↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

36/38

第36話 「そなたが元気そうなら」

 公都を騒がせた事件から、数日。

 街で指折りの高級宿、その談話広間の一画にスピネは陣取っていた。


 目の前に置かれた茶は、すっかり冷めきってしまっている。気を利かせた宿の者が淹れ直そうとするのを、手を軽く振って控えさせた。その様子に他の客が眉をひそめている。


 こちらに向けられる困惑の視線を複数感じつつ、魔女は嘆息たんそくした。

「良い迷惑、なのであろうな」


 旅立ちにあたり、準備は従者に任せて、自身は部屋で鷹揚おうように待つ。貴族や富豪の、それが正しい所作というものだ。わざわざ談話広間に降りてくるのは、いかにも急かすようでよろしくない。宿にとっても従者にとっても、せっかちな者だと見られかねない。


 だが、当の魔女からしたら、すぐにでも公都を発ちたい気分だった。

 懐から手紙を取り出す。破った封蝋は辺境伯家リュミネンスの紋章。

 文面は簡素だった――く戻るべし、と。


 公都から辺境伯領の城塞までは、馬車でも二十日をゆうに超える。そのため、出立は公都邸詰めの従者たちが準備してくれていた。顔にこそ出さないが、彼らの物腰はいかにも慇懃無礼である。ただ、それをとがめる気にもならなかった。


「勝手に飛び出してきて、気ままに振る舞っておったからな」

 苦笑気味にひとりごちる。結局は家出だったのだ。

 公都に出れば、なにかあるかもしれないという漠然とした期待。


 なにかあるどころではなかった。

 同世代の少女と出会い、親交をかわした。

 もしかしたら、より深い何かさえ――だが、それも終わってしまった。

 

 自分の未熟が招いたことだ。あの者は、もういない。


 天井を仰いだスピネだったが、そこへ不意に声がかけられた。

 おずおずした響きの、聞き覚えがあるのに、聞き慣れない調子の声。


「……エルスピネス様が、お発ちになると聞いて、ごあいさつに……」

 赤みがかった金髪。おずおずと上目遣いの茶色の瞳。

 まったく馴染みのない、おとなしく丁寧な言葉遣いは、心地よくはないが――


「――向かいにかけよ。作法は気にせずともよい」

 完璧に令嬢的な柔らかい笑みをうかべ、魔女は少女に応じた。



「何か頼むかや。支払いはわれが持つゆえ」

「めっそうもない、です。本当に、お見送り、だけで」

 そういって、金髪の少女は恐縮してしゅんとしおれてしまう。


 いったん口を開いて何かを言いかけ、しかし。

 口をつぐんでから、スピネは別の話をきりだすことにした。


「……あれから、息災かや」

「はい、皆さん、親切にしてくださっていて、助かっています。雑用に洗濯とか、料理のお手伝いとか、荷物運びとか、いろいろ」

 素直に笑みを浮かべる少女に、魔女は少し胸をなでおろした。


「そうだ。ちょっと針仕事に興味があって。誰かに教われないか頼んでいるんです。部屋に妙に古いクッションがあるんですけど、それを繕った黒糸の仕事がすごく綺麗で、見惚れちゃって……あ、すみません。しゃべりすぎ、ですよね」


「よい。そなたが元気そうなら、われはうれしい」

 スピネの声は、少し硬かった。

 テーブルの下、見えないところで拳をきゅっと握る。


 二人とも話し出せないまま、沈黙のとばりが降りてしまった。

 しばらくたって、口を開いたのは金髪の少女の方である。

「そうだ! お姉さんから、旅立ちの時はこう言え、って言われたんでした」


 おとがいに指を当てつつ、彼女は口に出した。

「ええと――あなたの旅路に、女神さまのご加護がありますように」


 少女の言葉に、魔女はふっと笑んだ。

「女神さま、か。そなた、アウグスタさまの言い伝えは知っておるかや」

 その問いに、金髪の少女がかぶりを振る。

「なら、出立までの暇つぶしに、つきあってたもれ」


 そうして、スピネは自分が知っている伝承を、かいつまんで話し出した。

 最初はきょとんした顔の少女が、みるみる間に目をきらきらとさせる。

 親が子に話すように、魔女はひとしきり語ってみせた。


「すごい方だったんですね、女神様!」

「とはいえ、旅路の守護にまでされては、ご迷惑であろうがな」

 そこまで語ってから、スピネは改まって、言った。


「アウグスタさまには、きちんとした正式なお名前がある。聞きたいかや」

「は、はい!」

 元気のいい返事に、わずかに間を置いてから、スピネは御名みなを口にした。


「ラルニース・アウグスタ・インペリエラ・ヴァス・ガナントゥース」


 陶磁の鈴が唄うような声で、魔女は一連の音を口にした。

「いかめしい名前だの。けれど、真の名はもっと短い。かの御方にあやかろうと、子供にその名を付けるのが広まった。いまでは、しごく平凡な名となってしまわれた」

「平凡、ですか」


 少女の相槌に、うなずきつつ魔女は言った。

「かのお方のように、偉人になってくれと願ったわけではない。ただ、お示しになられたその一端でもあやかれれば、という親の想いであろう。聡明であれ、勇敢であれ。美しく育ってほしい、百年の統治をしたように長生きしてほしい。これが、名づけの由来ぞ」


 そこまで言って、魔女は目を伏せた。

「英雄であり、女帝でもあられた。ゆえに英雄女帝アウグスタ。けれども……」


 やおら立ち上がり、スピネは金髪の少女にそっと近寄った。

 恐縮してかしこまった様子の彼女。

 その耳元に唇を寄せて、ささやく。


「……われが己を失った時、駆けつけたそなたこそ、われには英雄であった」


 魔女は言葉を紡いだ。

 なくしてしまったものなら、せめて。

 いまはもういないあの子に向けて、これを伝えたかった。


「ニース。それが汝の名。そなたが忘れても、われは決してそなたを忘れぬ」


 魔女の指がそうっと金髪の少女の顔をはさむ。

 そして、当惑顔の彼女へと、優しく唇を重ねた。

 琥珀の瞳の少女との楽しき日々を、想い浮かべながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。