第19話 「生意気なからだをしておる」
――銃士隊寮。ニースの部屋。
そこは、とりもなおさず、スピネの部屋にもなっていた。
部屋の一画には、大きなトランクが持ち主に似た澄まし顔で、鎮座している。
あの宴席の夜の、明くる朝。黒髪鴉羽根の魔女は、宿を引き払って、物好きにもこの部屋に転がり込んだのだ。ニースは総隊長に抗議したが、無言で頭を横に振られると、どうにもならない。
そんな押しかけ居候の魔女は、ただいま看病の真っ最中であった。
寝台には、額に汗をじとりと浮かせたニースが、あおむけに寝ている。
少女の唇に、魔女のしなやかな指がそうっと添えられた。
みるみるうちに指先に水滴が集まっていき、唇の中へ静かに雫を落とす。
こくりこくり、と水を飲み込む音を聞いて、スピネは小さくうなずいた。
次いで、ひたいに手のひらをかざしてやる。
触れるか触れないか、というところで手を添えて、待つことしばし。
うなされていた病人の声が、静かな寝息に変わっていた。
表情が穏やかになったのを見て取り、添えていた手を離してから、魔女は一言。
「こんなことぐらいしか、してやれぬ」
柳眉をひそめながらの声は、いかにもくやしそうだった。
御伽話で聞くような、たちまちに病気やけがを直す魔法は、実のところない。
癒しの魔法は、魔法の開祖〈はじまりの魔女〉のみ使えた、まさに奇跡だ。
「――だからこそ、あれしかすべがなかった」
ひとりごちると、スピネはニースの顔をじいっと見つめた。
かなり楽になったのか、少女はすやすやと寝入っている。
自分の看病の成果だが、あまりに良い顔をされると、何やら腹がたつ。
「……いかん、いかん」
思わず少女の鼻をつまんでやりたくなって、魔女は目線を顔からそらした。
すると、下着をまとっただけの肢体が、おもむろに視界に入ってくる。
自分と比べると、ずっと肉付きがいい。
それでいて、腕も脚も引き締まっている。
腰のくびれがきちんと目立ち、そして。
仰向けでも、なお存在感のある胸の双丘が、呼吸に合わせて上下している。
視線で、手足の先から胴を経由して頭のてっぺんまでを、三往復。じとりとした目つきになって、魔女はぼやいた。
「しもべのくせに、生意気なからだをしておる」
二度、三度、まばたきをしてから、少女のおなかへ手を伸ばす。
つん、と軽く指先でついた。
一瞬、肌が吸い付くような感覚があり、やわらかな肉が反発する。
――しなやかなる筋が感じられ、またよき。
かつて綴った言葉を思い出しつつ、スピネはかすかに息を呑んだ。
あの時は、衣服越しの感覚を言い表したにすぎない。だが、じかに身体へ触れてみるのは、初めてだった。えも言われぬ弾力と、そして、指先に心地良さを感じる。
魔女は、ほうと息をついた。
「なかなか……否、思ったより、良い」
頭の鴉羽根が、ぱたたっ、と羽ばたく。
その音に急かされるように、彼女の手はさらに新しい発見を求めて伸びた。
肩口へやった手が、赤みがかった金髪をまさぐる。
日頃から見慣れているし、わしゃわしゃと撫でたことも再三だ。
しかし、改めて指先に絡めさせると、この髪色はいかにもニースらしい。
夜明けの陽に似た優しい金の色、そこに混じった熱情の赤。
――背を覆うほどに伸ばしてくれれば、これに勝るものなし。
思い出しつつ、魔女は指の間に金髪をさらさらと流した。
いまの髪は、手ずから整えてやったものだ。
伸ばすのは嫌がるかもしれない。ならば、いまの髪型がずっといい。
魔女は、ふうっと息をついた。
次は、首筋へと指先を伸ばす。
触れようとしたが、脈動を感じると、ためらわれた。代わりに二本の指で首をかこむように、宙に弧を描く。
――宝玉をあしらいたる銀の首輪など、ことのほか似合うことであろう。
われながら、趣味が悪いことを綴ってしまったものだ。
いまなら分かる。より楚々として、飾り気がないものこそ似合う。
そこへ、一点輝くものをあしらった方が、ずっと優美に映える。
「……われは、何をやっておるのかや」
苦笑が漏れる。不審なことこのうえないのは、分かっている。
けれども、確かめてみたいという気持ちは、どこから湧いてくるのか。
「大事な猟犬だから? 使い魔だから?」
つぶやきながら、指先は首から下へと移っていく。
「だいじな……たいせつな、なに……?」
そこまで言ってから、魔女は指先の向こうにあるものに視線を向けた。
豊かなふくらみの、ニースの胸。呼吸に合わせて、ふよふよと揺れる双丘。
――極上の柔らかさと見受けられ、いささか妬けるほどのことなり。
もちろん、触ったことはない。
宣誓書に言葉を綴った時は、内心でからかう気持ちがなくもなかった。
けれどいま少し、指先を伸ばしさえすれば。
「…………」
知りたい。指先で触れて、確かめたい。
魔女の頭で、鴉羽根がひときわ大きく羽ばたいた。
心なしか息をはずませつつ。
指先をじっくり近づけつつ。
「さわらないと……わからぬ……だから」
誰に対する、何の言葉か。
判然としないまま、ひとりごちた、その時。
「……えーっと。あの。その」
苦笑と当惑の入りまじった声が、不意にかけられた。
「乙女の乙女で遊ぶのは、やめてほしいかな」
声は、ほかならぬニースの口から発せられていた。
途端に、スピネは身体をこわばらせた。
ぎぎぎ、と音が鳴りそうなぎこちなさで、自分の顔を少女に向ける。
目が合った。
ニースと、目が合ってしまった。
少女の、普段は平凡な茶色の瞳が、琥珀の色にかすかにきらめいている。
その頬には、わずかな朱が差していた。
魔女は――ずざざっと飛び退った。
床に敷かれたクッションたちが、勢いで四方へはずんでいく。
「ちがっ……やましい気持ちなど……!」
顔の前で両の手をぶんぶんと振り、頭の鴉羽根がばさばさと騒ぐ。
「……そう! 使い魔のすべてを知るは、あるじのつとめゆえ」
「さわって、みたかった?」
上半身を起こしつつ、ニースが訊ねた。
魔女からしたら『妬けるほど』のふくらみが、ゆっさとはずむ。
たちまちにスピネは顔を伏せると、蚊の鳴くような声で言った。
「……出来心ゆえ、許してたもれ」
ニースがくすくすと笑いだす。
ぱたん、と寝台に横たわり、少女は言った。
「言うことひとつ。聞いてくれたら、許してあげる」
「……いま、なんと?」
「ひとつだけ、お願い。明日にはきちんと元気になる。だからさ」
少女は溌剌さの戻りつつある声で言った。
「出かけよう。仕事抜きの気晴らし」
「……散歩かや」
「乙女どうしの、街歩きだよ」
少女が苦笑まじりに微笑む。
その顔は、なんとも小生意気にも、無邪気にも見えた――




