第21話 「だまくらかした」
街の名所をいくつか巡ると、すっかり昼下がりになっていた。
「おまたせ。お昼ごはんにしよう」
ニースの声に、街角のベンチに腰かけていたスピネが顔をあげる。
買い出し少女は、両手に抱えた戦利品を、見せつけるように軽く持ち上げた。
「ちょっと待っててね」
魔女の隣に腰かけると、少女は懐からナイフを取り出した。瞳をかすかな琥珀にきらめかせつつ、身体を機嫌良く揺らしながら、両手を動かしていく。
おおぶりなパンに手早くナイフで切れ込みを入れる。そこへ葉物野菜をぎゅうと詰め、輪切りにしたピクルスも放り込む。たれのかかった串焼きから、串を丁寧に外し、熱々の肉も詰め込んだ。
「はい、完成。がぶっといって、がぶっと」
手作り昼食を手渡すと、魔女は胡乱な目でそれを見つめた。
「なんとも雑な調理もあったものよ」
言いながら、小さな口を開けて、ひと口、ふた口。目をぱちぱちさせると、黒髪の少女がこくこくとうなずく。
思わず笑みながら、ニースは自分のぶんにとりかかった。
「……量が多い。空腹ならなんでも美味であろう。からしの風味がほしい」
食べ終えたスピネは、ひとしきり不平を並べた。
眉じりを下げ、おなかをさすりつつ、声も心なしかゆったりしているが。
にへへ、と笑ったニースは、膝の上できゅっとこぶしを握った。
「あのね、スピネ」
「なにかや」
「昨日は、ありがとうね。おかげですぐに回復できた」
賞賛の言葉に、魔女は微妙な顔をしながら、
「たいしたことはできておらぬ」
「そんなことないよ! 癒しの魔法なんて、まるで御伽話じゃん」
魔女へずいと顔を向けると、前のめりな勢いで少女は言った。
「わたしがおなかをばっさりやられた時も、こうやって治してくれたんでしょう?」
重ねての言葉に、スピネの顔がわずかに曇った。
少しうつむき、組んだ両手の指を所在なげにうごめかす。
はら、と黒髪が数条流れて、魔女の顔をわずかに隠した。
「あれはな、ずるをした」
いかにもばつが悪そうな声で、ぽつりと彼女は答えた。
「ずる?」
ニースが聞き返すと、ややあって魔女が問い返してきた。
「……そなた、逆立ちを三日三晩できるか?」
「それは――いや、銃士の正隊員試験なら……?」
「まったく。あほうな考えは、そなたらしい」
「えっへへ」
「褒めておらぬ」
ひと呼吸置いてから、真剣な面持ちで魔女は語りだした。
「魔法で痛みはまぎらわせても、裂けた肉体はどうにもできん」
「思い描いたことはなんでもできるのが、魔法でしょう?」
「仮に、『くっつけた』と思い描いたとしよう。実際に傷じたいが治癒するまで、魔法使いが想像し続ける必要がある――癒しの魔法は、都合のよい願望にすぎぬ」
「待ってよ。実際に、治してくれてるじゃない」
不服だと言わんばかりの声に、魔女の声が答える。
「ずる、と言うたであろう。使い魔の契約を逆手に取ったにすぎぬ」
「え? 傷を治してから、使い魔にしたんじゃないの?」
「使い魔にしたから、治せた。あべこべになっておる」
黒髪をかきあげつつ、魔女は語りだした。
――あれは、助からぬな。
ひと足遅れて騒動に駆けつけたスピネは、眼下の少女を見やった。
哀れな勇者の末路を看取ってやらないのは、少し気分が悪い。
手にしていた日傘を広げてさしかけ、ふわっと屋根の上から舞い降りた。
血だまりに倒れ伏した少女に、声をかける。
「そなた、死ぬのか?」
何度か問うたのは、息を引き取ったかの確認のつもりだった。
どうせ、人は皆死ぬ。
この娘の場合は、より早く、より残酷であっただけ。
