↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レポ 落とし物の街  作者: 智珠
第一巻 わすれもの

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/50

第003話 落とし物の夕立

 傘の間は思っていたより歩けた。


 立っている傘と傘の間に、人の通る幅がきちんと空いていた。誰かが並べたのだと灯は思った。倒れているものが一本も無い。教室の机を全部後ろへ寄せた日の床に似ていた。あの時も、寄せたあとの通り道だけがまっすぐだった。


 歩くと、柄が肩に触れた。当たった傘は少し揺れて、また止まった。倒れない。


 入口の三本は、覚えた通りの並びだった。四十一。その隣が九十。その隣が二百六。


 そこから先は覚えていない番号ばかりになった。灯は十歩ごとに札を見た。三百、四百、五百を過ぎたところで見るのをやめた。


 天井の細い明かりは、歩いても近くならない。上にあるのではない。天井そのものが線を持っていた。


 空気は最初の匂いのままだった。乾ききらない布の匂い。歩くうちに、その中へ別の匂いが混じってきた。外の匂いだった。土と、日に当たった金属と、どこかで何かを煮ている匂い。


 灯は足を速めた。速めてから、傘に肩をぶつけた。ぶつけた傘は倒れずに、また戻った。


 途中で一度、傘の並びが切れていた。切れたところに丸い場所があって、そこだけ何も立っていない。灯はその真ん中に立ってみた。四方が傘で、上は暗い。


 自分の靴音だけが返ってきた。返り方が近い。壁は見えないのに、遠くはないのだと知れた。


 灯は大きく息をして、来た方をふり返った。傘の列はどちらも同じ形で、来た側が分からない。


 分からなくなってから、灯は札の番号を思い出した。四十一、九十、二百六。番号は入口の近くにあった。大きい方へ進めば、入口から離れる。


 灯は大きい方へ歩き出した。


 前が明るくなった。


 明かりは天井の線ではない。低いところから来ていた。灯は最後の一列を抜けた。


 その先に木の扉が一枚、内側へ開いたままになっていた。石の壁にはまっていて、色は壁と同じ。灯は肩を先に入れて通る。


 外だった。


 外に出て、灯はまず空を見た。


 夕方の空だった。日は低い。低いのに強くて、目を細めないと正面が見えない。


 灯は自分がここへ入った時刻を思い出そうとした。母が十時過ぎに改札を抜けて、それから通路を歩いて、川辺さんと話して、棚の裏へ入った。夜だった。夜に入って、夕方に出た。


 分からないことは分からないままにして、灯は歩き出した。母がよくそうする。全部を一度に考えると、どれも中途半端で終わった。


 道には石が敷いてあった。石の間から草が出ていて、踏むと少ししめる。裸足ではないのに、足の裏が石の形を覚えた。靴の底が薄くなっているせいだと思った。


 建物は低い。二階建てが多くて、屋根の形がそろっていない。丸いのと、とがったのと、平らなのが並んでいた。灯は数えようとして、七つ目でやめた。


 どの屋根にも物が載っていた。


 最初は葉かごみだと思った。近くで見ると違っていた。片方だけの手袋。折れた傘。子供の長靴が片方。それが屋根の上に、置いたのではなく落ちたままの形で載っていた。


 灯は立ち止まった。


 屋根の物には、流れて落ちた跡が無かった。この降り方に水は混じらないのだと知れた。


 一つの屋根の端に、ばけつが逆さまに引っ掛かっていた。落ちそうで落ちない。下を人が普通に歩いていた。


 灯はそこで足を止める。


 道の先から人が来た。頭の上に荷物。かごではなく、板を頭に載せて、その上に物を積んでいた。積んであるのは、やはり片方だけの靴と、蓋の無い水筒だった。


 その人は灯の前で止まって、空を見た。


 「屋根の下、入っといたほうがいい」


 言うだけ言って、また歩いていった。灯は後ろを見た。今出てきた扉の場所。道に面した石の壁。木の扉で、色は壁と同じだった。あの色でなければ、二度と見つけられない。灯は扉の右の石を目で数えた。上から三つ目が欠けていた。


