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レポ 落とし物の街  作者: 智珠
第一巻 わすれもの

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21/50

第021話 札の使い道

 朝に一度、地下を通ってきた。棚の右側は二百三十本のまま。


 左側が四十一。昨日より一本多かった。増えたほうの柄は黒くて短くて、子供のものだった。札は付いている。名前の欄は空いていた。


 受付の板の内側には、誰もいなかった。窓口の下の棚に、青い箱が一つ出ていた。蓋は開いていて、中に紙が立ててあった。紙の上の端だけが見えていた。端は全部そろっている。そろえ方は、指で押した跡が残るくらい強い。


 灯はその箱の横を通った。通る時に、青い色が目の端に入っただけで、中は読まなかった。読む用の高さではない。窓口の板は灯の目より上にあった。


 川辺さんは受付にいなかった。机の上に、ひもで束ねた紙の山が三つ載っていた。三つとも高さが違って、いちばん右だけが低く見えた。灯はその横を通り過ぎた。


 通路の奥で点いていたのは、手前の電球二本。三つ目から先は、かさの内側が黒く焼けていた。灯は棚の終わりまで歩いて、壁の縦の線を二本見つけて、取っ手を回した。


 八月三十日。扉を出ると、道の石は昨日と同じ乾き方をしていた。目地の白い粉も、踏んだ跡の付き方も変わらない。


 処分の日まで、あと一日。


 街灯は一本目までしか点いていなかった。昨日は二本目まで点いていた。二本目のかさは、まだ下を向いていない。上を向いたまま、火だけが無かった。


 灯は二本目の下で足を止めた。柱に手を当てる。金物は冷たかった。昨日の三本目より冷たく感じた。触っていると、手のひらの側だけが温くなって、柱のほうは温くならなかった。


 灯は手を離した。柱に跡が残る。残った形は指の腹ぶんだけで、すぐに消えた。


 三本目の柱には背中を当てなかった。下から三つ目の傷の高さは、もう分かる。


 道の右側の店は戸が閉まっていた。棒はまだ出ていた。棒の端の焼き付いた色は、初めて見た日と同じ濃さのままだった。


 四つ角に台は二つ出ていた。昨日は三つ。西の角のは無くなっていて、そこには何も残っていなかった。板の跡も、脚の跡も、土の上に付いていなかった。


 北の道の入口に、子供が二人しゃがんでいた。石の上に何かを並べていた。灯はそちらへ二歩だけ寄った。並べてあるのは小石で、大きさの順に十四。いちばん小さいのが端で、そこから右へ大きくなっていく。


 二人は灯を見上げた。何も言わない。灯も言わなかった。


 二歩下がると、二人はまた石のほうへ顔を戻した。並べ替えているのではなく、順を数え直しているらしい。指が端から端まで一度ずつ動いた。


 もう一つの台は南の角に出ていた。後ろに座っているのは、灯の知らない年寄りだった。板の上には布ばかりが並んでいた。数えると九枚。色は全部ちがうのに、畳み方だけが同じだった。


 その台の前に、女の人が一人立っていた。しゃがんで布を一枚ずつめくっていた。めくっては戻し、戻してはまためくった。四枚目のところで手が止まって、そのまま長い間動かなかった。


