7話(2) 思い出のアップルパイ 6
釜戸の前では、男達が集まっていた。
そこへサーラが近寄り、パイ生地の乗ったトレイを手渡す。
「お願いします。」
「おうよ。」
親方が受け取ると、他のハンター達も順番に手を取った。
そのまま彼等は、次の工程を引き継ぐ。
釜戸は事前に余熱されており、内部には十分な熱が行き渡っていた。
奥まで均等にパイ生地を並べ、じっくりと火を入れていく。
たまに手前と奥の生地の位置を入れ替えながら、釜の内部へ水を差し込み、温度を細かく調整していた。
「今の温度は、だいたい200度だな。」
親方が代表して報告する。
「なら、そのままの温度を保って。……焼き続けて。」
「何時だ?」
「……20分。」
サーラは指示を終えると、その場へ座り込んだ。
釜戸の側で屈み込み、中で揺らめく炎をじっと見つめる。
ゆらゆらと踊る炎。
じんわりと伝わる熱。
薪はぱちぱちと音を立て、煙には香ばしい薫りが混じっていた。
あらゆる感覚が、そこにいる人々を包み込んでいく。
「そうか。……マリーには、これを食べさせてやれんのか。……また約束守れなかったのう。」
ふと、サーラの頬を涙が伝った。
寂しさと悲しさが、知らず知らず胸の奥へ溢れていた。
同時に脳裏へ浮かぶのは、懐かしい光景。
栗色の髪と青い両目を持つ少女の笑顔。
そして、お祝いの日に交わした出来事。
鮮明な記憶が蘇ってくる。
「サーラちゃん?……」
「何を言ってんだ?」
「どうして、泣いているの?」
村人達も異変に気付き、次々と声を掛ける。
しかしサーラは袖で涙を拭うと、
「……わかんない、なんでもない。」
そう呟くだけだった。
続けて利き手へ布を巻き付け、釜戸の中から焼き上がったパイを取り出していく。
そうして――アップルパイは完成した。
パイは見事な出来映えだった。
生地の表面は艶やかに輝き、濃い焼き色が美しく付いている。
格子状の切れ込みからは、ごろごろとしたりんごの果肉とジャムが覗き、黄金色に輝いているようだった。
やがて辺りへ、再び甘い香りが広がる。
今度は焼き上がった菓子特有の、優しく甘い匂いだった。
周囲の人々は思わず鼻を動かす。
リリャーも香りを感じた瞬間、生唾を飲み込んだ。
さらに、ゆっくり椅子から立ち上がろうとする。
しかし身体は思うように動かず、よろめいたところを近くの村人に支えられ、再び座り直した。
「……はい。……リリャーさん。」
そこへサーラが近付き、アップルパイを乗せた皿を差し出す。
「あ、ありがとう。……」
リリャーは受け取ると、しばらく皿の上を見つめた。
そして一口、齧る。
次の瞬間――両目を大きく見開いた。
パイ生地は、さくりと軽く歯切れが良い。
口へ入れるとほろりと崩れ、表面の一部はかりかりとした楽しい食感を残す。
さらに噛み締めるほど、程よい甘さとりんごの酸味が広がっていく。
香ばしい香りと果実の風味が重なり、口いっぱいを満たした。
甘過ぎず、酸っぱ過ぎない。
爽やかで、どこか懐かしい上品な味だった。
「どうだい?……リリャー。」
アニタが尋ねる。
「うん。……おいしい、……マリーお婆さんのと、殆ど変わらないわ。」
リリャーは呟くと、再び一口、二口と食べ進めた。
半分ほど食べた頃には、静かに涙ぐんでいる。
まるで遠い昔へ思いを馳せるように。
その時の光景が、鮮明に蘇っていた。
※※※
あれは、随分と前の事である。
リリャーが【ネオマルフィア】の料理屋で働き始めたばかりの頃。
まだ大人になろうと背伸びをしていた少女だった。
ある日の閉店間際。
些細な出来事が起きた。
一人の男性客が怒鳴り散らしていた。
対してマリーとリリャーは、ただ頭を下げ続けている。
リリャーは自分を責めていた。
ほんの僅かな気の緩みから、客へ料理をこぼす粗相をしてしまったのだ。
しばらくして、ようやく客は踵を返した。
出入り口を潜り抜けながら、
「二度と来るか!」
そう吐き捨てて去っていく。
それから少しの間。
リリャーは店の角にある席で項垂れていた。
目尻には涙を溜め、泣くのを堪えながら鼻を啜っている。
「あんなの、気にする事ないわよ。……失敗は誰にだってあるわ。」
その時、背後からマリーの声が聞こえた。
同時に、優しい手が自分の頭へ触れる。
撫でられる感触に、リリャーはすぐ振り返った。
そこには、皺くちゃな顔で優しく微笑むマリーがいた。
そして手には、一枚の皿。
乗っていたのは、アップルパイだった。
「これはね。……私の大好きだったお祖父さんみたいな人が作ってくれたの。……私の一番のお気に入りなの。……とっても美味しいから、食べて元気をだしなさい。」
そう言って、マリーは促した。
リリャーは、おずおずと一口齧る。
次の瞬間。
身体中へ、美味しさと幸福感が染み渡っていった。
そして、堪えていた涙が溢れ出す。
思わず声を上げて泣き出していた。
それでも、アップルパイを食べる手だけは止まらなかった。
マリーは微笑みながら、ずっとリリャーの背中を擦り続けた。
泣き止む、その時まで。