 覚えた。


 道は緩く下っていた。下りた先に広い場所があって、そこで四本の道が交わっていた。人はその四つ角のあたりに多い。灯は道の右の端を歩いた。行きは右と、灯は決めている。


 人の背が高い。大人ばかりではなく、灯と同じくらいの子供も混じっていた。歩き方が速い。誰も走っていないのに、みんな灯より先へ行く。


 服の色が薄い。青も赤も、洗いすぎた体育着の色をしていた。よく見ると、どの服も少しずつ形が違っていた。同じ形の服を着ている人が二人といない。


 人の話し声が聞こえはじめた。何を言っているかは分かる。言葉は灯の知っている言葉だった。ただ、話の中身が分からない。半分と、合わせと、次のぶん。その三つが何度も出てきた。


 灯は聞きながら歩いた。聞いても意味は増えない。増えないままで、耳だけが慣れていく。


 道の両側に店が並んでいた。戸を開けたままの店ばかりで、中の物が外まで出ていた。売っているのが何かは、見ても分からなかった。鍋と、片方の靴と、ひもの束が同じ台に載っていた。値段が書いていない。


 台の上の物には、どれも小さい札が付いていた。番号だけの札で、字は無い。灯は一番手前の台の札を見た。七、と書いてあった。その隣も七。三つ目は三。


 同じ数の物が同じ台に並べてあった。七の台には傘と、傘の骨と、柄の外れた傘。三の台には鍵ばかりが積んであった。灯は自分の家の鍵を思い出した。郵便受けの上から取って、ポケットの底へ入れた鍵。今もそこにある。


 一の台には財布が並んでいた。大きいのと小さいのと、糸のほどけたのが十個ほど。灯は財布を持っていない。持ったことも無い。買う時は母が出す。


 店の人は台の前に立っていなかった。全員が空を見上げていた。


 灯も見上げた。


 空の高いところに、点があった。一つではない。数えられないほどあって、どれも少しずつ大きくなっていた。近づいているのだと分かるまでに、灯は三つ数えた。


 誰も動かない。店の人も、道を歩いていた人も、その場で止まって上を向いていた。止まり方に慌てがない。信号が赤に変わった時の、横断歩道の手前に似ていた。


 灯の隣を、荷物を頭に載せた人がまた通った。今度は走っていない。歩いたまま軒の下へ入って、板を下ろした。


 最初の一つが屋根に当たった。


 板の上で一度跳ねて、それから道へ落ちた。片方だけの靴だった。


 灯は駆け出した。どこへ逃げるかは決めていない。人の走る方へ足を向けた。左の店の軒が深くて、そこに七人ほど入っていた。灯はその一番端に入った。


 入ってすぐ、音が変わった。


 最初は一つずつ。屋根に当たる音が、間を空けて聞こえた。その間がだんだん詰まって、途中から数えられなくなった。屋根も道も、店の前の台も、全部が鳴っていた。雨の日に、取り込みそこねた洗濯物の上を雨が打つ音に似ていた。ただし落ちてくるのは水ではない。


 灯は軒の下から道を見た。


 物が降っていた。


 片方の手袋。鍵。子供用のスコップ。二本の傘。骨だけのものと、布の付いたものが両方あった。落ちても誰も差さない。差さないどころか、傘を見た人が一人もいない。


 降り方に順番。軽い物が先に来て、重い物が後から来た。紙とひもと布が先に落ちて、その上へ靴や鍋が来た。灯は上を見ていて、首が痛くなって下ろした。下ろした先の道に、さっき見た子供の長靴が転がっていた。屋根から落ちたのだと知れた。


 匂いが変わった。強くなったのは土の匂い。物が石に当たる度に、道の粉が立って、その粉が匂った。運動場に水をまく前と同じ匂い。


 軒の下の七人は、誰も上を見ない。見ているのは道だった。目の高さは道の上。どこに何が落ちたかを、落ちた順に目で追っていた。数えているのは一人。


 灯も数えようとした。四十まで数えて、そこで二つが同時に落ちて、数が分からなくなった。


 隣に立っていた女の人が、灯の腕を軽く引いた。引いてから、道の真ん中を指差した。指の先に、落ちてくる大きい物。


 机だった。


 脚が一本折れていた。道の石に当たって、跳ねて、横になった。鳴ったのは一度。誰も驚かなかった。


 「今日は大きいのが混じるね」


 女の人はそう言って、また空を見た。灯は返事をしなかった。返事の仕方が分からない。


 軒に当たる物もあった。板の裏で音がして、その音だけ低い。低い音がすると、七人のうち何人かが少し体をずらした。当たる場所が分かっているらしい。


 灯の足元にも一つ落ちてきた。下敷きだった。角が丸くなっていて、裏に線が二本引いてあった。学校で使うのと同じ形をしていた。同じ形なのに、字が一つも書いていない。灯の下敷きには、右の上の角に名前がある。学校へ持っていく物には全部ある。