 年寄りは何も言わない。女の人が立ち上がって、何も持たずに北へ歩いていっても、板の上の布を並べ直しもしなかった。


 灯はその台のほうを見ていた。そのうちに、南の道の奥で戸が一つ閉まる。その家は、屋根の布に字が残っている家だった。


 キリの台は東の角にあった。板は二枚。脚は四本。上に並べてあるのは、金物が六つと、布が三つと、木のものが二つ。全部で十一。昨日は十四並んでいた。


 「昨日より三つ減ってる」


 「売れた。夕方に一人来た」


 「あの人、暗くなってから来たんだ」


 「遅くはない。日が落ちる前だ」


 灯は台の前へ回って、板の下の段を見た。木の札の束は四つとも残っていた。厚みも昨日と同じだった。


 灯は鞄(かばん)の口を開けて、筆箱に指を当てた。開けはしない。蓋の上から押すと、中の平らなものが少し動く。音はしなかった。


 東の角の板の上に、灯の書いた札は一枚も無い。書いた札は、書いたその日に相手が持っていった。そのあとのことは、灯のところには戻ってこない。


 戻ってこないので、灯は自分の書いた字を四つ角では見られなかった。昨日、積み場で一枚見た。


 灯は札の束のいちばん上を一枚、指で少しだけ持ち上げた。そのまま下ろした。


 筆箱の中には鉛筆が二本と、削り器が一つと、消しゴムが一つ入っていた。鉛筆は二本とも短い。長いほうでも、灯の中指ほどしかなかった。夏の間に削った回数が、そのまま長さの差になっていた。


 削り器の中には粉がたまっていた。蓋を開けるとこぼれる。灯は開けなかった。


 昨日の夜、灯は札を家へ持って帰った。机の引き出しには入れないで、筆箱に入れたまま鞄の中へ置いた。朝に一度出して、裏の白い面を見た。字は何も書いていない。書くものは筆箱の中に入っていた。


 書かなかった。


 「今日は誰も来てない」


 「今日はまだ早い。昼を回ってからだ」


 「今日は誰も来ないかも」


 「来ないなら来ない。それだけだ」


 キリは板の上の金物の並びを直した。左から小さい順にする。直しても、六つでは並びの見え方が変わらない。


 灯は台の後ろの木の箱に腰を下ろした。座って、四つ角の四つの道を順に見た。


 北の道から人が一人来た。灯は札の束のほうへ手を伸ばしかけた。その人は四つ角の手前で北へ折れて、そのまま見えなくなった。


 東の道から二人。どちらも荷を担いでいて、足を止めなかった。


 西の道からは誰も来なかった。


 日が板の上を左から右へ動いた。幅は灯の手のひら一つぶんほどになっていた。


 灯は四つ角の石の上に立って、四つの道の入口を数えた。北の道に見えるところまでで戸が十二。東は十七。南は九つ。西は坂で曲がっているので、六つまでしか数えられない。


 合わせて四十四。そのうち戸の開いている家は、北に三、東に五、南に一、西に二。十一になっていた。


 二日前、灯は同じ場所で同じ数え方をしていない。だから比べられなかった。


 灯は石の上から下りた。靴の底が石の縁に当たる。そこの石は角が丸い。四つ角のいちばん人の通るところだけが、こうやって丸くなっていた。


 東の道のほうから風が来た。風は板の上の布の端を持ち上げて、持ち上げたぶんだけ石をずらした。キリは手を伸ばして石を戻した。戻した向きは、朝に置いた時から動いていない。


 「昨日、あの人はずっと書いてた」


 「回収人か。あれは書く数が違う」


 「あの人とは数が違うんだ」


 「あれは終わったものを書く。あんたは終わる前のを書く」


 キリはそれだけ言って、布の四隅の石を一つずつ動かした。風は無かった。動かす必要も無い。


 南の台の年寄りが立ち上がった。板の上の布を、端から順に畳み直しはじめる。畳み方は最初と同じで、畳むたびに一枚ずつ厚みが増していく。九枚を畳み終えると、束の高さは灯の手のひらの厚みほど。


 年寄りはその束を膝の上に載せて、また座った。あとに残ったのは空の板。


 台は出したままだった。


 「明日も台を出すんだ」


 「日が上がる前に板を渡すことにしてる」


 「いつもより早いんだ」


 「そういう日もある。それだけになる」


 灯は板の下の段の札の束を、もう一度見た。四つ。いちばん上の束の、上から二枚目の札には節がある。節のところは字を書きにくい。前に一度、そこへ書こうとして、鉛筆の先が引っかかった。


