外伝・サーラの食卓譚~出会う日までのレシピ~1、むふふのブルスケッタ
その日は深夜になっても、昼間の暑さが居座っていた。
窓を開けても風はほとんど入らず、湿った空気だけが部屋に淀んでいる。
サーラは何度も寝返りを打つ。しかし、喉は渇き、肌にはじんわりと汗が滲む。
布団に触れた身体から熱は逃げず、眠いのに眠れない。
そうして長い夜だけが、ゆっくりと過ぎていった。
※※※
翌日。ようやく空が白み始める。
それとほぼ同時に、サーラは大きな欠伸を噛み殺しながらベッドを抜け出した。
彼女の朝は、今日も早い。
麻のワンピースに着替え、手早く髪を整えると、その足で階下へ向かう。
一階へ降りるなり釜戸へ直行し、薪をくべて火を起こした。
「……あっつ」
思わずぼやきながらも、手は止めない。
汗を拭う間もなく調理を進め、あっという間にトーストとスープを仕上げると、皿に盛って食卓へ並べた。
「お、おはよう」
その頃に、ちょうどロンドが眠そうな顔でやって来る。
「……なのじゃ~」
挨拶もそこそこに、サーラは居間を抜けて外へ出た。
井戸から水を汲み、木のタライへ注ぐ。洗濯の支度だ。
やがてタライがいっぱいになると、バケツの底には少しだけ水が残った。
それでサーラは顔を洗う。ひんやりした井戸水が、火照った頬を心地よく冷ましてくれ。
「は~……きついのぉ」
ようやく汗の不快感が引き、一息つく。
そのまま汚れた服をタライへ沈め、朝の洗濯を始めた。
朝の家事を終え、軽く朝食を済ませる頃には、ロンドはもう仕事へ向かっていた。
「さてと……買い物でも行こうかな」
支度を整えたサーラは家を出る。 向かった先は村の広場。
今日も行商の馬車を囲み、村の婦人たちが楽しそうに品定めをしていた。
「まあ奥さん、今日は何を買うの?」
「野菜炒めにしようかしらねぇ」
他愛ない世間話が飛び交う中、サーラも輪へ加わる。
籠に並ぶ商品を端から眺めていると――
「あ」
手が止まった。
それはトマトや、瓶詰めのピクルス。
「ふふふ……」
サーラの口元が、不敵に吊り上がる。
「こんな暑い日は、あれにしよう」
その笑みに、周囲の婦人たちが思わず視線を向ける。
「店主のおじさん! これと、それからあれも!」
サーラは上機嫌のまま、次々と買い物を済ませていった。
※※※
翌朝。
相変わらず寝苦しい夜が明け、空が白み始める。
サーラは身支度を済ませると、一階へ降りて床下の氷室を開けた。
取り出したのは丸パン、トマト、瓶詰めのピクルス、玉葱、油、塩。
「んふふふ」
意味ありげな笑みを浮かべながら、包丁を走らせる。
トマトは小さな角切りにし、余分な種と水気を軽く切る。
ピクルスと玉葱も、みじん切りにして、ボウルへ入れる。
その中へ油を回しかけ、さっと和え、最後に塩で味を調えた。
それを切り分けた丸パンへ、たっぷり盛り付ける。
「出来たぞ」
完成したのは、トマトとピクルスのブルスケッタだった。
「おはよう」
ちょうどロンドも食卓へやって来る。
「おはようなのじゃ~」
とサーラも挨拶を元気に返す。
料理を並べると、ロンドは目を丸くした。
「おや、今日はずいぶんお洒落だね。いただきます」
「いただきます」
食前の祈りを済ませ、二人は揃って口へ運ぶ。
もっちりとしたパンを噛めば、野菜のシャキシャキした食感が弾ける。
トマトの瑞々しさと、ピクルスのほどよい酸味が口いっぱいに広がった。
「初めて食べたけど、今日の料理も美味いなぁ」
「そうじゃろ」
「また作ってよ」
「わかった」
サーラは即座に頷く。
(よし……!これでしばらくは、朝から釜戸に火を入れずに済むぞい)
胸の内でほくそ笑む。
「いやぁ、本当に美味いなぁ」
そんな企みなど露知らず、ロンドは夢中でブルスケッタを頬張り続けるのだった。




