第5話 「撃つ覚悟を持っていないやつ」
ニースは、つくづく「落ちる」ことに縁のある人生を送ってきた。
もちろん、ありがたくない縁だ。おなかがすいてすいてどうしようもなくて、リンゴを取ろうと孤児院の隣に生えている木を登ったら、まっさかさまに落ちた。
それが、悪縁のはじまりだ。
とはいえ、物理的に落ちるのは、痛いだけで済む。
社会的に落ちるのは、なかなかこたえた。お針子の仕事。縫製工場の女工見習い。職業学校の訓練生。万にひとつで、魔法使いの弟子入り。
すべてに落っこちてきたニースだが、根性で「踏みとどまれた」場所がある。
それが、銃士隊だ。
「それより下は、もう底だろ」と言われるところではあるが。
「―――あいたっ」
がつっと頭に衝撃が走り、まぶたに火花がちかちかと散る。
頭をさすりながら身を起こしたニースは、寝台から床へ落ちている自分に気づいた。きょろきょろと見回すと、見覚えがある屋内だった。
銃士隊の医務室。
お世話にならないやつの方が珍しい。
「……なんで?」
自問してから、彼女はハッとして自分の体を――腹のあたりをみやった。
下着の隙間から見える肌は、なめらかだった。
さらに下着をまくったり下ろしたりして、腹部をあらわにする。あの時、確かに風の魔刃で切り裂かれたはずの傷は――どこにもなかった。
目をぱちぱちさせ、すべては悪い夢かと少女が思いかけた、その時。
「おう、なんか騒がしいと思ったら、やっと起きたかぁ」
部屋の奥から、快活な女の声が響いてきた。
ずしっずしっと重い足音と共に現れた人物を見て、思わず安堵の息が漏れる。
「なぁんだ、クーン先輩じゃん」
「いやいや、あたしで良かったと思いな? 乙女がそんなはしたない恰好をすんなよ。男だったら、めっちゃいやらしい目で見られるよ、きみのおなか」
波打つ明るい茶髪に囲まれた顔が、真っ白い歯を見せて笑う。
「まあ、そんな目をむけるヤツがいたら、お姉さんがぷちっとしちゃうけどさ」
剣呑なことを言いながら、クーンはのっしのっしと歩く。そのたびに、豊かな胸が躍動的に揺れた。色気というよりも迫力があるのだ。ニースがバツの悪い顔で身だしなみを整える間に、クーンが窓際の椅子に腰かける。
窓に目をやって、少女は差し込む日の光にようやく気づいた。
まばゆいが、まだそれほど高くない太陽。
「……え、朝なの? いま?」
「そうさ。まる一日近く寝ていた感じかねえ」
クーンは、笑顔をひっこめると、真剣な口調で言った。
「まったく、驚いたよ。知らせを受けて駆けつけたらさ。血だまりの中ですやすや寝てるきみがいたもんだから。なんだこりゃ、ってなったもんさ」
ついとあごをあげながら、見やってくるまなざし。少女は思わず肩を震わせた。
「屋根瓦の様子。落っこちてた樫弾。まあ、察しはつくけど」
厚い身体にふさわしい、低いアルトの声音が、尋問開始を告げた。
「何があったか、しゃきっと話してもらうよ。ニース」
「――というわけで、なんというか。その」
うつむきそうになるのを必死にこらえるニースである。
クーンは、胸の奥から絞りだすように、深く息をついた。
「きみさ。死んだのと同じだってこと、分かってる?」
「はい、ええと。なぜか生きてるけど……」
かすかに首を振ると、先輩は指を三本立てた。
「銃士として、三つの失敗をやってる。なんだと思う?」
「屋根の上で追いかけっこするな……とか」
「ばーか。基本だぞ、これは」
クーンは一本目の指を折り曲げて、言った。
「ひとつ。巡回中の誰何は、二人一組で行うこと。忘れたかい?」
「えと。同行してもらうのを、断られちゃって、仕方なく」
口の中でもごもごしつつニースが答えると、二本目が曲げられる。
「ふたつ。追跡を始める際は警笛を鳴らすこと」
「近くで結婚式があって、邪魔しちゃいけないと思って」
おろおろしながら答える少女に向けて、三本目が折り曲げられた。
「みっつ。銃士ならきちんと銃を撃ちな。何のために腰から提げてるんだい」
「撃ったもん! 樫弾で当たらなかったから、だから――」
「――最初から実弾を撃て、って言ってるんだよ」
指を折り曲げきった手で拳を作り、クーンは自身の膝をずんと叩いた。
「撃つ覚悟を持っていないやつが、銃士をやるんじゃあない」
「……樫弾で動きを止めたかったの」
「きみなら実弾で脚を狙えるだろ。というか、これだけどね」
弾帯から白い弾を指でつまみあげ、彼女は区切るように言った。
「樫弾はね。屋内で乱戦、ってときに使うもんだ。同士討ちしないようにね」
つまんだ指でくるくると弾を回しつつ、説教は続く。
「そりゃ痛打になるから、そういう目的でも使える」
銃弾をもてあそぶのを止めて、クーンが問うてきた。
「けど、別にきみ。『不殺』なんて信念があるわけじゃないだろ?」
「……命を奪わずに済むなら、それがいいじゃない」
「とか言ってる間に、きみは『死んだ』わけだ。ははっ」
クーンが眉じりを下げて笑んでみせる。
それでいて、視線は鋭く、抉るようだった。
「きみはさ、『撃って殺しちゃったらやだな』とか『傷つけることはしたくないな』って思ってるんだよ。違うかい?」
「…………うぐ」
ニースができた返事は、みじめなうめきだった。腰かけた寝台、そのシーツを思わず握ってしまう。白く広がる布地に、いびつなしわが走り、広がっていく。
「やれやれ。覚悟を決めたら、怖いぐらいに踏み切るくせにねえ」
「言わないでよ」
「そうだよねえ、結局、そのせいで、正規銃士への試験に落ちたしねえ」
頭の後ろで手を組んで伸びをしつつ、クーンがしみじみと言った。
「今日みたいなことがあるなら、うちらの棟梁の判断は正しかったわけか……おっと、いけない。教育的指導に熱が入って、大事な用事を忘れるとこだったわ」
彼女は再度ニースに向き直った。
「きみが目を覚ましたら、総隊長室へ来いって、棟梁が言ってたんだよ」
「……うげ」
「そんな顔しない。どう、動ける?」
「できればちょっと……時間がほしい、かも」
「はいはい、気構えする準備だね」
クーンはうなずき、椅子から立ち上がった。
「待っときな。制服と食べもの持ってきてあげる。腹が据わってから、向かいな」
「待たせちゃまずいんじゃ……」
「構わないさね」
先輩は、ばちーんとウィンクをしつつ、あっけらかんと言った。
「棟梁も、よれよれの部下は見たくない。びしっと整えな」
全37話の第5話になります。お読みくださりありがとうございます!
クーン先輩はタッパもヒップもでっかい姉御です。