 その札は今もそこにあった。


 灯は箱の上で膝を抱えた。その形のまま四つ角の石を見た。石の目地に、細かい土が寄っていた。寄り方は右側だけ厚くなっていた。昨日の水の跡かもしれない。


 「明日、あたしは来られない」


 「そうか。日を空けるんだな」


 「明日はどうしても来られない」


 「聞いた。二度は言わんでいい」


 キリはこちらを見なかった。板の上の布を一枚取って、日に当ててから裏返した。裏の色は表より濃く見えた。それをまた元の場所へ戻した。


 灯は口を開けて、それから閉じた。喉の奥に息が一つ残る。


 残った息は、しばらくそこにいた。


 「メノのとこへ行ってみる」


 「西の道だ。あそこは動いてない」


 「今日もいるんだ」


 「あそこは滅多に閉めん。行けば会える」


 灯は箱から下りた。鞄のひもを肩へ掛け直す。筆箱の平らなものが、背中の側で一度動いた。


 「西の道まで行ってくる」


 「日が回る前に戻れ。帰りの道が影になる」


 西の道は坂になっていた。上りではなく、途中まで平らで、そこから少しずつ下りた。石の敷き方は四つ角のところと同じ。違うのは目地の幅。


 道の左側に、市の枠が二つ立てかけてあった。八月三日に、この先の広場で使ったものになる。七日ごとなら、十日と、十七日と、二十四日と、三十一日に立つ。十日に立ったのは四つ角の広場。二十四日を、灯は知らなかった。あの日は四つ角にいたのに、枠を見ていなかった。


