第14話 「愉しんでやがるッ」
「ファラート男爵令嬢、ピネットと申します」
黒髪の少女が涼やかな声でそう名乗ってみせる。
裏通りの薬種店は、日当たりが悪い。影の多い店内は、およそ真っ当なお嬢様が来るような場所ではない。
だが、そこには清楚で上品な身なりの少女二人が訪れていた。淡く繊細な色使いのブラウス、くるぶしを隠す長くゆったりしたスカート、上着は瀟洒なレ―ス飾りが施された品のよいシルエットが印象的だ。
「……エ、エスランド、子爵令嬢、ニネース、と、申します」
かすかにふるえる頼りない声で、赤みがかった金髪の少女が続く。
たどたどしい名乗りに、店員はふむと首をひねってみせたが、
「ふふ、ごめんあそばせ。ニネースさまは少し緊張しておられるのです」
連れの令嬢がそう言うと、男は表情をなごやかにゆるめた。
「失礼いたしました。名簿での確認はとれております」
男が背後の棚に手をかけ、何かを押し込んだ。
ずずず、と音をさせて奥の壁が動き、隠し扉が姿をあらわす。
「そのまま奥へ。恵まれない者への寄付、ありがたく存じます」
言葉こそは慇懃だが、令嬢がたを見る目は冷ややかだった。
案内に従って、廊下を歩きつつ、二人の『お嬢様』は顔を見合わせた。
「――あんた、そういう話し方もできるんじゃないの」
広げた扇子で顔をかくしつつ、ひそひそとニースが言うと、
「われの趣味に合わぬ。好かぬ。当代の言葉は軽い」
やはり扇子で顔を隠したスピネが、ささやき声で返してきた。
「普段よりよほど可愛らしく見えたけどね」
「それを言うなら、そなたも」
扇子の上から両目を覗かせて、魔女はしげしげと相方を見やった。
「堂にいった令嬢姿、これはこれで、なかなかに愛い」
陶磁の鈴が、勢いつけて転がるような声である。
思わず、ニースはぷいと顔をそらした。
いつもなら、腹立ちまぎれに、靴音高く歩いてみせるだろう。
しかし少女は、背筋をぴんと伸ばし、しずしずと足を進めていた。礼儀作法の教師なら、ひとめ見て合格を出すこと請け合いだ。
これもひとえに涙ぐましい超短期特訓の成果――では、決してない。
使い魔の契約を介して、魔女に強いられている所作であった。スピネ自身が会得している動きを、ニースに投影しているのだ。
(……しかし。やっぱり入口近くじゃ、めぼしいものはないよねえ)
表の店構えからは信じられないほど、隠し扉の奥は広い。
廊下がずっと続き、小部屋の扉がいくつも並んでいる。
そのひとつがすっと開き、中から一人のご令嬢が出てくる。フリルの多い上品な衣服は、しかしどこかくたびれ、眼は涙で潤んでいる。袖口から包帯を覗かせつつ、彼女は足早に出口へ歩いて行った。
さすがに気の毒な目をニースが向けていると、スピネがささやいた。
「親の言いつけであろう。貴族の子女は存外、立場が弱い」
「……人の心を読まないでくれる?」
「顔に書いておる。そなた、大変に分かりやすい――そろそろ頃合いかや」
スピネの言葉に、ニースはわずかにうなずくや、
「うっ……ううう」
金髪の少女は、その場にしおしおとうずくまった。
「ああっ、いけませんわ。お気をしっかり」
演技に合わせて、相方が言葉をあげる。台本通りだ。
少女にだけ見せている、にまっとした目つきを除けば。
(こ、こいつ……わたしのお嬢様フリを愉しんでやがるッ)
思わずうなりたくなったが、強いられた作法仕草がそれを許さない。
代わりに出てきたのは、はかなげな吐息だけである。
魔女がすうっと目を細めた。黒曜の瞳に、光が躍っている。
(こいつ! こいつ! あとでおぼえとけッ)
内心でニースが吠え猛っていると、
「――おお、どうなさいましたか、お嬢様がた」
白衣をきた紳士が出てきて、気づかわしげに声をかけてくる。男の腰に鍵束がぶらさがっているのを、もちろん少女たちが見逃すはずはない。
「場の空気に、少し当てられたようですわ。先ほど目にしたご令嬢に、同情なさったのかもしれません。どこか雰囲気を変えて落ち着ける場所は、ございませんこと?」
うずくまった少女をかばうようにしつつ、しゃあしゃあと魔女は言った。
「それはいけません。空いている部屋がある。どうぞ、お手を」
白衣の紳士が手を差し出してくる。
「あ、ありがとう、ぞんじます……」
ニースはか細い声で返事をして、彼の手をそっと握った。
立ち上がり、しかし、脚をもつれさせ、男に寄りかかる。
「運んで、いただけますか……」
はかなげに言うと、男は肩を貸してきた。しなしなと男に体重を預け、半ば引きずられるように廊下を進む。後ろをついてくるスピネと、ふと目があう。
魔女の顔は、それはもう――ご満悦だった。
(こいつッ。わたしはお付きの侍女とかでもいいじゃない。その方が自然だよ。まちがいなく、自分の趣味で仕込んでるだろ、こいつッ)
心の中でわめきつつ、ずりずりと運ばれ、とある部屋にたどり着いた。
男が扉を開き、ご令嬢を中に入れる。そのまま寝椅子へ導いていく。
後ろから来たもうひとりのご令嬢が扉を閉め――
なぜか、扉の音がしなかった。
目と目を合わせ、二人が小さくうなずく。
「――ッ」
ニースはたちどころに男の襟元をつかむや、勢いよく背中から倒れ込んだ。
驚愕に目を丸くするのにかまわず、彼の腹に靴底をあてがう。そのまま、勢いにまかせて投げ飛ばした。男は大きく口を開けたが――叫び声は、発せられない。
男は床へとしたたかに体を打ち、ぐったりと動かなくなった。つかつかとニースが近づくと、腰にあった鍵束を奪い取る。ついでに、男の腹へ靴底の一撃を入れておくことも忘れない。
うなずき合いから、非情なとどめまで、実に無音のまま進行した。
スピネが、手を打ちあわせる。
すると、その場に張り詰めていた何かがほどけた。
「……最後のあれは、本当に必要かや?」
「運んでいる時、こいつ、おしりをさわってきたのよ」
「それはいかん。そなたの肌に触れてよいのは、われだけぞ」
「あんたにもさわらせてやらない。乙女は乙女を守らなきゃ」
べえっと舌を出してから、ニースは鍵束をしゃらしゃらと鳴らした。
「さあ、探索開始よ。鬼が出るか蛇がでるか。はっはっは」
「乙女とやらが、奥歯を見せて笑うでない」
たおやかな雰囲気がたちまち剣呑へ変じるのに、魔女は肩をすくめてみせた。