 拾おうとして、手を止めた。人の物。灯は手を引いた。


 音がゆるんだ。


 詰まっていた間が、また空きはじめた。最後の一つが遠くで鳴って、それきり何も落ちてこない。


 軒の下の七人が、一斉に外へ出た。


 *


 七人はそれぞれ別の方へ走った。


 走り方が違っていた。まっすぐ行く人と、道の端を拾いながら行く人がいた。端を行く人の方が遅いのに、手に持っている物は多かった。速いのは端を行かない人。


 灯は軒の下に残った。残ってから、自分だけが残っていることに気付いた。軒の下は灯一人。


 道には物が散らばっていた。落ちた時の形のままで、どれも向きが違っていた。踏まないと歩けない量ではない。石の見えているところの方が広い。


 灯は一番近い物を見た。片方だけの手袋で、指のところが黒い。持ち主の使い方が指に出ていた。


 拾わなかった。


 拾う理由が無い。手袋は要らないし、これは灯の物ではない。


 少し先で、女の人が同じ手袋を拾った。拾ってすぐ、道の反対側へ放った。放った先に立っていた男の人が受け取って、頭の板の上へ載せた。


 「片方だけ、そっちで足りる?」


 「足りない。もう片方は先週のぶんだ」


 二人はそれで話が済んだらしい。女の人は次の物を拾いはじめた。


 灯は二人を見ていた。手袋の片方に、先週のぶんという物があるらしい。


 灯は手袋の指の黒いところを、もう一度見た。黒いのは親指と人差し指の先だけ。


 黒いのは右だった。落ちているのは右の手袋で、左は落ちていない。左を持っている人が、どこかにいる。


 灯は左を探そうとして、やめた。探す物が増える。


 道の向こうで、子供が三人しゃがんでいた。石の間に落ちた小さい物を、順に拾って比べていた。比べてから、大きい方を持っている子が小さい方の子に渡した。渡された子が笑った。


 灯は自分の口の形が変わっているのに、しばらくしてから気付いた。


 何が面白かったのかは分からない。子供が三人しゃがんでいただけだ。それでも口の形が戻らなかった。灯はそれを、走ったから腹が減ったのだと思った。昼に弁当を食べたきりになる。夜に扉へ入って、夕方に出てきた。間のぶんだけ何も食べていない。


 一つ拾ってみることにした。


 灯が選んだのは、赤い柄の小さいスコップだった。子供が砂場で使うやつで、先が欠けていた。持ってみると軽い。


 持ってから、どうすればいいのか分からなくなった。


 三人の子供のうち一人が、灯のほうへ来た。灯の持っているスコップを見て、それから自分の持っている物を出した。同じ形の、青いスコップだった。


 交換するらしい。


 子供は二つを地面に置いた。置いた先で灯の顔を見て待つ。灯がうなずくまで、手を出さない。


 うなずくと、赤を取って走っていった。青いスコップも先が欠けていた。欠けの浅いのは赤の方。


 損をしたのだと灯は思った。思ってから、また口の形が戻らなくなった。


 道の端に男の人。両手いっぱいに紙を抱えていた。抱えきれずに落として、落とした紙をもう一度拾って、また落とした。三度目で下に置いて、上着を脱いで、その上に集めた。集まったのは紙の山。周りの二人が笑っていた。男の人も笑っていた。