 枠の木は日で灰色。灯は指で表面をこすった。粉が付いた。


 *


 市の立つ広場は空だった。石の上に枠の跡が残っていた。四角い跡が十二。角のところだけ土がへこんでいて、そこに水のたまった跡もあった。跡は乾いていた。


 広場の手前の右側に、戸の低い建物があった。灯にとっては二度目だった。戸を押すと、内側で木がこすれた。


 戸を抜けると、明るさは前と同じだった。


 台の上の布に物が並んでいた。灯は数えた。九。八月二日は十四だった。


 壁沿いの棚は四段のままで、箱の数も同じに見えた。上から七、七、九、九。合わせて三十二。下の二段の箱は角が擦れて丸くなっていた。


 棚の下の二段の箱には、字が並んでいた。灯の知らない書き方だった。線の向きは縦と横だけ。丸いところが一つも無い。前に来た時も読めなかった。今日も読めない。


 読めないのに、二つの箱の字が同じだということは分かった。左から三つ目と、その二つ隣。同じ形が同じ順で並んでいた。


 匂いも変わっていなかった。甘いところだけが前より強かった。台の上の皿から来ている。


 皿の上の菓子は三つだった。八月二日は、灯が数えるより前に無くなる速さで減っていた。今日は減っていなかった。


 台の向こうにメノが座っていた。手は薄い布で覆われていた。指の付け根まで巻いていて、外に出ているのは指先だけ。髪は後ろで一つに束ねてあった。


 台の上の九つを、灯は左から順に見た。金物が四つ。布が二つ。木のものが二つ。いちばん右に、細い金の輪が一つ。輪の内側だけが光っていて、外側は曇っていた。


 メノは菓子を一つ取って、二つに割った。片方を口へ入れて、もう片方を皿の端へ置く。皿の上に残った半分は、いつも一つきりになる。


 「一人で来た」


 「うん。今日は一人」


 「あれは」


 「四つ角にいる。板を出してた」


 メノは端の半分を口へ入れた。新しいのを取らなかった。皿に残ったのは二枚。


 「一日で減らないんだ」


 「食べる気がしない」


 「明日にとっとくんだ」


 「先のことは知らない」


 「これ、輪みたいな形してる」


 「輪じゃない。指に入れる」


 「入れて何になるの」


 「別に。入れるだけだ」


 灯は指を伸ばしかけて、途中で引いた。前は触っていいと言われている。それでも今日は引いた。


 メノは皿を台の端へ寄せた。それから、指先で皿の縁の細い線を一度なぞった。線は一本で、途切れているところが一か所だけ見えた。途切れの場所は、灯の側から見て右下。


 灯は床の柔らかい二枚を避けて、台の手前に立った。鞄から筆箱を出す。蓋を開けて、札を取った。


 台の上の布に、裏の白い面を上にして置いた。


 メノは顔を近づけなかった。座ったまま、目だけを落とした。そのまま、少しの間動かなかった。


 「裏だ」


 「うん。まず裏から」


 「表を見せて」


 「四つ角、台が二つになってた」


 「減った」


 「明日はもっと減る」


 「数えていない」


 メノは指の先で、台の上の布の縁をそろえ直した。布は台より少し小さい。四つの角のうち、右の手前だけが台の縁からはみ出していた。そろえ直しても、そこは戻らなかった。


 灯は札を裏返した。判が上になる。線が三本と、その下に丸が一つ。


 メノの目が判のところで止まった。指先が札の端を押す。持ち上げはしない。札は布の上を少し滑って、灯の側へ戻ってきた。


 「見た。もういい」


 「これの値、いくらなの」


 「値はつかない」


 「ついてない物なんだ」


 「ついてる。あたしはつけない」


 メノは布を巻いた手を膝へ置いた。皿のほうへは伸ばさない。


 「これ、なんだか分かるんだ」


 「売り物じゃない」


 「使うと、どうなるの」


 「使ったことがない」


 「明日も開けるの」


 「開ける」


 「誰も来ないかも」


 「来ない日のほうが多い」


 メノは台の上の九つのうち、左から二つ目の金物を指の先で少し動かした。幅は灯の指の半分ぶんもない。そのあとで、元の位置へ戻す。先は動かす前と同じ場所に見えた。


 灯は札を布の上へ置いた。指を離す。


 メノは札を見ないで、台の端の木目のほうを見ていた。木目は台の長い側に沿って通っていた。節が一つある。節のところで木目が二つに割れて、その先でまた一本に戻っていた。


 「三枚重ねてあるからだ」


 メノはそう言って、札の角のほうを指した。触らない。指先が布の上で止まっていた。


 「角を落としてある。層が見える」


 灯は角を目に近づけた。切り口に、色の違う線が三本入っていた。真ん中の一枚だけが白くて、上と下は少し茶に寄っていた。


 「判は上の一枚だけだ」


 「下まで通ってないんだ」


 「通ってない。通れば別物だ」


 灯は札を目の高さで持ったまま、しばらく動かさなかった。


 「これ、前に見たことある」


 「二枚だけ見た」


 「それ、どんなだったの」


 「二枚とも裂けてた」


 メノは膝の上の手を組み直した。布の巻いてある指が、互いの上に乗る。


 「裂いた人が持ってきたんだ」


 「別の者だ。拾ったらしい」


 「じゃあ、本当かどうか分かんない」


 「知らない。物しか見ない」


 「一つだけ聞いていい」


 「一つだけなら」


 「これ、消せる」


 「消せない。書けば残る」


 「じゃあ、書かなかったら」


 メノがこちらを見た。顎を引く動きが、前に来た時より浅い。目が合っているのは一つ数える間もなかった。


 「書かない札は、裂ける」


 布の巻いてある指が、札の縦の辺をなぞった。上から下まで、一度で行く。


 「縦にだけ裂ける。横は無理だ」


 「縦に裂いたら、どうなるの」


 「零になる。誰のでもなくなる」


 「裂いてから戻せる」


 「戻せない。裂けたら終わりだ」


 「裂いたのは、誰がやったの」


 「見てない」


 「二枚とも同じ人だ」


 「違う。紙の厚みが違った」


 置いた手が、皿の縁へ動いた。触れただけで、そのまま膝へ戻っていた。


 「もう一つ聞いていい」


 「一つだけって言った」


 「たしかに言った」


 「言ったなら終わりだ」


 灯は口を閉じた。それから、台の上の九つのほうへ目を移した。九つとも、置かれた向きが同じだった。長いほうを台の長い辺と平行にして、端をそろえていた。そろえた者の手つきは、灯には見えない。


