあるのに」


 「一つだけだ。三つ並べても、一つぶんにしかならん」


 値の付くと言われた布の一つを、灯は取り上げた。縫い目を裏返してみると、確かに内側で止めてあった。外から見て分からない縫い方をした者が、この布のどこかにいる。


 真ん中の空けたところへ、別の人が自分のものを置いた。灯の並べたほうを見て、一つを指す。指差されたのは値の付く布ではないほう。


 灯はうなずいた。相手は自分の並べたものの中から一つを取って、真ん中へ置いた。木の輪ではない。小さい木の玉で、表に線が二本入っていた。


 玉を受け取って、二本の線を指の腹でなぞる。線は交わらずに同じ向きで並んでいた。


 二日前に、メノの台の布の上で同じ線を見ていた。


 顔を上げた。相手はもう別のほうを向いていて、灯のほうを見ていなかった。向いた先には、まだ並べたままの布が四つ残っていた。


 二度目は灯より頭一つ高い者。並べたものは金物ばかりで、六つとも同じ形。


 その者は灯の並べた木のものを指した。指す指は人差し指ではなく、中指。


 受け取ったのは金物ではなく、白い紙だった。四つに折ってあって、開くと中は白いままで、折り目だけが四本、同じ深さで入っていた。


 灯はその紙を、鞄の底のノートへ挟んだ。挟んだ場所は名を書いた紙の裏ではなく、表紙のすぐ内側だった。二枚は厚みが違う。


 三度目は灯より小さい子供だった。さっき口を使って拾っていた者だ。


 子供は灯の並べた金物を指して、自分の布の中で一番大きい一つを真ん中へ置いた。


 灯は金物を渡した。それから、置かれた布の大きさをもう一度見た。合っていない。


 合っていないと言おうとして、灯は口を開けた。そのまま閉じる。子供はもう自分の並びのほうへ戻っていた。


 三度とも、渡したものと受け取ったものの大きさは合っていない。合っていないことを、誰も口に出さなかった。


 石の上に残ったのは、値の付くと言われた布と、渡さなかった布が一つ、それに金物が一つ。


 道の端の並びは端から順に消えていった。消えるのは早い者から。


 灯の並びも残った。石の上へ手を伸ばすのは、いつも三度目になる。


 残ったうちの一つを、キリの袋の前へ置いた。


 「いくら」


 「輪で一つだ。今日は金が出ん」


 キリの袋の口は締めたところが二重に折ってあった。二重にすると、走っても中身が出ない。


 「なんで出ないの」


 「夕立の日は、みんなが同じ日に同じだけ持つ。持ってる日に売る奴はいない」


 「じゃあ、いつ売るの」


 「三日たってからだ。三日で割れる」


 「じゃあ」


 「明日、台へ持ってこい。明日なら出る」


 キリは布を取らなかった。取らないで、灯の鞄のほうへ顎を向けた。


 「二枚のほうは、どうする」


 灯は鞄の口を開けた。中から二枚を出した。手のひらの上に並べると、外の光では木の色の差がもっと小さく見える。


 キリは二枚を見た。それから、片方を指の先で裏返した。裏は何も書いていなかった。もう片方も裏返した。そちらも白い。


 「二度降ったな」


 「二度降るの。同じ物が」


 「降る。年に何度かある」


 「同じものが、二回」


 「同じものだ」


 「どっちが先なの」


 「先も後も無い。二枚とも降った」


 「二枚とも本当なの」


 「本当だ。俺の勘定では二枚だ」


 「じゃあ、どっちがほんとの」


 キリは答えなかった。答えないで、袋を肩へ掛け直した。


 キリは二枚を灯の手のひらへ戻した。戻す時、指は札の面に触れなかった。触ると値が落ちる。


 「二度降ったやつは、二枚あるから半分だ」


 灯は二枚を手のひらの上に置いたままでいた。


 その間に、袋の底がキリの膝へ一度だけ触れた。音は布と布で、遠くまでは行かない。手のひらの上の二枚は動かなかった。下の石は乾いていた。