 「毎回それやってる」


 通りすがりの人が灯にそう言った。灯にというより、近くに居たから言ったという言い方だった。


 灯は青いものを探しはじめた。


 道に落ちているのは、思っていたより色が少ない。茶色と灰色と黒がほとんどで、青はたまにしか無い。あっても布ではなかった。青い皿。青いばけつ。青い表紙の本。


 布は落ちていた。布ばかり集めている人が一人いて、その人の板の上に十枚ほど載っていた。灯は近づいて、板の上を見た。


 青は二枚。どちらも大きい。手のひらより大きくて、糸も太い。


 その人は灯が見ているのに気付いて、板を少し傾けた。見やすいようにしたのだと知れた。灯は首を横に振った。振ってから、礼を言っていないことに気付いた。


 「ありがとう」


 言うと、その人は板をもとの高さへ戻して、そのまま行った。返事は無い。返事が無いのは、いらないという意味に見えた。


 灯はもう一度道を見た。


 布は他にも落ちていた。灰色と、白と、花の柄。どれも大きい。手のひらに載る大きさの布が、一枚も無かった。


 小さい物は先に拾われるのだと、灯は思った。


 道の先で、二人が言い合っていた。片方が鍋を持ち、もう片方が同じ鍋の蓋を持っていた。二つを合わせると一つになる。


 「先に見つけたのはこっちだ」


 「蓋の無い鍋は、鍋じゃないよ」


 合わせた鍋を、二人は両方で持ったまま歩いていった。どちらが持ち主になったのかは分からない。二人とも笑っていなかったが、怒ってもいなかった。


 灯はその後ろ姿を見ていた。二人は鍋と蓋を両方の手で持って、並んで歩いていった。


 拾う人には順番があるらしい。同じ物に二人が手を伸ばした時、後から来た方が手を引いた。引いた方が損をした顔をしていない。


 灯はその二人を見ていた。引いた方の人が、少し先で別の物を拾って、さっきの人に見せた。見せられた人がうなずいた。それで終わりだった。


 どこにも札は無い。番号も名前も書いていない。それでも順番は守られていた。守らせている人が居るわけでもない。


 道の端に、片方の靴が並べてあった。誰かが並べたのだと分かる。左ばかりが二十足ほど、向きをそろえて置いてあった。その先は右ばかりの列。数は合っていない。右の方が少ない。


 右の列の端に、赤い長靴が一つあった。子供のもので、屋根から落ちたやつだと灯は思った。ここまで運んで、向きをそろえて置いた人が居る。


 運んだ人は、これが左と合うと思ったのだと灯は考えた。合わなければ、この列はいつまでも伸びる。


 灯は左の列の前でしゃがんだ。しゃがんで、端から順に見た。同じ形の靴が二つあるはずだと思った。無かった。二十足とも形が違っていた。


 「合うのは月に一度あるかないか」


 声は上から来た。さっき紙を落としていた男の人。上着に紙をくるんで抱えていた。


 灯は立ち上がった。男の人はもう歩き出している。


 灯は青いスコップを持ったまま歩いた。歩くうちに、道の物が減っていった。減ると石がよく見えた。石は同じ大きさに切ってあって、並べ方に順番があった。目地がまっすぐ通っていて、どの筋も途中で折れない。


 道の物はもうほとんど残っていなかった。降ってから、灯が三十を数えるほどの間で無くなっていた。残っているのは大きい物だけで、脚の折れた机はまだ道の真ん中にあった。


 机の周りを、人が避けて通っていた。避け方が慣れていた。誰も動かそうとしない。


 灯は机に手を置いた。天板は木で、端がささくれていた。押すと少し動く。三本の脚で立っているのに、思ったより安定していた。


 机の上に、名前は書いていなかった。


 灯は手のひらで天板をなでた。字を彫った跡も無い。学校の机には必ず何か書いてある。消しても跡が残る。この机には、何も残っていなかった。


 拾い終わった人たちが、道の端で物を並べはじめた。並べ方に決まりがあるらしい。左に大きい物、右に小さい物。真ん中は空けてあった。


 空けてあるところへ、別の人が自分の物を置く。置いてから、相手の並べた物を見る。見て、指で一つを指し示す。指を向けられた人がうなずくか、首を横に振る。声はほとんど出ない。


 灯は三組を見た。三組とも同じやり方をした。金は一度も出てこない。


 一組だけ、長く話しているところがあった。年上の女の人と、灯より小さい子供の二人だった。子供が持っているのは、片方だけの手袋を五つ。女の人が持っているのは、大きい紙の束。


 女の人が紙を一枚めくって、子供に見せた。子供は首を横に振る。もう一枚めくった。また振る。三枚目で子供がうなずいた。


 それから、子供は手袋を三つ渡した。五つ全部ではない。二つは自分で持ったまま帰った。


 灯は三枚目の紙を見ようとした。遠くて見えない。字が書いてあるのか、絵なのかも分からなかった。


 交換が済むと、二人は自分の物をまとめて別々の方へ歩き出す。挨拶もしない。次にどこで会うかも言わない。


 夕方の光が低くなっていた。物の影が道の石の上へ長く伸びて、影のほうが物より大きく見えた。灯は自分の影を踏もうとした。踏めなかった。前に伸びているので、追いつけない。