そのように、思っていたのに。
「――死にたいわけないでしょうが、こんのクソが」
驚くべきことに、怒気を滲ませた声が返ってきた。
虚ろになりつつあった茶色の瞳が、刹那、琥珀にきらめく。
思わず、魔女は息を呑んだ。
そして、自分でも思いもよらぬ言葉を発していた。
「――ならば、われがどのように拾っても、文句はあるまいな」
声をかけつつ、少女を抱き起こす。
血を失いつつある身体は重く、手足はだらりとしている。
猶予はない。しかし、癒しの魔法などない。
魔女は記憶を探り、そして、探し当ててしまった。
たったひとつの、まるで冴えないやり方を。
「われに仕えよ。そなたを猟犬の資格ありと認める――ゆえに、死ぬな」
そう宣誓して、思い描く。
頭の鴉羽根が、ばさりと翼を広げた。
われの魂のひとかけらを、そなたに。
そなたの魂のひとかけらを、われに。
あるじとなり、しもべとなり、分かち合わん。
口づけを、ひとつ。
触れた唇から、熱いものが流れ出し、そして流れ込む。
願いを叶えるための魔力が、奔流となって襲いくる。
頭の鴉羽根が幾度も羽ばたく。
羽ばたくたびに、翼が大きくなる。
呑まれるな。怖れるな。思い描け。そう、自分を叱咤する。
腹部に激痛が走る。全身を虚脱感が襲う。
これは、こやつの感覚。こやつの身体。
われ自身の身体を思い出せ。
われは無傷。われは壮健。われは息災。
われの身体は、そなたでもある――写せ。映せ。移せ。
そなたは、われのごとく、無事であるぞ。
どれほどの間、魔を汲み上げ、思い描いていたのか。
少女の傷はすっかりふさがり、すべらかな肌が服の裂け目から窺えた。
穏やかな顔つきで、すうすうと寝息を立てている。
そこまで確認して、魔女は思わずへたり込んだ。
額にぐっしょりと噴いた汗をぬぐいつつ、ふと、視界が暗いことに気づく。
「……きわどいところであったか」
頭の鴉羽根が、肩を覆うほどに大きくなっている。
なだめるように翼を撫でると、徐々に鴉羽根は小さくなった。
「魔の大河に飛び込んで、どうにか繋いだのだ。役に立ってもらうぞ」
眠る少女の髪をいじりつつ、スピネは苦笑気味にこぼした――
「……あるじは使い魔の身体を自分のように認識できる。逆に言えば、自分の感覚を使い魔に渡すこともできる。益がないゆえ、普通はせぬが」
「えーと、つまり?」
首を傾げた少女の眼前に、人差し指でくるくると円を描きつつ、魔女は言った。
「世界をだまくらかしたのだ。あるじの身体と同じように怪我はない、と」
「ちょ、ちょちょ。だますって、つまり」
あわてて服を開いて、自分のおなかを確認する少女に、魔女はうなずいた。
「魔法的に見れば、そなたは腹が裂かれたまま――この数日間、歩いて走って大立ち回りをしていたことになる。もう治ってはおるが」
「うげ」
いったんうめいてから、しかし。
ハッとした顔で、ニースはさらに大きな声をあげた。
「待って。使い魔契約の時に、しれっと口づけされてない?」
「魂のかけらを渡し合うゆえ。息を吸い、吹き込む。口から通わせるしかない」
「乙女の乙女が、奪われた!」
ニースが悲痛な声で叫び、頭をかきむしる。
わしゃわしゃと金髪をかきまぜてから、おそるおそる少女は訊ねた。
「……なんかさ、スピネにとって、すごく危ない橋を渡っている気がするけど」
怪訝な顔を隠さず、少女は魔女をじいっと見つめた。
「どうして、そこまで? なんで、わたしに?」
「…………」
スピネは、口を開かない。
日が西の空に傾き、黙ったままの二人の影を徐々に伸ばしていった。




