第29話 「お初にお会いしますね」
入ってきた人物は、先輩銃士のクーンであって、クーンではなかった。
体つき、顔立ち。それは間違いなく彼女だ。
だが、まとう雰囲気がまるで異なる。
快活な女傑はなりを潜め、しとやかさが漂う。
こうして相対していなければ、まったくの別人だと勘違いしたことだろう。
「先輩、だよね……?」
ニースの問いに、彼女はうなずきかけ、しかし大きくゆっくりと首を振った。
意味がつかめずに少女が当惑している前で、クーンが扉の鍵を閉める。
閉めながら、ささやくように歌うように、彼女は言葉を紡いだ。
「お願い、〈鍵の小人、倉庫の番兵、宝物の保管庫。錠前を固く固く護っておくれ〉」
まぎれもない魔法の詠唱に、少女はぎょっと目を丸くした。
銃を扱うには、役に立つか怪しいほどわずかな魔力が必須条件なのに、なぜ。
そんな反応を意に介さず、銃士であるはずの女は、続けて唱えた。
「おお、〈劇団の化粧師、髪結いの匠、惑わしの彩り。我をよそおわせておくれ〉」
詠唱と共に、彼女の手が自身の顔を覆い、すうっと頭へと沿わせる。
現れた顔立ちはクーンよりも繊細なつくりで、どこか鋭さを思わせた。波打つ明るい茶髪が、銀の色に変わり、後ろで綺麗にまとめられる。頭からは、猫らしき耳がわずかにとびだしている。
間違いない。魔法使いの証、〈みしるし〉だ。
そして、彼女は銃士隊の外套を翻すようにばさりと脱いだ。
一瞬、ニースの視界が外套にふさがれ――視界が開けると、そこには別人がいた。
黒を基調にしたワンピースに、白いフリルエプロンの侍女姿。背丈は変わらないが、体つきが締まって見える。ヘッドドレスを頭につけると、猫耳の〈みしるし〉はもう見えない。
早変わりした女は、スカートの裾を優雅に持ち上げて一礼した。
「この姿では、お初にお会いしますね。わたくしは、マイナと申します」
続く彼女の言葉に、思わずニースはぎょっとした。
「リュミネンス辺境伯家に仕える侍女にして、隠密をつとめております」
「スピネの実家の!? 何をしに来たのよ!」
「大きな声を出さないで。あなたに害意はありません――まあ、念には念を。〈梢の狭間、凪の湖面、霧にけぶる渓谷。静寂よ来たれ〉」
さらりと詠唱を終えると、部屋の空気がどこかピンと張り詰めた。
「ご心配なく。盗み聞き防止の魔法です」
「……音を封じて、わたしをなんとかしたいの?」
「どうこうするなら、初手で不意打ちします」
マイナと名乗った女はすっと目を細めた。
「あなたの知るわたくしなら、引き金はためらわない。でしょう?」
その言いざまは、ニースが知るクーンそのものだ。
けれど、声音と言葉遣いはまるで異なる。なりすましているのか演じているか。
おそるおそる、少女は再び訊ねた。
「クーン先輩、だよね……マイナ、が本当の名前?」
侍女は愉快そうに口元をほころばせた。
「マイナ。クーン。他にもたくさん名前はありますから、どれが本物かしら」
「どれでもない、ってこと?」
マイナは、片膝をついて身をかがめた。目線を少女に合わせ、笑んでみせる。
「クーンという名前に、特別な思い入れはあるのは確かですよ」
柔らかな目つき。だが、瞳の奥には、あの女傑と同じ剛毅さが感じられた。
ニースは椅子を引っ張ってきて、彼女に勧めた。
「マイナさん。小さくて申し訳ないけど、ここへどうぞ」
「あなたにさん付け呼びされるのは、なかなか新鮮ですわね」
苦笑しながら座る侍女と向き合うように、ニースは寝台に腰掛けた。
「それで? あの子の実家の人が、どんな用なのよ」
「さて、どこから話したものか。そうですね――」
マイナは、人差し指を立てると、おとがいにとんと当てて話し始めた。
「――そんなわけでお屋形さまから無茶振りされていて忙しいところに、お嬢さまの家出ですよ! あの方もうお幾つですか。縁談が決まってもおかしくないところ、黙認をいいことに、あちこちほっつき歩いた挙句、公都ですよ公都!」
「あ、あの。マイナさん?」
「お嬢さまったら、〈はじまりの魔女〉さま――女神アウグスタが大好きでもう。存じておりますのよ。ご実家の自室の本棚みっつ、御伽話や伝承でぎっしり埋まっているのを。公都行きも観光半分に違いありません。お二人でお出かけされましたよね? お嬢さま、すごくはしゃいでおられたでしょう?」
「えっ、あっ、はい」
「こっちは正体に勘づかれないか、ひやひやしながら振る舞っていましたのに!」
盛大な愚痴ぶちまけに、ニースは引いていた。
具体的には寝台で座る位置をずらして、ちょっと距離を取る程度には。
「マイナさん。気持ちは分かったから、本題をお願い」
「あら、失礼しました。いざ聞いてもらえると、つい口が回って」
侍女はすっといずまいを正すと、ひとつ咳ばらいをして言った。
「エルスピネスさまのお振る舞い。最初から辺境伯家の監視のもとにございました」
「監視、なの?」
「あの方は、辺境伯家の至宝。長い血脈の果てにようやく産まれ直した、破格の魔法使い。あれほどの使い手は、いまの時代にはいないでしょう。魔の力への接し方がまるで異なる。だからこそ、魔に呑まれる危険性がつきまといます」
魔に呑まれる。ニースは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「お嬢さまに枷はつけられません。竜に鈴をつけるようなもので、無理な話です。だからこそ、過ちを犯した際には、速やかに処理をする必要がございます。至宝ゆえに、汚れることは許されません」
そこまで言って、マイナは声をひそめた。
「わたくしが銃士隊に潜り込んだのもそのため。合理の産物たる銃の習熟です」
「待ってよ。あなた、魔法が使えるでしょ。変だよ、だって……」
「銃の雷管をはじく魔力は、〈かすれた青い血〉が使えるのみ」
侍女は、軽くウィンクしてみせた。
「修練によって魔力は微弱に抑えられます。普通は意味がないので誰もやりません――わたくしの役目は、狩人です。お嬢さまの、万が一に備えての」
「狩人……」
ニースは、きゅっとこぶしを握った。手のひらが汗ばむのを感じる。
マイナが何のためにここへ来たのか。最悪の想像が頭に巡り始めた。
その彼女が、じっと見つめてくる。
視線にたじろぎつつも、少女は顔をそらさなかった。
「本当の本題に入る前に、ひとつだけ確かめさせてくださいまし」
目と目が合う。覗き込むようなまなざしと共に、侍女は言った。
「お嬢さまにとって、あなたは何者だと思いますか」