 四つ角まで来た。


 角の四つのうち、三つには店があった。残りの一つは空いていた。空いた場所に、板を渡した台が一つだけ置いてあった。台の上には何も載っていない。


 台の後ろに、男の子が座っていた。


 *


 年は灯と同じくらいに見えた。背は少し高い。上着の袖が長すぎて、指の先しか出ていない。


 台の上に何も載っていないのに、その子は台の後ろから動かなかった。


 灯が前を通ろうとすると、声を掛けてきた。


 「そこは拾い場だ。立ってると踏まれるぞ」


 灯は足元を見た。周りと違う石の色。四角く区切ってあって、その中だけ物が落ちた跡で汚れていた。


 灯は一歩よけた。


 「あんた、手ぶらで来たのか。それは損だ」


 男の子は台に肘をついた。灯の手にある青いスコップを見て、それから灯の顔を見た。


 「三日で二百は拾える。今日はもう八十いった」


 台の上には何も無い。八十がどこにあるのかは分からなかった。灯は台の後ろを見ようとした。男の子が体をずらして、見えないようにした。見えたのは板の裏。


 「あたし、傘は探してない」


 言ってから、灯は言い直した。


 「青い布の、小さいやつ」


 男の子は少し黙った。黙ってから、指を三本立てた。


 「青い布なら、この街に千は落ちてる。全部違う」


 言いながら、指は三本立てたままだった。灯はその三本を見ていた。何の三本かは言わない。


 「あたしのは、結び目が固い」


 「結び目が固いのは千のうち六百だ」


 灯は黙った。数が本当かどうかは分からない。分からないが、その言い方は本当のことを言う時の言い方だった。


 男の子は台から出てきた。出てきて、灯の周りを一周。灯の靴を見て、袖を見て、手を見た。


 「あんた、こっちの人間じゃないな」


 灯は答えなかった。


 「持ってる物が全部そろってる。片方だけの物が一つも無い」


 男の子は自分の靴を見せた。左右で形が違っていた。色も違う。


 「拾った物は拾った奴の物だ。ここの決まりになる」


 言いつつ台の下から袋を出した。袋の口を開けて、中を見せる。中には小さい物ばかり入っていた。ボタンと鍵。蓋の取っ手と、ねじ。


 「これで八十だ」


 灯は袋の中を見た。数えるつもりで見て、途中でやめた。


 「何に使うのか分からない」


 「使わない。売る」


 男の子は袋の口を閉めた。閉め方が速い。指が二回動いただけで結び目ができた。


 「ボタンは一つで一。鍵は三。取っ手は五だ。ねじは二本で一になる」


 値段を言う時だけ、その子は灯の顔を見た。見て、灯が覚えているかどうかを確かめている目をしていた。灯は覚えた。ボタンは一で鍵は三。取っ手は五で、ねじは二本で一。


 「ねじ二本で一なら、一本は」


 「一本は零だ。片方だけのねじは、ねじじゃない」


 灯はそれを聞いて、息が一つ飛んだ。吸い直した。地下の空気が濃すぎたのだと灯は決めた。


 男の子は台の上を手で払う。何も載っていない台を払って、そこへ袋を置いた。


 「あんた、金は」


 灯はポケットに手を入れた。入れてから、出した。ポケットには鍵しか入っていない。鞄(かばん)は家の上がり口に置いてきた。財布は持ったことが無い。


 「お金は一円も持ってない」


 「持ってないのか、無いのか」


 「鞄ごと家に置いてきた」


 男の子はそれを聞いて、口の端を少し動かした。笑ったのかどうかは分からない。


 「そっちのほうが悪い」


 「あんた、名前は」


 「灯。あかりって書く」


 「書けるのか」


 「自分の名前は書ける」


 男の子は少し驚いた顔をした。驚いてから、その顔をすぐ引っ込めた。


 「キリだ」


 それだけ言って、また台の後ろへ戻った。灯は名前を口の中でもう一度言ってみた。キリ。一度で入った。忘れない自信がある。


 「キリ」


 「呼ぶな。まだ客じゃない」


 キリは笑わなかった。笑わないで、袋の中からボタンを一つ出して、台の上に置いた。灯の前に置いた。


 「持っとけ」


 灯は受け取らなかった。


 「もらう理由が思いつかない」


 「理由はこっちが決める。もらっとけ」


 灯はボタンを取った。木のボタンで、穴が四つ空いていた。片方の面だけ色が濃い。長く同じ向きで置かれていたのだと分かった。


 ボタンを持って、灯は自分の服を見た。入れるところが無い。上着は着ていない。ズボンのポケットは浅くて、走ると落ちる。