 「半分って、いくつ」


 「一枚ぶんだ」


 灯は二枚を鞄へ戻した。戻す時、片方を先に入れた。先に入れたのがどちらだったかを、灯は入れてすぐに忘れた。


 キリは北の道のほうへ二歩歩いて、そこで止まった。止まった先で、袋のひもを巻き直す。巻き直す回数はいつも一度。


 「明日は台を出す」


 「行く」


 「来い。二枚のほうは持ってくるな」


 「なんで」


 キリは答えを置かずに、北の道へ入っていった。坂の途中の、右側の壁が切れているところで背中が消えた。消える場所は四日前と同じになる。灯はそこを二度見た。二度目には坂の上まで何もいなかった。


 道の端で、人が自分の並べたものをまとめはじめた。まとめる音は低い。布と布が重なる音で、石には当たらなかった。


 空はもう抜けきっていた。抜けた先の色は夏の夕立のあとより薄かった。


 道の石の上に、拾われなかったものがまだ残っていた。大きいものばかりで、脚の折れた棚が一つ、道の真ん中に立っていた。人はその横を避けて通る。避け方が慣れていた。


 夏にも同じものを見ていて、あの時は机だった。動かす者は今日もいない。


 灯は棚の前で足を止めた。板に手を置く。天板は乾いていて、押すと少し動いた。


 字は無かった。彫った跡も残っていない。


 拾い場の石の上に、灯の並べた跡だけが残った。跡は六つぶんで、大きさの順に並んでいた。並べ替えた二度目の跡は、一度目の上に重なって消えていた。


 灯は首の後ろへ手を当てた。引っ張られるところが、まだ痛い。上を見すぎたからだと灯は思った。


 思ってから、手を下ろした。しばらくすると、痛みは強くなった。上を見ていない時のほうが強く来た。


 人の数は来た時より速く減った。北と東の坂を上る者が一番多い。


 鞄の口から、トトの指の部分が一本だけ出ていた。


 「おねえさん、終わった?」


 「終わった。もう降らない」


 「僕、何も降ってこなかったよ。中にいたからね。ねえ、中にいると降らないんだよ」


 「降ってても分かんないよ」


 「分かるよ。当たったら分かるからね。当たらなかったんだ」


 灯はトトを鞄の口から少し引き出した。布は乾いていた。指の部分は五本とも、朝と同じ長さ。


 トトを戻して、鞄の口を閉めた。


 板の台の前を通る時、灯はもう一度その口を開ける。


 トトを出して、板の下の風の入らないところへ入れる。そこの土は乾いていた。


 「ここで待ってて」


 「待つよ。僕は待つのは下手じゃないからね。ねえ、何日待てばいい」


 灯は答えを作らなかった。作らずに、板の下をのぞく。指の部分は一本も出ていない。


 帰りの道は来た時より人が多かった。遅れて来た者は上を見ずに歩いていた。


 灯は南の道の右を歩いた。決めたのは去年の夏で、行きは右、帰りは左になる。今日は帰りも右のままだった。


 道の途中の壁の下に、拾われなかったものが二つ残っていた。大きい木の枠と、布の塊になる。


 灯はその布の横を通った。過ぎてから、一度だけ振り返る。


 坂の途中で、灯は左へ寄った。左を歩くと、壁の側が近くなる。壁は下から三分の一の高さまで湿っていて、乾いたところとの境は横一線で切れていた。


 扉の前で、灯は鞄の口を開けた。


 輪が四つ。木の玉が一つ。布が三つに、金物が一つ。白い紙が一枚。


 札が二枚。


 鞄の中で、二枚は重ならずに立っていた。筆箱の横に挟まったからで、向きは二枚とも同じ。


 灯は二枚を出して、扉の横の光の下で並べた。


 一枚に、二つの字が残っていた。下の線は太いままだ。


 もう一方の札には、何も書いていなかった。

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