第27話 「鉄血によって護るべし」
「オオガラス、東のオリエンス街区で報告! 民家の屋根瓦が多数被害!」
「中央街区、フォロ・ガナント! 騎士団が交戦するも、手も足も出ないと!」
「夜警団の連中も怪鳥に突撃しましたが、全員、川に叩き込まれたとのこと!」
銃士隊本部は、蜂の巣をつついた騒ぎになっていた。人造魔法使いの工房へ強襲をかけたと思ったら、思わぬ怪異騒ぎである。
各所からの通報がひっきりなしに寄せられ、幕僚部はたちまち鉄火場と化した。まだ朝も早い時間だというのに、地獄の釜が開いた騒ぎになっている。
「棟梁はどこにいるんだ。あの人がいないと、迂闊に部隊も出せん!」
「総隊長なら、先ほどプロウィス砦から戻られたそうです」
「政庁に行っていたのか!? おい、そいつは――」
喧騒が満ちて、部屋からあふれ、廊下へ漏れ出す。
その残滓を、ニースは黙って聞いていた。
階段下の薄暗がりで、膝を抱えて座り込んで。
オオガラス。バケモノ。怪鳥。怪異。
呼ばれようが耳に飛び込むたび、かぶりを振る。
「ちがう、ちがうよ。あれは……」
スピネなのだ。何かに変わったとしても、あの黒髪の少女なのだ。
お高くとまって、余裕ぶっていて、喋り方が妙に古風な魔女。
少女はきゅっと目を閉じた。
すると、まぶたの裏に、灰色に霞がかった光景がぼんやりと浮かぶ。
空から一望した公都の街並みだ。
丸く歪曲した世界に、「ァアア! ァアア!」という鳴き声がかすかにかぶる。いまここにいる自分が、見るはずのない光景。だが、いままさに誰かが見ているものだという確信があった。
『あるじは使い魔の身体を自分のように認識できる』
『逆に言えば、自分の感覚を使い魔に渡すこともできる』
かつて教わったことが確かなら、これはまぎれもなく、あの子が見ているものだ。 公都の空を舞いつつ、「ァアア! ァアア!」という声はやむことがない。眉根を寄せつつ、自身の膝に顔をうずめて、ニースはうめいた。
「スピネ……どうしてほしいの? なにを、言いたいの?」
言葉にして口にすると、心の中の堤が決壊しそうになる。
じわりと目を潤ませて、少女は訊ねた。
「鴉の鳴き声だけじゃ、わかんない……わかんないよ……」
唇を噛んで、嗚咽が漏れそうになったが、
(だめだ。こんな時こそ、思い出さなきゃ)
心のよりどころ。銃士隊心得、第三条。
僚友を信じるべし。隊友を信じるべし。ゆえに、その信に背くなかれ。
(そうだ、皆を信じるんだ。総隊長なら、先輩なら、きっと――)
その時、招集を告げる鐘が少女の耳に聞こえてきた。
隊舎の外では、銃士たちが勢ぞろいしている。
その列にニースも、そっと加わった。
周りの先輩たちが片眉をあげて、注意しようとしたが、そこへ。
「――銃士隊の僚友諸君。暫定統領閣下より、下命をうけたまわった」
ずんと腹に響く声に、銃士たちが一斉に表情を引き締める。
ニースもその例にもれないが、彼女の場合は別の緊張からきていた。
ひそかにポケットを探り、そっと中の物を取り出す。すがるかのように、スピネからもらった手紙をきゅっと握りしめた。
「いま公都をさわがす大鴉の怪異。銃士隊にてこれを討てとの仰せだ」
銃士たちが一斉にどよめく。
ニースは、早鐘のように心臓が鳴動するのを感じた。
思わずわめきたくなるのを懸命にこらえて、踏みとどまる。
脂汗がじわと額に浮き上がり、つうっと頬を伝った。
「明日、夜明けを待って、作戦を開始する。仔細はおのおの嚮導銃士に任せる。正規も見習いもなしだ。アレを仕留めるのは、なまなかではあるまい。気を締めてかかれ」
そう告げると、総隊長は獅子の吠えるがごとく、叫んだ。
「公都の秩序と平穏は、われら銃士隊の『鉄血』によって護るべし!」
その叫びに、銃士たちが一斉に唱和して応える。
「護るべし!!」
その唱和に、ニースは合わせられなかった。
窒息しかけの魚のように、口を小さく開閉するだけだ。
「鉄とはなんぞや!」
「われらが銃なり!」
「血とはなんぞや!」
「われらが命なり!」
「鉄と血に、女神の加護と誉れあれかし。解散!」
総隊長の言葉と共に、銃士たちは一斉に敬礼し、きびきびと動き出した。ある者は装備を取りに。ある者は作戦を詰めるため。ある者は遺書をしたために。
彼らの中にあって、ニースひとりが立ちつくしている。
そこへ、ゆっくりした足取りで、総隊長が歩み寄ってきた。鋼のような剛直な顔は、相変わらず感情がまったく見えない。
否。いまの少女は、彼の目つきを確かめたくなかった。
視線をさまよわせ、まごついているうちに、その影がニースの上に落ちた。
頭上から降り注ぐ声が、冷徹に告げる。
「ニース・ファウストン。貴様には、待機を命じる」
少女は、はっと息を呑んだ。
でも、と言いかけた機先を制して、総隊長は続けた。
「これは温情だ。ひととき僚友であったものを撃つのは、忍びないだろう」
ニースは思わずこうべを上げ、そして。
言葉とは裏腹の苛烈なまでの目の光に、悟った。
総隊長は、すべて分かっているのだ。その上で、断固として討つつもりだ。
魔に対抗できる、新時代の合理の産物。
それを扱える銃士たちを、いま使わずにいつ使うというのか。
銃口を向ける相手が、どんな者であったかは、もはや一顧だにされない。
少女の指が、力なく開く。
その手から、何かが墜ちて地に伏した。




