第26話 「やっちゃえ!」
天井の一画を破り、黒い流星さながらに、彼女は飛び込んできた。
常ならば、黒い日傘をさしかけ、優雅に舞い降りるのに。
バリケードのひとつに降着し、ズズンと床を震わせた。
頭の鴉羽根をばさりと大きく羽ばたかせ、すっくと優雅に立っている。
ニースに背を向けたまま、魔女は言った。
「また、べそをかいているのかや、猟犬よ」
相変わらずの口調に、負けじとニースは言い返した。
「人を仔犬みたいに言わないでよっ」
少女の返事に、スピネがふっと笑んでみせるや――両の手を大きく広げた。
左右のバリケードから瓦礫が集まる。
瞬く間に、魔女の前に障壁が築かれた。
怒りか、驚きか。
ひときわ大きくなった叫びと共に、被験者たちの魔法が降り注ぐ。
たくみに障壁の形を変えつつ、魔女はそれをしのいでいた。
「やはりか。後から施術された者は、一筋縄ではいかぬ」
障壁がじりじりと削られていく。
魔女は片手をくるりとひるがえすと、さらなる障壁の材料を呼び寄せた。
「われが時間を稼ぐ。その間に、あの大扉をなんとかせよ」
「なんともならなくて困ってたのよ!」
「知恵をふり絞れ。そなたの頭には何が詰まっておる」
「――勇気と根性だよッ」
「ならば、その持ち合わせを使うがよい」
スピネの声に、いつもの余裕がない。
顔こそ見えないが、頭の鴉羽根がばさばさと騒いでいる。
ニースは、視線を巡らせた。
大扉。バリケード。壁のはしご。
天井。滑車。垂れ下がったロープ。
そのロープの先で揺れるもの。
「……待ってて、スピネ! 良い考えがある」
その声に、魔女が口の端でわずかに笑んでみせた。
ニースは駆けた。
壁際の梯子を上って、天井近くの梁を伝う。
そうして、目当ての荷物へ飛び乗った。
天井の滑車から吊るされた棺状の箱が、体重を受けて、ぐわんと揺れる。
「ちょーっ、とっとっとぉ」
声をあげながら、少女は巧みにバランスを保った。
足で踏んでみて、分かる。
こいつは、かなり重い。そのうえ、相当に頑丈だ。
大きく息をつきながら、重心を前後へと移動させる。
滑車に固定された箇所を支点にして、足場の棺が大きく揺れる。
慎重に、細心に。しかし大胆に。
足で重心を調整しつつ、揺れる向きを調節しつつ、勢いをつける。
(あと、二往復ぐらいかな)
そう考えていると、唐突に異音が耳に飛び込んできた。
はっとして、思わず視線を下に投じる。
スピネの障壁が削りきられ、はじけ飛んでいる。
「――ッ」
はっとして、ニースは思わず叫びそうになった。
だが、心配無用と言わんばかりに、魔女の鴉羽根が羽ばたいてみせる。
瀟洒なドレスの腕が身体の前で交差し、たちまちに光の傘が現出した。
二人で潜入した時と同じだ。
次々と襲い掛かる魔法を、その光はいなしている。
しかし、以前とは様子が異なっていた。
さまざまな属性の魔法が襲い掛かり、猛攻を加えてくる。
光の傘がじりじりと押され、それでも、押し返す。
押し返すたび、頭の鴉羽根が羽ばたき、その翼が大きさを増していた。
みるまに肩まで覆いそうなそれを見て、ニースの背筋に寒気が走った。
まずい。よくわからないけど、あれはまずい。
使い魔としての直観か、自身の洞察か。
猛烈に胸をかきむしりたくなる感覚が、少女を襲った。
(――急がなきゃ)
吊られた棺が後ろに大きく揺れる。
そこへタイミングを合わせて、迫ってきた柱を蹴りつける。
さらに勢いを与えられ、棺が前へ大きく揺れ、後ろへ揺り返す。
ニースは、ロープを掴んでいた手を離した。
棺と共にぐわんと宙に放り上げられながら、身体をひねる。
そして、手にした銃の狙いを定めた。
天井滑車の、留め金具。
一度きりの機会だ。間違いなく、二度めはない。
揺れる世界の中、銃士は絞るように引き金を引いた。
一射めは、金具をそれた。
二射めは、金具をかすめた。
はたせるかな。
三射めの銃弾は、あやまたず標的を撃ち抜いた。
錆がついて脆くなっていた金具がたちまち砕け、ロープが外れる。
宙に放り出されたニースは、懸命に手を伸ばし、別のロープを掴んだ。
少女の目に映るすべてが、妙にゆっくりと動いて見える。
ロープの束縛から解放された大荷物も、重力に従って落ちた。
ただし、存分に揺らされていたそれは、放物線を描く。
目指す先は――あの大扉だ。
『大砲か破城槌でも』
自分の言葉を思い出しつつ、ニースは歯を見せて叫んだ。
「やっちゃえ!」
少女の号令と同時に、体感していた緩慢な時の流れが戻る。
猛速度で、斜め上から。棺は、大扉へと直撃した。
錠前四つをなんなく打ち破り、内から外へと扉が放たれる。
それを見届けてから、ニースはロープを滑り落ちた。
長さが足りず、それなりの高さを落ちて、床に転がる。
打ち身に顔をしかめつつ、少女は身を起こした。
まだ聞こえている被験者たちの叫びと――
かすかな泣き声に、ハッとして顔を向ける。
スピネの方へ。魔女の方へ。自身のあるじを名乗る少女の方へ。
そこで、ニースは、彼女を見つけられなかった。
代わりに視界に入ってきたのは、一対の巨大な鴉の翼だった。
それが、黒髪の少女がいたはずの場所に、ある。
真っ黒な翼は、何かを守るかのように丸く閉じられ、拍動していた。
被験者たちの魔法を浴びせかけられても、びくともしない。
泣き声は、その翼の内側から聞こえてくる。
「……ァァ……アァ……アァァ、ア……」
スピネの声だった。たしかにあの子の声だった。
だとしたら、この巨大な鴉の羽根はなんなのか。
驚愕と、そして、戦慄に、ニースは動けなかった。
そんな少女の背後から、大勢の足音が駆け込んでくる。
「やったな、オイ――って、なんだいアレはよ」
駈け込んで来た銃士たちが、唖然とした声をあげた。
「なんかヤベエのがいやがる。総員、構え。合図と共に撃て!」
「待って! 待ってよ、あれは違う、違う!」
揃えて突き出された銃口を前に、ニースは両手を広げた。
背に、異形の翼をかばいつつ、必死に声をあげる。
「あれは撃っちゃだめ! あれは、あの中は――」
「――エルスピネスお嬢さまがいる。そうだろ」
落ち着き払った声に、ニースが顔を向ける。
長大な銃を担いだクーンが、ずんと足を踏み出して屋内に入ってくる。
「全員を下がらせろ。あれはまずい。本当にまずい。ああ、くそっ」
頭をかきむしりながらのクーンの声は、聞いたことがない響きだった。
「ちっ、全員退け! アレから距離をとれ!」
「……ほら、あんたも下がるんだよっ」
クーンのたくましい腕が、ニースの襟首をひっつかむ。
そのまま引きずられながら、少女は、確かに見た。
異形の拍動が高まり、その翼が大きく開き、それが姿を現すところを。
黒曜の瞳。
ぬばたまの黒い羽根。
白皙の鉤爪。
鋭利な嘴。
大の男を凌駕するほどの、巨大な鴉がそこにいた。
嘴を大きく開き、周囲を圧する奇声を放つ。
それは、まぎれもなく怪異であった。




