第25話 「心、折れるな」
「けほっ、けほっ。煤掃除はちゃんとしてよ」
工房の煙突から滑り降りたニースは、冷え切った炉から転がり出るとぼやいた。顔を拭うのもそこそこに、胴に巻き付けた弾帯と、腰の銃を点検する。
「よし――さん、にぃ、いちっ!」
気合の声と共に、少女は疾風さながらに駆けだした。
走る、走る。
廊下を走り抜け、壁を蹴って角を曲がり、扉を次々と開け放つ。
フッ、フッ、フッ、と律動的な呼吸が、四肢を熱くすると同時に頭を冴えさせる。
幾度めかの扉をくぐって、少女は目当ての場所までたどり着いた。物陰に身をひそめ、素早く視線を巡らせる。
倉庫と資材置き場を兼ねているだろう、広くて高い空間だ。天井には荷揚げ用の定滑車から、ロープが幾つも垂れ下がっている。壁際には屋根付近へのはしごが見て取れる。
そして、部屋の奥。大扉が、あった。
問題は、そこに行くまでだ。
荷車や木箱を積み上げたバリケードが各所に築かれている。
刺青の線が幾重にも刻まれた人が、それらに張り付いていた。
数は、ざっと五人。
表情は怯えとも怒りとかもつかず、うなりながら周囲を見回している。
「――ッ」
いつぞやの、撃てなかった相手のことを思い出し、ニースは唇をかんだ。
胸元へ手を当てる。その奥には、スピネがくれた手紙がしまってある。
ひとつ、大きく深呼吸をする。顔をうつむけ、小さくつぶやく。
「だいじょうぶ。だよね、スピネ」
そう言うや――少女銃士は床を蹴って、物陰から躍り出た。
最初に銃で狙ったのは、手近な天井の滑車だ。
留め金具を、あやまたず撃ち抜く。
軋む金属音と共に、はずれた滑車がバリケードのひとつへ落ちた。
破片が周囲に飛び散る。被験者たちが、反射的に詠唱を吠える。
注意がおろそかになった一人へ、ニースは瞬時に駆け寄った。
気づいて振り向くそいつと、刹那のダンスのようにくるりと交差する。
相手の二の腕に目当てを見つけて、少女の目が大きく開かれた。
――四本の線が交差する刺青の〈点〉を狙うこと。
狙い定めて引き金をひく。魔女からの伝言どおりに。
銃声と共に、弾が男の腕を貫通する。
途端に、相手は軋むようなうめきをあげ、身を縮こまらせた。
その身の刺青が、濃淡を不規則に変えながら、すうっと薄まっていく。
息はある。だが、動かない。動けないのだ。
(スピネが教えてくれた通りだ!)
歓喜と戦意が、少女の心臓をさらに拍動させた。
息遣いが、ピッチを上げる。
ニースは踊るようにステップを踏み、被験者たちをいなしていった。
炎が、石が、風が、幾重に飛び交うが、ことごとく彼女をはずす。
うなり、叫び。
支離滅裂に見えるが、法則性をニースは見つけていた。
被験者たちの叫びも、詠唱には違いない。
そして、彼らは単純な魔法しか使えない。
(なら、声の高さが変わった後に注意すれば――ッ)
放たれる魔法をかわしつつ、少女の体躯が弧を描いて躍動する。
円運動の勢いで肉薄しながら、相手との位置を巧みに入れ替える。
「――ッ!」
迷いなく引き金をひく。スピネが示した目印に向けて。
ニースが訓練に打ち込む間、かの魔女も無為に過ごしていたわけではない。
丹念に実験されいた遺体を検分し、刺青の仕組みを解き明かしていた。
魔力の流れを滞らせ、被験者たちの動きを縛る。
それはまさしく、急所だった。
「――おしまい!」
言い放って、六発目の銃声を鳴り響かせた。
無駄撃ちはひとつもない。実に、二十秒もかからなかっただろう。
あっという間にその場を制圧して、ニースは大扉へ向かった。
小走りに駆ける間に、連装銃を開いて排莢し、素早く銃弾を込める。
手元を見ずにたやすくこなした彼女は、しかし、顔をしかめた。
「……っうわあ」
慌てたのか、手持ちをかき集めたか、それとも偏執狂なのか。
大扉の錠前は、実に十個もかけられていた。
ひとつひとつは、それほど大きくない。だが到底、少女がちぎれる代物ではない。
ニースは、目をぱちぱちとさせた後――ゆっくりと狙いをつけた。
銃声がひとつ鳴り響く。金属音と共に、錠前のひとつがはじけとんだ。
「よし」
立て続けに引き金をひく。連続して、五つの錠前がはずれた。これで残り四つ。
連装銃を開いて排莢しながら、ニースはうなずいた。
(あと十二発。撃ち損じても、たっぷり余裕だ)
予備の弾帯を確認して、安堵に彼女の口元がゆるんだ――その時。
背後のバリケードが、がばりと崩れた。
中から、刺青を施された被験者が、姿を現す。
(ッ、六人め!?)
少女の視界に入ったのは、涙を流す若い女性の顔だった。
まだ刺青が及んでいない顔は、苦悶と恐怖でいっぱいに満ちている。
「……たすけて……たす……けて……」
銃士は、引き金をひけなかった。代わりに、思わず両腕を広げて抱きとめた。
だが、顔をあげたそいつは――歯を剥いて、笑った。
「……ひはっ、ひひひ!」
笑い方に怖気を感じるのと同時に、絡みついた女の刺青が明滅する。
青い火花が、女の腕をつたってニースの身体にまとわりついた。
「やば――ッ」
絡みついてきた女を蹴り飛ばし、バリケードへ叩き返す。
胴に巻いた弾帯を急いではずし、放り投げ、とっさに床に伏せた。
放り投げた先で、破裂音が立て続けに鳴る。
おのれの迂闊さに歯噛みしつつ、少女は沈黙を待った。
音が鳴りやんでから、恐る恐る身を起こす。
暴発した銃弾が、四方八方にはじけて、あちこちに穴を開けていた。
被験者の女がまとわりつかせた魔力に、銃弾の雷管が反応したのだ。
「ちっくしょう」
判断の甘さが、また命取りになるところだった。
うなだれそうになるのを、両手でぱんと自らの頬を叩く。
(任務を、忘れるな)
彼女は、ぼろぼろの弾帯に近寄った。
幸い、なんとか使えそうな弾が三発ある。
そう、三つだ。錠前四つに銃弾三つ。
頭を悩ませながらも、無事な銃弾に手を伸ばした。
そこへ、うめき声が聞こえてきた。いくつも。
手早く銃弾を拾い上げ、周囲を見回す。
先ほど急所を射抜いたはずの被験者たちが起き上がってきていた。
刺青が明滅しつつ、形をぐねぐねと変えていく。
四本線の交差が――二つ、あるいは、三つ。新たに浮かび上がってくる。
起き上がった彼らをにらみつつ、銃弾を装填した。
手持ちの銃弾三つ。標的の急所の数は、十ではきかないだろう。
(いよいよとなったら、取っ組み合い。やれる?)
自問自答しつつ、少女はフーッと息をついた。
(心、折れるな)
そうしたら、あの子に顔向けできないじゃないか。
決意を固めた少女の眼前に――鴉の羽根がひとひら、頭上から舞い落ちた。