 灯は札を手に取った。持つと、昨日と同じ硬さがあった。端を少しだけ曲げてみた。曲がるのは端の数ミリぶんで、その先は動かない。


 「縦って、どっちの向き」


 メノは自分の台の上の物を一つ取った。平たい金物で、大きさは灯の親指ほど。それを札の上へ置いた。向きは判の中の線と同じになっていた。


 「この向き。判の線と同じ」


 灯は金物を目で見た。線は三本で、どれも同じ長さではない。真ん中がいちばん長い。


 「真ん中を通るの」


 「通る。外れたら裂けてない」


 メノは金物を取って、元の場所へ返した。位置は灯の見ていた場所と同じだった。


 外の光が戸の隙間から入って、床の板に細い線を作っていた。線は台の脚のところで折れて、そこから先は脚の側面。灯は立っている場所を少しずらした。ずらすと、自分の影が線の上へ乗った。乗せてから、また外した。


 「今日、四つ角に人が来なかった」


 「そう」


 「明日は来ると思う」


 「明日の勘定はしない」


 メノは灯のほうを見ないでそう言った。声の高さは前と変わらない。


 灯は札を筆箱へ入れた。鉛筆の軸に、札の角が当たる。


 「見てもらった分はいくら」


 「輪で一つ」


 灯は鞄から輪を出した。三つのうち一つを台の上へ置く。メノは布を巻いた手で、それを台の端へ寄せた。


 「思ったより安い」


 「見ただけだ」


 メノは残りの二枚を続けて口へ入れた。割らなかった。皿の上は空になる。


 台の下の板の上に、四つの布が並んでいた。布は四つとも同じ大きさに畳んであって、間隔も同じだった。置いてある場所も動いていない。


 灯はそれを見てから、目を戻した。メノは見ていない。灯が何を見たかも聞かなかった。


 灯は台の前に立ったままでいた。


 言おうとしたことが一つあった。口の形は途中まで作った。そこで、灯はメノの手のほうを見た。指の付け根まで届く布。巻き方は前と変わらず、右の手首のところだけ端が少し出ていた。


 灯は口を閉じた。


 「そろそろ帰る」


 「そう」


 メノは皿を膝の横へ下ろした。上には何も載っていない。


 戸を押して外へ出ると、日は広場の真上。石の跡の影は、どれも短くなっていた。灯は影の短いのを一つずつ見ながら、広場の端まで歩いた。


 広場の石の上を、灯はまっすぐ歩かなかった。四角い跡を一つずつ踏んで、跡の内側だけを通っていく。十二のうち、九つまでは踏めた。残りの三つは離れていて、跳ばないと届かない。


 灯は跳ばない。三つを回り込んで、広場の端まで行った。


 日が回って暑くなったせいで、鼻の奥が詰まった。


 灯は袖で顔をこする。こすった布は乾いていて、何も付かなかった。


 *


 四つ角へ戻ると、キリは板の上の物を袋へ移しているところだった。灯は東の角の手前で足を止めた。


 キリは顔を上げた。何も言わない。灯は手を肩の高さまで上げて、下ろした。キリは金物を一つ持ったまま、その手を同じ高さまで上げる。上げてから、板の上へ戻した。


 灯は東の道へ入った。


 下りの途中で開いていたのは、道の右側の家の戸。中で人が動いていた。灯は歩く速さを変えないで通り過ぎた。中の人はこちらを見なかった。


 立ち止まったところから、四つ角のほうは見えない。道が一度曲がって、その先が下っていた。曲がり角の家の壁に、白い跡が横に一本付いていた。荷車の腹が擦った跡らしい。高さは灯の腰より少し上を通っていた。


