表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
44/49

7話(2) 思い出のアップルパイ 6

 釜戸の前では、男達が集まっていた。

 そこへサーラが近寄り、パイ生地の乗ったトレイを手渡す。

 「お願いします。」

 「おうよ。」

 親方が受け取ると、他のハンター達も順番に手を取った。

 そのまま彼等は、次の工程を引き継ぐ。

 釜戸は事前に余熱されており、内部には十分な熱が行き渡っていた。

 奥まで均等にパイ生地を並べ、じっくりと火を入れていく。

 たまに手前と奥の生地の位置を入れ替えながら、釜の内部へ水を差し込み、温度を細かく調整していた。

 「今の温度は、だいたい200度だな。」

 親方が代表して報告する。

 「なら、そのままの温度を保って。……焼き続けて。」

 「何時だ?」

 「……20分。」

 サーラは指示を終えると、その場へ座り込んだ。

 釜戸の側で屈み込み、中で揺らめく炎をじっと見つめる。

 ゆらゆらと踊る炎。

 じんわりと伝わる熱。

 薪はぱちぱちと音を立て、煙には香ばしい薫りが混じっていた。

 あらゆる感覚が、そこにいる人々を包み込んでいく。

 「そうか。……マリーには、これを食べさせてやれんのか。……また約束守れなかったのう。」

 ふと、サーラの頬を涙が伝った。

 寂しさと悲しさが、知らず知らず胸の奥へ溢れていた。

 同時に脳裏へ浮かぶのは、懐かしい光景。

 栗色の髪と青い両目を持つ少女の笑顔。

 そして、お祝いの日に交わした出来事。

 鮮明な記憶が蘇ってくる。

 「サーラちゃん?……」

 「何を言ってんだ?」

 「どうして、泣いているの?」

 村人達も異変に気付き、次々と声を掛ける。

 しかしサーラは袖で涙を拭うと、

 「……わかんない、なんでもない。」

 そう呟くだけだった。

 続けて利き手へ布を巻き付け、釜戸の中から焼き上がったパイを取り出していく。

 そうして――アップルパイは完成した。

 パイは見事な出来映えだった。

 生地の表面は艶やかに輝き、濃い焼き色が美しく付いている。

 格子状の切れ込みからは、ごろごろとしたりんごの果肉とジャムが覗き、黄金色に輝いているようだった。

 やがて辺りへ、再び甘い香りが広がる。

 今度は焼き上がった菓子特有の、優しく甘い匂いだった。

 周囲の人々は思わず鼻を動かす。

 リリャーも香りを感じた瞬間、生唾を飲み込んだ。

 さらに、ゆっくり椅子から立ち上がろうとする。

 しかし身体は思うように動かず、よろめいたところを近くの村人に支えられ、再び座り直した。

 「……はい。……リリャーさん。」

 そこへサーラが近付き、アップルパイを乗せた皿を差し出す。

 「あ、ありがとう。……」

 リリャーは受け取ると、しばらく皿の上を見つめた。

 そして一口、齧る。

 次の瞬間――両目を大きく見開いた。

 パイ生地は、さくりと軽く歯切れが良い。

 口へ入れるとほろりと崩れ、表面の一部はかりかりとした楽しい食感を残す。

 さらに噛み締めるほど、程よい甘さとりんごの酸味が広がっていく。

 香ばしい香りと果実の風味が重なり、口いっぱいを満たした。

 甘過ぎず、酸っぱ過ぎない。

 爽やかで、どこか懐かしい上品な味だった。

 「どうだい?……リリャー。」

 アニタが尋ねる。

 「うん。……おいしい、……マリーお婆さんのと、殆ど変わらないわ。」

 リリャーは呟くと、再び一口、二口と食べ進めた。

 半分ほど食べた頃には、静かに涙ぐんでいる。

 まるで遠い昔へ思いを馳せるように。

 その時の光景が、鮮明に蘇っていた。


 ※※※


 あれは、随分と前の事である。

 リリャーが【ネオマルフィア】の料理屋で働き始めたばかりの頃。

 まだ大人になろうと背伸びをしていた少女だった。

 ある日の閉店間際。

 些細な出来事が起きた。

 一人の男性客が怒鳴り散らしていた。

 対してマリーとリリャーは、ただ頭を下げ続けている。

 リリャーは自分を責めていた。

 ほんの僅かな気の緩みから、客へ料理をこぼす粗相をしてしまったのだ。

 しばらくして、ようやく客は踵を返した。

 出入り口を潜り抜けながら、

 「二度と来るか!」

 そう吐き捨てて去っていく。

 それから少しの間。

 リリャーは店の角にある席で項垂れていた。

 目尻には涙を溜め、泣くのを堪えながら鼻を啜っている。

 「あんなの、気にする事ないわよ。……失敗は誰にだってあるわ。」

 その時、背後からマリーの声が聞こえた。

 同時に、優しい手が自分の頭へ触れる。

 撫でられる感触に、リリャーはすぐ振り返った。

 そこには、皺くちゃな顔で優しく微笑むマリーがいた。

 そして手には、一枚の皿。

 乗っていたのは、アップルパイだった。

 「これはね。……私の大好きだったお祖父さんみたいな人が作ってくれたの。……私の一番のお気に入りなの。……とっても美味しいから、食べて元気をだしなさい。」

 そう言って、マリーは促した。

 リリャーは、おずおずと一口齧る。

 次の瞬間。

 身体中へ、美味しさと幸福感が染み渡っていった。

 そして、堪えていた涙が溢れ出す。

 思わず声を上げて泣き出していた。

 それでも、アップルパイを食べる手だけは止まらなかった。

 マリーは微笑みながら、ずっとリリャーの背中を擦り続けた。

 泣き止む、その時まで。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