↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/38

第37話 「とうてい、思い描けぬのだ」

 惜別わかれの口づけは、長かった。


 しっかりと金髪の少女の顔を押さえたスピネは、唇を重ねて微動だにしない。


 先に限界が来たのは、不意に唇を奪われた方だった。照れとは別の理由で顔が真っ赤になり、身じろぎしだす。魔女を手のひらでぺしぺしと叩き、こぶしでぽかぽかに変わる。そして、両手でむんずと魔女の肩をつかんで引きはがした。



「んもう、窒息しちゃうでしょうが! 何やってるの、()()()!」



 聞き慣れた声の、聞き慣れた調子。

 その瞳は、琥珀の色にきらめいている。

 魔女は、目を点にして固まった。


 金髪の少女は自分の姿を改めつつ、不平をこぼしている。

「あれ? 銃士隊の外套じゃない? なに、この町娘みたいな恰好」

 長いスカートをつまんで、ぺいっと離す雑な所作しょさは、まさしく。


 魔女は、みずからの唇に手を当てて、ひとりごちた。

「まさか――()()()()()()()()()、と?」

 声が震えないように努めて、訊ねる。

「そなた。自分の名前を、わかっておるかや」


「え? ()()()。ニース・ファウストン」

 目をぱちくりとさせながら、少女――ニースはあっさりと言った。

「やだなあ。銃士隊で顔を合わせた時に、堂々と名乗ってあげたじゃない――あ、でも。あの時の仕打ちは、まだ許してないからね?」


「そなた……そなたというやつは――」

 スピネは顔を伏せ、ふるふると身体を震わせた。

「――あほう、あほう、あほう、あほう! われがどれだけそなたを……」


 言い募るや、がばとニースに抱きつく。カラス羽根も、ばさばさと羽ばたいている。

「ちょ、え。待って。他の人の目もあるんだよ」

 当惑を隠せない少女の言葉をさえぎるように、魔女は声をあげた。


「猟犬は役目を終えたら、すぐに戻ってくるもの。どこをほっつき歩いておった!」

「えぇ、そんな脱走した犬みたいに人を言わないでよ」

「同じようなものではないか!」

 涙まじりの声でそういうと、魔女は両の手でこぶしを握り、ぽかぽか叩き始めた。


「痛い痛い。やめてったら」

 たはは、と苦笑しながら、ニースはそっと抱きしめ返した。

「なんか心配かけた。ごめん」

「ごめん、ではすまぬ」


「じゃあ言わせてもらうけど、乙女の唇を二回も奪う方がひどいよ?」

 そう言い返してから、少女は首をかしげた。

「あれ? 三回目だっけ。もう一回はたしか――」


 言いかけたニースの唇に、かすかに頬を染めたスピネが指を当てる。

「口にするでない。あの作法はよくない。いや、悪いわけではないが……」

「結局なに。よいの? 悪いの?」


「言わせるでない、あほう」

 魔女はふんと鼻を鳴らした。

「鈍感。朴念仁。唐変木。乙女の心をもてあそぶ乙女め」


 じっとりと湿った視線で見つめられて、少女は眉を下げてみせた。

「そんな目しないで。だって、わたしにとってスピネは――」


 言いかけて、ニースはたちまち神妙な顔になった。

「――いや。これ言っていいのかな」

「なにかや。われに言えぬことか」

 不満を隠せない魔女の声に、ニースはややあって答えた。


「よく覚えてないけど、スピネが遠くに行っちゃって、その時さ」

 少女の瞳が、澄んだ琥珀の色にきらめく。

「分かったんだ。あんたが、わたしにとって特別だって」


 その言葉に、スピネの目が見開かれる。

「特別とは……どういう」

「んー。分かんない」

「……そなた、本当に残念だの」

 魔女は嘆息した。苦笑しながらニースが続ける。


「いまはまだ、変に言葉にしたくないっていうか。ひとつ上の何か、みたいな」

「はっきりしないことよ」

「はっきりしていることもあるよ」

 ニースはスピネの手を取り、指を組むように握った。


「スピネにふさわしいわたしになる。いまはまだ足りないけど。きっと、なる」

 琥珀の瞳が、黒曜の瞳を覗き込んで、告げる。


「だからもう、スピネには遠くへ行ってほしくない。そばにいてほしい」


 魔女が握りあった手をそっと掲げ、自らのひたいをこつんと当てた。

「覚えておるかや。思い描くことこそ、魔法の本質と」

「うん」

「思い描けぬ魔法は、どうあっても実現できぬのだと」

「うん」

「あほう。とうてい、思い描けぬのだ」


 黒髪の少女が、顔をあげる。

 頭のカラス羽根が、小さく羽ばたいた。

 涙は、もはやこぼれない。目を潤ませつつ、彼女は告げた。


「そなたのそばにおらぬわれを、想像すらできぬよ」



 二人は宿を出た。出立の準備をしていた従者に、スピネは一言。

『不用になった。荷物は銃士隊へ送ってたもれ。済まぬな』

 なんともさらりと言ってのけたのである。


「……いいの? あれ」

「その場で金貨を渡して、一筆書くと言ったら黙ったであろう」

「お貴族様、怖いわぁ。でも、実家には、それで済まないでしょ」

「なんとかなろう。力づくで連れ戻せる者は領国にはおらぬ。くくっ」

「魔女様、怖いわぁ。おっかないわぁ」


「そなたは()でてやるから、安堵せよ」

「ぜんぜん安心できないなあ――あ、でも」

 歩きながら、うーんと背筋を伸ばしつつ、ニースは言った。


「使い魔契約はどうなったんだろ。なんかさ、不自然に嬉しい、て言うのが湧いてこないのよね。前はそれに振り回されてたけど」

 明るい声で言う少女に、魔女は、ふむ、と声をもらした。

「――試してみるか」

「……はい?」


「おすわり」


 言われた途端、ニースの足が止まった。

 そのまま、道端なのにもかかわらず、ぺたんと座り込む。

「え。あれ?」

 驚きと苦笑がないまぜの表情を、少女が浮かべる。魔女は続けて言った。


「ふせ」

「あっ、はい……はぁ!?」

 その場にぺたっと伏せたニースが、目をしばたたかせた。

 スピネはと言えば、頭のカラス羽根をぱたぱたと羽ばたかせている。


いやつ。いやつ。もう一度、おすわり」

「はい――って、もぉ」

「おまわり」

「ちょっ……世界が、世界が回るぅ」

 少女がくるくるとその場を回り始める。言葉の割に、やけに軽妙な足取りだ。


「くふ。くふふ。はは、あははは」

 たまらず、カラスの魔女が笑い声をあげると、


「ふふ、ははは。あはははは」

 銃士の少女もまた、愉快そうに笑いだす。


 二人の賑やかな笑い声は、手を取り合うように共に青い空に昇っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。