 跡は途中で切れて、二歩ぶん先でまた続いていた。切れているところの壁は、他より色が濃い。手を当てると冷たかった。日の当たらない側になっていた。


 石の目地の土は、朝より黒くなっていた。誰かが水をまいたらしい。踏むと沈む。沈んだ跡は、灯の靴の形をそのまま残した。


 道の先が開けた。


 積み場の列は四つのまま。四つ目だけが伸びていた。列の端は、灯が昨日目で追った場所より、三十歩ぶんほど先まで来ていた。


 荷を運んでくる者はいなかった。回収人もいない。四つ目の列の端に立っていた場所は空いていて、そこにだけ土が固くなっていた。踏み固めた跡が、靴の形より大きい範囲で残っていた。


 列の札は、どれも数字が四つだった。灯は手前の列の端から順に、頭の数字だけを目で追った。二が続いて、途中で三に変わる。三が十枚ほど続いて、また二に戻った。


 戻ったところで、灯は追うのをやめた。


 この街の日の数え方を、灯はまだ知らない。七月に一度、自分の落とした日と合わせようとして合わなかった。そのままにしていた。


 列の手前に、荷を下ろすための板が一枚置いてあった。板の上には土が薄く積もっていて、その上に足の跡が三つ残っている。三つとも向きが違っていて、どれも片足ぶんしかなかった。


 灯は板を踏まずに横を通る。


 灯は列と列の間へ入った。


 小さい物の寄せてある場所は、朝の光の側から見た時より広がって見えた。ボタン。ひも。金具。布の切れ端。灯はしゃがんで、上から順に目で追う。


 木のものは見つからなかった。


 灯は手を入れなかった。触れば崩れる。そうなった形は元へ戻せない。それは昨日やって分かった。


 三列目の腹のところに、傘の柄の束が寄せてあった。七月に灯が一本抜いた束ではない。縄の色が新しい。束から外へ出ている柄は六本で、六本とも色が違っていた。


 灯は束の前で足を止めた。外へ出ている六本の色を、左から順に見ていった。


 束の下のほうに、細い札が下がっていた。数字が四つ。頭は二だった。七月に抜いた一本の頭は三。


 灯は頭の数字を覚えた。二、と口の中で言って、それきり言わなかった。


 灯は立ち上がって、列の間をもう少し奥まで歩いた。三列目と四列目の間は、他より幅が狭くなっていた。肩が箱に触れる。その箱の縄は新しくて、白かった。


 箱の上に、荷を縛る縄の切れ端が一本落ちていた。長さは灯の腕ほど。端は二つとも切れていた。切り口は真新しくて、ほつれていない。


 灯はそれを拾って、箱の縄の下へ挟んだ。それから少し押し込む。切れ端の端が、縄の内側で止まった。


 奥まで行くと、四つ目の列の端に出た。


 その先は、ならしただけの土が続いていた。踏むと固い。沈まない。灯は端から十歩ぶん歩いて、そこで止まった。


 土の上には、車輪の跡が二本残っていた。二本の間の幅は、灯が両手を横に広げたよりも少し狭い。跡は端から入って、途中で消えていた。そこで土が固くなっている。


 灯はその跡の内側に立って、両足をそろえた。跡の幅のほうが広いので、足を開いても縁までは届かない。


 振り返ると、四つの列が横に並んで見えた。高さがそろっていない。手前は灯の背より高く、奥は肩のあたり。列の上の縁は、遠くへ行くほど下がっていく。図書室の本棚を横から見た時と同じ下がり方だった。


 風が一度、土の上を渡った。粉が動いて、灯の靴の甲まで来る。甲の上で粉は止まる。灯は足を動かさなかった。動かさないでいると、粉は靴の縫い目のところへ寄って、そこで細い線になった。


