第6話 「おすわり」
気を付け。ブーツのかかとを打ち合わせて、敬礼。
総隊長執務室に足を踏み入れて、少女は声を張り上げた。
「ニース・ファウストン! ただいま、まいりま、し……た」
しりすぼみになったのは、イヤな予感が背を走ったからだ。
鋼鉄の巌のような、総隊長のしかめつらを見て、ではない。
来客の方に厄介の予感がする。
黒髪黒衣に白皙の肌。
磁器人形みたいな、少女だった。
自分よりも大人びた顔立ちからして、歳は二つ三つ上か。水晶や宝石を思わせる、整った顔立ち。だが、両端を少し持ち上げた薄い唇は、いかにも冷笑に見える。黒のドレスは、随所に金や銀の刺繍がほどこされ、相当な値打ちもの。
着こなしからして品の良さが窺えた。
総隊長室は「偉い人」が来ても応接できるように、なかなか豪奢なつくりだ。
けれど、黒衣の少女は場になじみつつも、くっきりと存在感を見せている。
こういうところでの振る舞いに慣れている、ある種の人間に独特の雰囲気だ。
(お貴族様じゃん。何しに来たんだよ、こんなとこにさ)
いぶかしむニースの目は――彼女の髪に惹きつけられた。
さらさらと流れ、艶めいて輝き、腰をゆうに越えるほど長い。頭頂部のあたりは、一見、不思議な飾り編みに見えた。凝った編み込みが美しく紋様を描き、けれど、なぜか違和感を感じる。
「……われの髪が、気になるのかや?」
少女の言葉と共に――飾り編みに見えた髪が、ばさっと音を立てて持ち上がった。
否、断じて髪ではない。
一対の鴉の翼だ。黒い羽根を持つ翼が、これ見よがしに広がっている。ばささ、と身震いするかのように、幾度かはばたき、すうっと伏せた。飾り編みの髪に擬態しなおした翼を目にして、ニースはうめいた。
「〈みしるし〉なの……?」
血脈に受け継がれた、高貴の象徴。
魔法を操る一族、その系譜を物語るもの。
「……貴族の魔法使いが、何のご用?」
ニースの質問に、黒衣の少女はくつくつと笑った。
「そう色めきたつな。なかなかに絶美であろう」
「いや。だって、〈みしるし〉って、普通は……」
普通ならば。
たとえば、髪から生えた孔雀の尾羽ひとつ。あるいは、口中に隠された猪の牙。でなければ、目立たないほど小さな羊の角。もしくは、背中に数枚だけ生えた銀の鱗。
魔法をあやつる貴族たちが持つ〈みしるし〉は、それが相場だ。
対して、彼女の鴉羽根は、神々しいほどに立派だった。
闇夜のように深い黒ながら、月光を放つかのようで――
はっ、とニースは息をのんだ。
「……待って。あんた、どこかで会った?」
「つれない言葉だの。飼い主を忘れるとは」
「は? なんの冗談よ、わたしは……」
気色ばんで応じようとすると、黒衣の少女はすっと立ち上がった。
ニースより少し高い背丈。
見下ろし気味にみつめるまなざし。
視線に射すくめられて、ニースがたじろぐ。
その瞬間。
言葉が、したたかに耳朶を打った。
「――おすわり」
何を、と、問いを発する間もなく。
ニースはぺたんと座り込んだ。
「……へ?」
不可解な体の反応に、ニースは目を白黒させてしまった。
強いられた体勢に、訓練で培った警報がたちまち頭に響き渡る。
銃士隊心得、第六条。決して屈するな。決して、決して、決して。
四肢に力を込め、あらがって立ち上がろうとした、刹那。
次の言葉が、容赦なく飛んできた。
「まて」
たちまち、座り込んだ姿勢のまま、身体が動かなくなる。
身体だけではない。心まで縛られたかのように、ある思いでいっぱいになる。
(待たなきゃ、待たなきゃ……次の言葉を)
苦しさは、無い。
むしろ、喜びが胸に溢れてくる。
理性のかけらが、疑問符をいっぱい並べているのに。
(精神支配の術? そんなの聞いたことない!)
