第32話 「加護があらんことを」
煌々と光るランタンを腰に付けたまま、ニースは駆けていた。
斜め後ろに、マイナもつけている。肩に大荷物をかけながら、重さを感じさせない足取りだ。
ややあって、ニースは声をあげた。
「あそこ! 夜闇で見えにくいけど、間違いない。聖堂広場だ!」
その言葉を受けたマイナが、懐から小さな遠眼鏡をかざして、うなずく。
「女神さまゆかりの円柱のてっぺんですわね」
確認するように言葉に出してから、侍女はため息をついた。
「よりによって、女神のご降臨あそばした場所で羽休めなんて。お嬢さまと来たら、趣味が昂じるにもほどがございますわ」
ぼやきつつ、マイナが走る速度を上げた。
ニースも駆ける脚に力を込めた。
少女の動きやすい軽装に対して、侍女は例の服装のままだ。たっぷりしたスカートを両手でつかんで走る姿はそれなりに様になっているが――
「――その恰好、走りづらくないの?」
声をあげてニースが訊ねると、マイナは涼しい顔で答えてみせた。
「侍女のお仕着せは、正装であり戦装束。着替えるなんてとんでもありません」
そう言ってから、今度はマイナが問い返す。
「あなたこそ、灯りを消した方がよいのでは?」
「このままでいい。気づかせるのよ。わたし、ニース・ファウストンが来たぞって」
少女は答えつつ、出発前の作戦会議を思い出していた。
大鴉は決まった範囲を飛び回っている。
そのことをマイナが地図に示したとき、ニースは胸が締め付けられる思いだった。
街歩きで訪れた、聖堂広場。
貴族の男といさかいになった、噴水の場所。
扮装して踏み込んだ、薬種店がある南街区の裏通り。
オリエンス広場の裏路地――自分が死にかけ、スピネが救ってくれた場所。
公都での二人の思い出の場所を、大鴉はうろうろしているのだ。
(わたしを、待っている。まちがいない)
確信をもってニースは断言し、マイナもうなずいた。
そこからは、もう隊則違反どころではなかった。
寮を抜け出し、武器庫へ忍び込んで、装備を揃えた。幕僚部には偽の報告書を投げ込むことで、銃士隊を方々へ散らせている。
ついでに隊舎を出しなに、呼び止めてきた隊員を沈めてきてしまった。
マイナが有無を言わさずに距離を詰めての、拳の一発。良く知っているクーンより鋭い、「敵即打」の瞬時の動きが実におっかない。
まあ、その隣でニースはもう一人のあごへ、掌底を打ち上げていたが。
(あの人たち、ぴくりともしなかったけど、大丈夫かな)
ひそかに心配しつつも、ニースが声に出したのは別のことだ。
「もうすぐ広場前――でも、どうすればいい?」
円柱に止まったまま、こちらに向けて翼を広げる鴉を見やりつつ言うと、
「たたき落とした隙に、お嬢さまにとりつくしかありませんわね」
マイナが答えると、駆けていた足を止めた。
肩にかけていた大きな箱を下ろすとおもむろに開ける。
中からでてきたのは、分割された長大な銃だ。
てきぱきと組み上げつつ、マイナは言った。
「〈衝鳴弾〉を使いますわ。耳をふさいでくださいまし」
「ちょ、開発中の武装まで持ち出したの?」
「実用試験にはもってこいでしょう」
そう言って、侍女は石畳の上にずんと腰を下ろした。
そのまま両脚を前へ伸ばして、上半身を支える。
たくましい肩と両腕が、長大な銃をぴたりと静止させて、構える。
「発砲準備よし」
マイナが言うのに、ニースは慌てて耳に両手をあてがった。
「さん、にい、いち――いま!」
掛け声と共に、雷鳴にも似た銃声が轟く。
銃弾が風よりも音よりも速く、空間を駆け抜け、大鴉の手前で。
ぼぉん、と、はじけた。
途端につんざく悪霊の叫びにも似た爆音が、街中に響き渡る。石畳がわずかにかたかたと揺れ、街並みの硝子窓がびりびりと震える。
たちまちに、大鴉が硬直し、円柱のてっぺんから地面へ墜ちて伏した。
ニースが、唖然として言った。
「……すっごい音がしたよね」
「すっごい音がしましたわね」
憮然とした顔で、マイナが言う。
「どこの何に向けて使う気でしたの、これ。人間に向けたら脳震盪どころじゃ済みませんわ。銃士隊ったら、辺境へ竜退治にでも行くつもりかしら」
「ちょ、スピネは無事なんだよね!?」
「……お嬢さまですから、たぶん」
「答えになってない!」
二人が短く、そんなやりとりをしていると。
通りの向こう、あちこちから警笛が響く音が聞こえてきた。
「あの音、騎士団《貴族派》と夜警団《共和派》だ。いまのスピネが見つかったら面倒!」
ニースの指摘に、マイナがうなずいてみせる。
「背後はまかせてくださいまし。無粋な輩に、逢瀬の邪魔はさせませんわ」
そう言うと、侍女は立ちあがり、スカートの裾をつかんで、軽く揺すった。どこに潜ませていたのか、小銃や弾帯がぼろぼろと落ちてくる。
「乙女には、秘密の隠し場所がたくさんあるものですから」
涼しい顔で言ってのけるマイナに、ニースは目を丸くした。
「今度コツを教えてよ」
「首尾よく事が済んで、今度があればもちろん。さあ、行きなさい、ニース」
少女の背中をぽんとたたきつつ、彼女は告げた。
「あなたに、女神アウグスタさまの加護があらんことを」
それを聞いたニースは、苦笑まじりにはにかむと、聖堂広場へ駆けだした。
――ぐんぐん遠ざかる少女銃士の背中を見送りつつ、マイナはふうと息をついた。
石畳の上の小銃を拾う。
「命令無視」
二挺ある片方は肩にかけ。
「装備横領」
もう片方はしっかりと右手に握る。
「独断専行」
弾帯を集めて、自分の回りに並べる。
「まちがいなく他の警衛の皆さまと戦闘」
ぼやきまじりに挙げながら、迎え撃つ準備はしっかり整えていた。
「銃士隊はクビ確定ですわね。いいえ、クビで済むかしら」
銃士隊にはケジメをつけさせる特任隊士がいるらしい。
闇討ち粛清されても不思議ではない。
「それにリュミネンスのお屋形様から、どんなご沙汰が来るやら」
そう言いながらも、マイナは懐から一発の銃弾を取り出した。
鈍く銀に輝き、辺境伯家の紋章――三本足の鴉の意匠が小さく刻まれている。
「次にお嬢さまを撃つ時は、狩人として……だから、がんばってくださいまし」
分が悪すぎると思いつつ、望みを託した少女に向けて、そっとつぶやく。
「ニース。あなたは時々、どうしようもないけれども」
よく見知った赤みがかった金髪を目に浮かべつつ、マイナは言った。
「そのどうしようもなさに、わたくしは賭けたのですから」
静かに言葉を紡ぐと、彼女は小銃を構え、駆けてくる警衛たちに狙いを定めた――




