第35話 「なにもかも一件落着さ」
うっすらと目を開けたスピネの視界に映ったのは、白みがかった空。
次に感じたのは、自らを包むような、ふかふかと心地よい感覚。やわらかくしなやかで、それでいてしっかりと受け止めてくれる。肌へ直に吸い付くような感覚が少しくすぐったいけど、安心感がより大きい。
もう少し、このままでいたい。
このまま、くっついていたい。
この感触を言葉にしたような気がする。そう、たしか――
――身を寄せてくれば、しっかりとした骨格としなやかなる筋が感じられ。
はた、と気づいて、スピネは目を見開いた。
ぎぎぎ、と音が鳴りそうなぎこちなさで、体を起こし、振り返る。
はたして、ニースがいた。彼女が、自分を抱きとめてくれていた。
しかも、一糸まとわぬ姿で寝そべりながら。
「……!? ……!?」
みるみるうちに顔がほてるのを感じつつ、ようやく妙な開放感に気づいた。
まさかと思い、おそるおそる自分の身体を見下ろす。
白い肌。細っこい四肢。薄い胸。そこへ長い黒髪が幾条も貼りついている。
やはり、彼女自身も一糸まとわぬ姿であった。
「ッッッ!?」
あわてて四つん這いでニースから離れると、スピネはぺたんと尻もちをついた。
石畳がざらざらと堅くて、ちょっと痛い。なにしろ素肌に直なのだ。
たまらず魔女は身をすぼめて、両腕で身体の前を隠した。
「つまり、われとあれは、ずっと肌をあらわに抱き合っていたと……?」
しかも街中の広場である。とんだ見世物になりかねない。
ひとまず、スピネはいったん目を閉じて、すうと息をすった。
ぽんと両手を打って、長く息をはく。
その息遣いにあわせて、黒髪がしゅるりと自分の身体に巻き付いた。
仕上がったのは、肌にぴたりと張り付くレ―ス模様の衣装、である。
「それで、どうしてこうなったのかや――」
鮮烈に脳裏へ浮かんできたのは、少女に奪われた口づけの感触だった。
ほてった顔がさらに朱に染まり、頭から湯気が出そうになる。
「ねぶるような口づけを、何度も、何度も――ううう」
振り返っての羞恥に、わなわなと全身が震えるのを、必死でこらえていると。
「ん、んぅ」
のんきな声をあげて、ニースが起き上がった。
目元を指でぬぐいつつ、きょろりと見まわしているかと思えば、
「あれ」「あっ」
二人の目が合った。合ってしまった。
互いにじっと見つめ合い、先に口を開いたのは、スピネであった。
こほん、と咳ばらいをしてみせる。
「そなた、その。よく、はたらいた。見事であったぞ」
ごまかしではなく、素直な賛辞であった。
それでも、言っておくべきことはある。魔女は、凛として切り出した。
「あれは、その――悪くはなかった。むしろ、良かった」
言いながら、声がどんどん細っていく。しなしなとうつむきつつ、
「でも、不意打ちされるのは……」
そこまで言葉にしたところで、不意にニースが訊ねてきた。
「――すみません。あなた、誰ですか?」
「え……」
スピネは、固まった。目を丸くして、ぱちぱちと瞬きをする。
一方のニースは、自分の姿にいまさら気づいたのか、
「……って、わあ!? わたし、はだか? なんで?」
自分の肌をぺたぺたと触ってから、ずいっとスピネに顔を突き出してきた。
「あの。さっき、不意打ちされた、みたいなこと言いましたよね」
「う、うむ」
「わああ、なんかやっちゃったんだ! ごめんなさい。なにがなにやら分からないけど、ごめんなさい。こんな美人さんに、そんなえぐい服を着せるなんて!」
「えぐ……」
魔女の片頬を引きつるのにも構わず、少女は続けた。
「しかもここ、外じゃないですか。変態? わたし変態さんなの?」
「あの。その。そなた、落ち着くがよい」
スピネの言葉に、わたわたしていた少女がしおれたようにおとなしくなる。
いずまいを改めて、スピネはふたたび訊いた。
「われの名前が分からないようであったが――本当に?」
「はい。誰なんですか?」
「そなた自身の名は。なりわいは。好きなものは」
「わたしの名前……あれ。あれれ」
自分の顔をぺたぺたと手で探りながら、少女は首をかしげた。
「わたし、誰なんだろう。どうして、ここにいるの?」
彼女の言葉を聞いて、魔女は、長く長く嘆息した。
「そなた、本当に、よくやってくれたのだな」
そっとつぶやく声が、どうしても震えてしまう。
おそらく、自分は魔に呑まれてしまったのだろう。
それを、ニースが救ってくれた。同じように、世界をだまくらかしたのだ。
けれども、使い魔にすぎない彼女に、魔法の素養はない。
代償に、何もかもを差し出してしまったのか。
命よりもたいせつな、これまで生きてきた足取りそのものを。
いままであの子が積み上げた、あの子を形作るものを奪ってしまった。
ぐっと歯噛みしつつ、スピネはニースを見つめた。
まだ狼狽している彼女に、そっと手をのばそうとした、その矢先。
「――幕引きだよ。なにもかも一件落着さ、きみたち」
少しくたびれているが、快活さを隠せない女傑の声が響いた。
銃士隊の青と白の外套に身を包んだ、厚みを感じさせる体つき。
「……クーン、であったか」
「おぼえてくださっていて、なにより」
「幕引きとは、どういう――」
「人造魔法使いは制圧。大鴉も追い払った。そのように話がついたのさ」
クーンは手にしていた外套を、少女たちに被せた。
「とりあえず、きみたちは銃士隊へ。保護、という扱いになるかな……二人とも」
そう口にして、金髪の少女へ目を向ける。
ニースであった少女は、首をかしげつつ、クーンに訊ねた。
「お姉さん、どこかで会いました?」
クーンは表情を曇らせて、ちらとスピネに顔を向けた。
魔女は、小さくかぶりを振ることしかできない。
「まあ、お嬢さまに大事がなくてなによりさね」
そうして、女傑は痛ましそうな目を、すべてを無くした少女に向けた。
「その子は……生きてりゃ、なんとかなるわよ」
遠くから、銃士隊の警笛が聞こえる。ブーツの足音が幾つも聞こえる。
スピネは、ニースであった少女を見つめた。
金髪の少女は、きょとんとした顔で応じ、ついで愛想笑いを浮かべた。
それが、もう、魔女には見ていられなかった。