鴉羽根の少女が、じっと見つめてくる。
黒い瞳に自分が映っている。
その事実に思わず、ニースの相好が崩れた。口元が、ゆるむ。
「愛いやつだの」
魔女が、静かにこちらに近寄ってくる。たおやかな手を伸ばし、座り込んだニースの頭にそっと触れてきた。赤みがかった金髪を、白い指がそっと梳く。こそばゆい指使いが、心を圧倒し、頭をかき回すようだ。
そこへ、さらなる言葉がかけられた。
「ふせ」
たちまち、ニースは前へ倒れ込むように伏せた。
まるで無様な土下座だ。この上なく屈辱。
でも、別の理由で頬が朱に染まっていく。
「……う、ううぅ」
残った理性が、うめきになって漏れる。
そこへ、満足げな声が投げかけられた。
「従順でありながら、矜持は失せておらぬ。実に良い猟犬よ」
彼女の言葉に、頭の中で断片的な記憶が瞬いた。
舞い落ちる鴉の羽根。
陶磁の鈴を転がすような声。
唇に押し当てられた、やわらかに濡れた何か。
何かを奪われ、何かを与えられた感覚。
『死ぬな』『猟犬の資格あり』『仕えよ』
記憶の声に重なって、目の前の少女の声が、ニースの頭を揺らした。
「エルスピネス・グレーテ・ファラス・リュミネンス」
鴉羽根の魔女は、高らかに名乗った。
「しかと刻め、われの使い魔よ。そなたのあるじの名ぞ。英雄女帝より、北の守りたるファラスの領国を賜りし、リュミネンス辺境伯が令嬢である。おぼえたかや?」
彼女の言葉に、ただ這いつくばったまま、うなずくしかできない。
そこへ、修羅場めいた空気を破って、ずしりと男の声が部屋に響いた。
「ご令嬢。お遊びはそのあたりにしてもらいたい。いろいろとあるのは承知しているが、部下を踏みつけるがごとき戯れは控えてもらおう」
「この者に、われが害される心配はないぞ」
「ふん。こいつは、隊で可愛がられている妹分なのだよ」
渋面を維持したまま、しかし、総隊長はぎらりと眼を光らせた。
「心配性の先輩どもが、廊下で聴き耳を立てている気配。お気づきでは?」
ご令嬢がふんと鼻を鳴らすと、ぽんと両手を打ち合わせる。
それと同時に、ニースの心と体は、嘘みたいに自由になった。
「立場を実感させるには、じゅうぶんか。そなた、名は何と申す」
「……使い魔って呼ぶ割には、人の名前をきちんと知らないって、どうなのよ」
(いっそ平手打ちでも見舞ってやろうかしら)
そう思わないでもなかったが、総隊長の視線に気づいて、思いとどまった。二つ名『鉄血』は、怒るとたいそう怖いのだ。竜すら逃げ出すほどに。
だから、ニースは立ちあがると、胸を張って名乗り返した。羽織った外套の紋様、三頭鷲を魔女に見せつけながら、堂々と。
「ニース・ファウストン。公都特別司法執行軍警、三番隊所属、準銃士!」
奥歯を見せんばかりに口を開け、声を張りあげた。
「見知りおけっ、あんたみたいな無法を制裁するのが仕事よ!」
「…………おて」
「あ、はい―――って、違うわああ!」
さりげなく差し出された、魔女の手をごく自然に取って、少女はわめいた。
かしましい光景に、こめかみに手をやりつつ、総隊長が言う。
「私としては、ご令嬢の本題にはいりたいのだがな」
「うむ、われもそうしたい」
「だったら手を離せぇぇぇ」
赤面しながら抗議する少女に、魔女は目を細めた。
「手を握りながらでも話はできる。われが許すまでは離すでない」
かくして、ニースは不本意ながら、すぐ隣に腰かける羽目になった。
全37話の第6話になります。お読みくださりありがとうございます!
ようやく二人が出会いました。