 線の向きは、車輪の跡と同じになる。


 鞄の中で、水筒の中身が半分より下まで減っていた。持つと、下のほうだけが重い。灯は一度だけ口をつけて、それから蓋を回して締めた。締める時に、ねじの山が二度飛んだ。


 灯は鞄を土の上へ置いた。


 鞄の底で筆箱を横にして、蓋の側から札を抜いた。鉛筆も一本。長いほうになる。芯の先は、昨日削ったところが少し丸くなっていた。


 灯は札を左の手のひらに載せて、裏の白い面を上にした。


 左の手のひらの上で、札は動かない。手のひらは湿っていた。湿っているのに、札の裏は湿らなかった。厚い紙は水を吸わないらしい。ぬらすと判が流れると聞いたのは昨日になる。


 灯は手のひらを一度、服の横でこすった。こすってから、札を載せ直した。


 鉛筆を右手に持った。持ち方は、学校で字を書く時と同じにしていた。人差し指の第一関節のところに、鉛筆の軸が当たる。そこの皮は、夏の間に少し硬くなっていた。


 芯の先を、白い面の上へ近づけた。


 紙には触れなかった。


 白い面の上に落ちたのは、鉛筆の影。影は細くて、先のほうだけ濃く出ていた。日が動くと、影も動いた。影の先が白い面の左の端から入って、右の端まで行くまでに、灯は数えなかった。


 数えないでいるうちに、影は面から外れる。


 灯は鉛筆を筆箱へ戻した。戻す時に、芯の先が削り器の縁に触れた。先が少しだけ落ちる。粉の行き先は筆箱の底。


 灯は札を両手に持った。


 右の親指の爪を、判の真ん中へ当てた。線は三本ある。真ん中がいちばん長く見えた。爪の先をその線の上に置いて、二度こすった。こすったところだけ、紙の色が薄い一本の線。


 薄くなったところへ、上から爪を立てた。


 紙は縦に裂けた。裂け目は判の真ん中を通って、下まで一度で行った。


 灯は裂け目を目に近づけた。真ん中の白い一枚だけが、上下の二枚より少しだけ外へ出ていた。幅は髪の毛の太さほどになっていた。


 音がする。灯の耳のところまでしか届かない大きさだった。


 二つになった紙を、灯は両手に一枚ずつ持った。左のほうが少し広く見えた。判は左に多く残る。右には線の右端が一本だけ残った。


 裂け目の縁は、右のほうだけ毛羽が立っていた。左は切ったように平らだった。


 灯は二枚を重ねてみた。合わせると、元の形になる。ただし真ん中に一本、白い線が入った。線の幅は髪の毛ほどしかない。


 灯は重ねるのをやめた。


 二枚を並べた形を、灯はしばらく見ていた。手のひらの上で、二枚は同じ厚みをしている。


 筆箱の中へ、二枚を並べて入れた。鉛筆の横に、重ねずに置く。蓋を閉めると、中で何かが一度動いた。


 筆箱の蓋は、閉める時に少し引っかかる。夏の間に二度落として、その度に角がつぶれた。つぶれた側から先に閉めると入る。灯はつぶれた側を先にした。


 鞄の内側は、上のほうが少し湿っていた。坂を歩いてきた背中の側になる。灯は筆箱を乾いているほうへ寄せて入れた。


 灯は鞄を肩へ掛けて、来た方を向いた。


 南の角から、年寄りが出てきた。畳んだ布を九枚、腕に抱えている。台のほうは出したままだった。


 「もう店じまいかい」


 灯は首を横に振った。


 「まだ何も出してない」


 「そりゃ楽だ」


 年寄りは布を台の下へ置いた。台は畳まなかった。


 四つの列は動いていない。荷を運んでくる者はまだ来ない。積んである箱の縄は、どれも朝と同じ結び方で締まっていた。


 土の上に、灯の影が一つだけ落ちていた。列の影とは向きが違う。列の影は東へ伸びていて、灯の影は少しだけ北へ寄っていた。


 灯は影の頭のところを踏もうとして、片足を前へ出した。そのぶんだけ影も前へ行く。届かなかった。


 日が回った。四つ目の列の影は、三つ目の列の腹まで伸びた。

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