第30話 「賢くないから」
「スピネにとっての、わたし……?」
おうむ返しに口にしたニースに、マイナは深々とうなずいた。
「僚友解消は、あなたから切り出したのでしょう? 肩入れする理由はございません。ですのに、あの方は労をいとわず、人造魔法使いの被験者について、弱点探しをなさいました」
腰に手を当てて、ずいとマイナが顔を近づけてくる。
「しかも、あの場あの時に、みずから駆けつけてくださった」
少女は唇をかんだ。それに構うことなく、侍女は改めて問うてくる。
「お嬢さまにそこまでさせてしまうあなたは、いったい何者なのでしょう」
「わたしは……」
僚友でなければ、何なのか。
自分の想いは、もう分かった。気づいてしまった。
でも、自分と同じものをスピネが抱えているか分からない。
しばらく押し黙ってから、ぼそりとニースは答えた。
「あの子の使い魔……だいじな猟犬、でしょ」
少女の言葉に、侍女はくわっとまなじりをつり上げた。
「いくらなんでも、猟犬のために自分の命を投げ出す主人がいますか!」
「たまに聞く話だよ。猟師さんとか――」
だん、と侍女が足で床を踏み鳴らした。
「それは、雨降る日も雪降る日も、獲物を追いかけて山を越え谷を渡り森を駆け、生活のすべてを共に過ごすような仲でしょう! ご自分で気づかないのですか?」
少女の目が大きく見開かれる。
震える手で口元を覆い、かぼそい声で言った。
「……スピネも、わたしと同じように想ってくれていた……?」
そう考えた瞬間、心の中が涙でたちまちに満ちていく。
気を抜くと、まなじりからこぼれて溢れてしまいそうだ。
すん、と鼻を鳴らして、少女は潤む目を懸命に指でぬぐった。
マイナが盛大にため息をつくや、じとりとにらんでくる。
「鈍感。朴念仁。唐変木。乙女心の分からない乙女ですね」
「そっ、そんなに言わなくたっていいじゃない!」
「お嬢さまの代わりに言ってさしあげたのです。あの方、育ちがすごくよいので」
得意げに言った後で、マイナは姿勢を正した。
「お嬢さまも、あなたと同じ想いだと、そうおっしゃいましたね」
まっすぐに見つめてくる眼光が、鋭い刃と化して少女の胸の裡まで突いてくる。
「では、お嬢さまと同じように、あなたも命をなげうつことができますか」
彼女の言葉に、ニースはうつむいた。
よわよわしい声で、しかし、その声を途切れさせることなく、答える。
「なげうって、どうにかなるなら、そうしたい。でも、あんなになってしまって、銃士隊も出てきて、そうなったらもう。どうしたらいいのか――」
「――どうにかなるとしたら。できるのですね。やれるのですね」
ひとことずつ区切るように発せられたマイナの声が、少女の心に錨を投じた。
錨に繋がれた鎖をたどるように、涙の水面へ顔を出す。
せいいっぱい息継ぎをするがごとく、少女は声をあげた。
「……どうにかなるの!? できるの!?」
その問いに、マイナが腕組みをしてみせる。眉根を寄せて、半分うなりつつ、
「使い魔契約はまだ生きています。まだ、あの方と繋がっている。そうでしょう?」
訊かれて、ニースはハッとした。先ほどまで見えていた空からの視点。まぎれもなくあれは、あるじがしもべに伝えてきたものではないか。
「あなたの命を救うために、お嬢さまは使い魔契約の裏をかきました。ならば、そのお嬢さまのしもべとなったあなたにも、同じことができるのではないですか」
腕組みしたままのマイナが、おごそかに続けた。
「魔法を逆手にとるのです。そうすれば、あの方をお救いできるかもしれません」
「そっか……そう、なんだ」
少女は拳をにぎった。思わずガタッと椅子から立ち上がって、声をあげる。
「なんだってするよ。どうすればいいの。教えて」
勢いづいて訊ねるニースに――マイナは、目をぱちぱちさせて、肩をすくめた。
「……さあ?」
たちまちに少女が崩れそうになり、すんでのところで椅子の背もたれに手をかけた。なんとか、立っている。ふるふると震えながら、少女は侍女をにらんだ。
「焚きつけておいてそれなの!?」
「あるじと使い魔の絆は、当事者にしか分かりません。魔法使いそれぞれで異なる形をとるのです。わたくしの持つ知識はほとんど当てになりませんわ」
マイナは憮然として言った。
「そもそも、れっきとした人間を使い魔にするなんて、魔法における常識外れです。奇跡のたぐいか何かですよ。お嬢さまだからこそ、なのか。それとも――」
侍女は軽くかぶりを振ってみせた。
「――あなたには考える頭がありますわ。中身はちゃんと詰まっていますか?」
どこかで聞かれた言葉だと思いつつ、ニースは正直に答えた。
「……勇気と根性」
「はい、とても残念な回答ありがとうございます」
「ひどい!」
「まあ、ないよりマシでしょう」
「そこまで言うかな!?」
応じつつも、ニースは眉をひそめた。
考えた結果、気になったことがある。
「ひとつ、聞いていい? わたしが命を差し出せば、済むの?」
「……いえ。おそらくは、〈すべて〉を」
マイナの返事は短く、そして重かった。続く言葉は、淡々として冷たく響く。
「しもべがあるじに逆らうことはできません。魔に呑まれたあるじを諌めるには、手向かう覚悟が要るでしょう。魂に食い込んだ鎖を無理やり引きはがすようなものです。命を含めた何もかもを差し出して、やっと天秤が釣り合うでしょう」
侍女が、すっと目を細めた。
「おじけづきましたか? すべて聞かなかったことにしてもよいのですよ」
彼女の問いに、しかし、ニースは凛として応えた。
「そうだね。諦めた方が楽かもしれない。このまま何もかも見なかったことにすれば、平和に生きていける。あの子がいなかった日々に戻るだけ。でもね」
少女の目が琥珀にきらめき、涙が潤む。
「だからって、わたしはやっぱり、諦めたくない」
ニースが苦笑を浮かべる。しずくが、頬をつたった。
「わたし、賢くないから。だから、諦めるなんて利口な生き方、できない」
思わず、マイナが大きくため息をついた。
「知恵や聡明が見つからない言葉ですわね」
「スピネにも、よく『あほう』って言われるよ」
少女の声が、かすかに揺れる。
合わせるように、侍女もくすりと笑んだ。
「マイナさん、手伝ってくれる? あの子を、取り戻さなくちゃ」
「そのつもりがなければ、こんな分の悪い賭けを持ちかけません」
マイナが立ち上がり、懐から何かを取り出す。少女の手を取り、その何かを握らせた。ニースがそっと手を開く。何かを見てとった瞬間、少女は息を呑んだ。
なくしたはずの、スピネの手紙。
たまらず、少女が胸元にそれを抱きしめ、顔をうつむける。
かすかに震えている、その肩に手を置いて、マイナは静かに告げた。
「あの子の奪還ということなら、あなたの役目ですよ。銃士どの」