 「次の夕立は三日後だ。朝じゃない、また夕方になる」


 灯は顔を上げた。聞いていないことを言われた。


 「三日後まで待てばいい」


 「そう。それまでは何も落ちてこない。探すなら道じゃない」


 キリは袋を肩に掛けた。掛けてから、もう一度。


 「今のは客を作るぶんだ。あとで倍にして取る」


 言い方が早口になった。灯はその早口を、値段を言う時の速さと同じだと思った。値段の話だから同じなのだと、灯は片づけた。


 キリは灯の手を見ていた。手のひらではない。指の付け根のあたりを見ていた。


 灯は左の手を右手で握った。握ってから、何も無いことを思い出した。動いたのは、指にはめた白い輪ゴムだけだった。


 「そこ、何か下げてたな」


 「今は何も持ってない」


 「持ち方が残ってる。指の曲がり方が、下げてる時の形だ」


 灯は自分の左手を見る。四本の指が同じ角度で曲がっていた。伸ばして離すと、また同じところまで戻った。夏の間、ずっとそこに何か下がっていたことになる。


 自分では気付いていなかった。


 「あんた、その青いの、いくらで替えた」


 灯は青いスコップを出した。キリは受け取って、先の欠けたところを指でこすった。こすってから返す。


 「赤と替えたな。赤は先が丸い。青は角が残ってる」


 「赤と替えた。損したと思う」


 「逆だ。角の残ってる方が高い」


 灯は青を見た。言われてみると、欠けた先の形が違っていた。赤は使い込んで丸くなり、青は割れただけだった。割れた方が新しい。新しい方が使える。


 灯は欠けの形を覚えた。次に拾う時に使える。


 「あの子は毎回そうする。損をして帰る」


 キリは道の先を見た。三人の子供はもう見えない。


 灯は青いスコップを持ち直した。持ち直してから、同じ方を見た。


 「あの子に返しに行く」


 「行かなくていい」


 灯は返さずに立っていた。キリはもう一度だけ道の先を見た。見てから、台の上のボタンを一つ増やした。


 「二個目は数に入れない。一つだと片方だ」


 灯はボタンを二つ手に持った。同じ大きさではない。二つ目の方が小さくて、穴が二つしか空いていなかった。


 「合わないやつを二つもらった」


 「合うやつは高い」


 灯はボタンを二つ、手のひらの上で並べ替えた。大きい方を左、小さい方を右へ置く。置いてから、逆にする。どちらでも同じに見えた。


 並べ替えるのをやめて、指を閉じた。入れる場所はどこにも無い。落とさない持ち方は、握るしか無かった。握ると、二つが手の中で当たる。小さい音がした。灯は指をもう少し閉じた。


 「これ、どっちが高い」


 「どっちも一だ。合わないから」


 キリは袋の口を結び直す。結び方は速いままだった。


 「その形が抜けるまで、まだ日にちがある」


 「抜けたら分からなくなる」


 「抜ける。手のほうが先に忘れる」


 キリはそこで言葉を止めた。止めてから、袋の口の結び目を指でつまんで、また離した。


 「番号を言っとく。傘は七で、鍵は三で、財布は一になる」


 「傘が七なのは覚えた」


 灯は道の店の台を思い出した。七の台には傘と傘の骨。三の台には鍵。一の台には財布。番号は値段ではなくて、物の分け方だった。


 「そう。ただし、あんたの探してるやつは七に入らない」


 「七じゃないのは知らなかった」


 「布は布だ。布に番号は付かない。付かない物は店に出ない」


 灯は少しの間、道の石を見ていた。


 「じゃあ、どこにある」


 言ってから、灯は自分が聞いたことに気付いた。ここへ来てから、聞いたのはこれが初めてだ。


 キリは答えなかった。


 答えないで、台の下へ手を入れた。出てきたのは財布だった。幅は灯の手のひら二枚ぶん。茶色で、角が丸くなっていた。留め具が一つ外れていた。


 キリはそれを台の上へ滑らせた。置いてから、指の先で台を二回、軽く打った。


 値段を言う時の顔をしていた。


 灯は財布を見た。留め具の外れたところに、糸の跡が残っている。誰かが一度、直そうとして途中でやめたのだと分かった。


 中を開けたら、何も入っていないはずだった。


 キリは灯の顔を見ていた。値段を言う時の顔をしたままで、次の言葉を待っていた。


 「財布、いる?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。