第20話 「あまりに俗な理解」
(さあて困ったぞ)
ニースは頭をわしゃわしゃとかきつつ、小さくうなった。
初夏の光は、午前中でもまばゆい。しかし少女は別の理由で、顔をしかめていた。
宣言通り一晩で風邪を治し、総隊長に土下座する勢いで外出許可を取り付けた。
銃士隊の棟梁は、しかめつらでしっしと手を振っていたが――
深くは考えないでおこう。
目下、より差し迫った問題が、少女の頭を悩ませている。
街歩きに誘いながら、目当ての場所がないのだ。
(会ってからずっと、捜査で駆けまわっていたから)
気晴らしに、街へのお出かけを提案したまではよかった。
悲しいかな。男女問わず、おつきあいの経験が乏しいニースには、年頃の乙女を連れて行って喜んでくれそうな場所が、ぴんとは思いつかなかった。
まさに語るに落ちる、というやつである。
穴があったら入りたいどころか、自分で穴を掘って落ちているありさまだ。
(ほんとにわたしの人生、「落ちる」ことにいやな縁があるな……)
ため息をついて思わずうなだれるニース。
彼女の顔を、横からひょいとスピネがのぞき込んだ。
「どうしたのかや?」
瞳は、黒曜石のようにきらめいている。機嫌のいい笑みが、しかし怪訝そうな顔に変わり、やがて納得がいったようにうなずいた。
「ふむ……つくづく勇者であるの」
「うるさいやい」
「そなたがぶっつけ本番で挑む、あほうであるなら」
口の端をにまっとつりあげ、黒髪の少女は軽くはずんだ声で言った。
「ぜひ、行ってみたいところがあるのだがの」
「おお、おお、おお! ここが公都の〈聖堂広場〉かや!」
まばらな石畳の白灰色とたくましい雑草の緑色の中を、スピネが駆けていく。
聖堂といいつつ、建物があるわけではない。建国以前からあった遺構は、立ち並んでいた円柱の礎石だけを残すのみ。千年近い時を経て、いまはただの広場だ。
ただひとつ、広場の中央にそびえる巨大な装飾柱を除いては。
スピネは、ひときわ大きな柱の周りをくるりと回るや、じいっと見上げた。
そしてまた柱の周りをくるっと巡る。また見上げ、そしてまた巡る。
(人をさんざん猟犬呼ばわりして、自分こそ、はしゃぐ犬みたいじゃん)
ひそかに口をとがらせながらも、しかし、ニースはすっと目を細めた。
スピネが、喜んでくれてよかった。連れ出した甲斐はあったというものだ。
思わず、鼻歌がこぼれだしそうになる。
胸の奥から、あたたかなものが沁みだしてくる。
どちらが使い魔の感情で、どちらが自分自身の気持ちか、判然としない。
でも、いまはどちらでもいい。
胸の上にそっと手を当てて、少女は思った。
ひとしきり堪能したらしく、ニースの元へ駆け戻ってきたスピネだが、
「あの荘厳な柱! あの頂きに、〈はじまりの魔女〉さまが降りられたのだ!」
いたく感動したらしく、早口で語りかけてきた。
「この場で、開祖さまは民草に法と律を授け、守護する者としてわれらの祖先に魔法をお授けになられたのだ! いつかこの目でと思っていたが、よもやかなうとは!」
いつもの彼女らしからぬ、熱っぽい口調である。
スピネの勢いに若干引きつつ、ニースは応じた。
「……誰だっけ、その、すごく偉そうなひと」
言った瞬間、しまったと思った。
数瞬のうちに、スピネの顔が驚愕《ほんとに?》・呆然《うそでしょ?》・憤怒《あほうめ!》・諦観に変化する。
ため息ひとつを置いてから、いつもの魔女の顔と声が戻ってきた。
「すごく偉そう、ではない。神話と歴史に名を遺す偉大なお方であるぞ」
「ごめん、って。お願いだから、教えて」
手のひらを合わせて拝むと、彼女は高らかな声で答えた。
「われらが建国の祖。すべての魔法の祖。アウグスタ・ヴァス・ガナントゥース!」
「……ああ、女帝さまか。いや、女神さまだっけ」
うっすら聞き覚えのある名前に、少女は記憶を探った。
「あれでしょ。ほら、お芝居とかで」
「ほう、そなたもさすがに女帝さまの伝承は知って――」
「主人公が絶体絶命になると、なんか都合よく力を貸してくれるやつ」
「――知っておると思ったわれが、あほうであったわ」
がくっと肩を落として、魔女がうなだれる。
内心、ニースはちょっぴり嬉しくなった。
見たことがない、スピネの意外な顔オンパレードだ。
「はあ。俗にすぎる。あまりに俗な理解にあきれる」
その彼女はと言えば、恨みがましそうな目でこっちをねめつけてくる。
苦笑しつつ、信心深くないニースは答えてみせた。
「でも、女神さまってそういうもんでしょ」
「神のごとき奇跡をお持ちとはいえ、女帝さまは史書に記録が残る実在の人物ぞ」
そういうと、魔女は少女にぴしっと指を突き付けて、
「だいたい、そなたの名前も、かの御方にあやかったものであろうに」
「え、そうなの? わたしの名前が?」
「四方を平定し、登極されるまでは、その名を用いておられた」
そこまで言って、またもや魔女は恨みがましい目を向けてきた。
「もとは高貴な諱であるのに……ここまで平凡な名前になるとは。はあ」
ため息までつかれてしまう始末である。
「いや、ごめん。自分の名前の由来とか、聞いたことがなくて」
「名づけ親から聞くであろう。ならわしではないかや?」
「赤ん坊のころから孤児院育ちでさ。名前もそこで付けてもらったの」
軽く肩をすくめつつ、ニースは言った。
「だから、七歳になって名づけの意味を聞く行事にも、縁がなくて」
「そうで、あったか……」
たちまち、しゅんとなったスピネだが、ややあって顔をあげると、
「……そなたの部屋に、なにやら古びたクッションがあったな?」
「うん。孤児院から、ひとつだけ持ってこれた、思い出」
ニースは空を仰ぎつつ、答えた。
「なついていた先生が、わたしのために作ってくれたやつ。お針子の技も習ったけど、そっちはきちんと身につかなくて。結局、半端もいいところだけどさ」
いったん目を閉じてから、ややあって、少女は目を開け、微笑んだ。
「それでも、あれだけはなんとかつくろえているんだ」
「そうか。そうであったか―――すまぬ」
熱情はどこへやら、水をかぶった鴉のように魔女がしょげている。
思わずあたふたしつつ、ニースは声をかけた。
「それより! なんかすごいらしい女神さまの話、聞かせてよ」
少女のお願いに、濡れそぼっていた鴉がたちまちに乾きあがった。
「そうか、聞きたいか。聞きたいであろうな。そもそも、ここは――」
黒曜の瞳をきらきらさせて、魔女は――黒髪の少女は語り始める。
再び熱っぽさを帯びだす声を聞きつつ、ニースは思った。
(スピネって、意外と幼いところがあるんだ……なんか、見てて飽きないな)
街でよく見かける、紙芝居に目を輝かせる子供たちとまるで変わらない。
この子が憧れるなら、姫様だろうか、騎士様だろうか。
(ううん。やっぱり魔法使いだな。いじわるもする魔女だ)
ひとり合点がいって、少女はうなずくのだった。




