序章 遥か昔の記憶 2
やがてマリーもパイを味わいながら、話に聞き入っていた。
気づけば二人は、周囲の喧騒も忘れて料理の話に夢中になっていく。
「私ね……甘いのが好きなの。酸っぱいのは苦手。」
「…ワシもじゃ」
「……でも、これなら食べられる」
「ホッホッホ……そうかそうか。今日のはわしの自信作じゃよ。よければ、また今度作ってやろうかのう」
「……本当?」
「あぁ、約束じゃ」
「うん」
二人は自然と笑い合いながら、小さな約束を交わした。
そんなやり取りに、周囲の喧騒はいつの間にか遠くなっていた。
それほどまでに、穏やかな時間だった。
やがて、すべての料理は綺麗に食べ尽くされた。
親子たちは手を繋ぎながら、厨房を後にしていく。
それぞれの部屋へ戻る背中は、どこか満ち足りているようだった。
「よし、始めよう」
とラーサだけは厨房に残り、後片付けに取りかかっていた。
「んふふ……次はどうするかのう。皆は何を作れば喜ぶじゃろうな」
独り言が自然と漏れる。
すでに頭の中は、次の料理でいっぱいだった。
鼻歌混じりに皿を洗い、楽しげに指先で食器をなぞる。
その所作の一つ一つに、満足感が滲んでいた。
――そんな日常が、永遠に続くものだと信じていた。
※※※
しかし、それから数週間後。
王国ランドロス全土は、隣国の侵略によって戦火に包まれることになる。
同時に、原因不明の流行り病が広がり、国は急速に疲弊していった。
マルフィアも例外ではなかった。
人々は次々と町を離れ、ある者は戦火から逃れ、ある者は病から逃れるために故郷を捨てていく。
そしてラーサもまた、その流行り病に倒れていた。
屋敷の自室。
ベッドの周囲には使用人たちが並び、誰もが沈痛な面持ちで俯いている。
女性や子供の中には、堪えきれずに涙を流す者もいた。
息の詰まるような静けさが、部屋を支配していた。
ラーサは周囲の一人一人を見渡すと、弱々しくも笑みを作る。
「泣くでない……今は、辛かろうが……それでもいつか、必ずまた楽しい日々は来るはずじゃ…」
途切れ途切れの声だった。
「…その時は、また皆で食卓を囲んで……旨い料理でも食べよう……のう……」
それでも、その言葉には確かな願いがあった。
その後のことは、途切れている。
ただ、瞼を閉じた瞬間、眩い光が視界を覆い、全身が浮かぶような感覚に包まれたことだけを、朧げに覚えている。
※※※
遠い記憶から引き戻されるように、サーラは強い眠気に包まれていた。
どこか懐かしい感覚のまま、抵抗することもなく意識を手放す。
小さな寝息を立てながら、安心しきったような表情を浮かべていた。
※※※
――ふと遠くで、誰かの声がした気がした。
「……サーラ」
それは、とても優しい響きだった。
温かい声だった。
「……サーラ」
もう一度、その声がした。
胸の奥に、ほんのりとした温もりが残る。
やがて、その感覚は静かに遠ざかっていく。
※※※
そして、目を覚ます。




