第12話 「手品と変わらぬ」
渦巻く炎が、空を焦がさんばかりに立ち上る。
誰かが、悲鳴をあげた。
嫌なにおいが漂う。何かが焦げるにおいだ。
スピネは落ち着いて、炎の柱を注視していた。
その瞳に、とっさに大きく飛びすさった銃士の姿が映る。
前髪を押さえつつ、一見したところは無傷だが、
「もぉ! ちょっとだけひっかけられたッ」
顔をしかめながら、ニースが憤慨の声をあげる。
押さえていた手を払うと――
赤みがかった金の髪が少し、ちりちりの灰色に変じていた。
魔女が、すうっと目を細めた。噴水のへりに腰を下ろしていたのを、ゆらりと立ち上がる。そうして、一歩、一歩と足を進めつつ、あるじはしもべに問うた。
「あやつが、灼いたのかや。そなたの、髪を」
「あ? へいきへいき。これぐらい。なんとも」
「もっと長ければと願う、その髪を、灼いたのであろう」
「いや、あんたの好みはどうでも――わわっ」
苦笑いを浮かべようとしたニースが、頬をひきつらせる。
魔女の両の目が、爛々《らんらん》と光っていた。
「燃えろ、燃えろ、燃えろ!」
男は、あごをそらせて、なおも笑い続けている。
スピネは、そんな彼を、剣呑な目つきでにらみつけた。
そうして、やおらフードに手をかけて、脱いだ。
飾り編みの髪が立ち上がる。
大鴉の羽根が、高らかにその翼を広げた。
まるで、何かを宣告するかのように。
魔女は、大きく両の手を広げてみせた。勢いよく、打ち合わせる。
ぱんっ。
小気味良い音が鳴るや、立ち上っていた炎の柱が溶けるように消えた。
「燃え――え、は? えっ?」
男がぽかんとしているところへ、スピネが片手をかざし、すっと下ろす。
瞬間、たちまちに男が地面に這いつくばった。
「ふぎゃあっ」
みじめな悲鳴があがる。
もちろん、自分から伏せたのではない。倒れたわけでもない。
石畳がみしみしと音を立て、男の顔がいびつに圧迫されている。
見えない何か。尋常でない力。
それに押し付けられているのだ。
「まったく、あほうであることよ」
冷え冷えとした声で、魔女は言った。
「公都の魔法。否、当代は魔術なぞと呼ぶのか」
スピネは、男を視線で射抜いたまま、淡々と言葉を続けた。
「手品と変わらぬ。魔を扱うには、回りくどいうえ、典雅にすぎる」
魔女は言いながら、ふたたび手をふわりと舞わせた。
優美でしなやかな手の動き。
それに合わせて――
「ひああああ。と、と、止めてくれぇぇ」
――男がごろごろと石畳の上を転がっている。
縦横にのたうちながら、四肢があちこちにぶつかった。
街灯の柱。噴水のへり。ベンチの脚。
打ちすえられるたびに、ごっがっごっと何とも言えない音がしている。
「魔法というのはな、本来、詠唱も杖も必要とせぬ」
右へ。あるいは左へ。
手を舞わせながら、スピネは淡々と言った。
「魔の激流へ踏み入れる覚悟。思い描くための研鑽。それこそ探究すべきであろう」
ため息をついてから、憤然として彼女は声をあげた。
「――魔法の開祖さまが見れば、きっとお嘆きになろうよ!」
かかげた手を、すっと横に流す。
野次馬たちが、そして、ニースも固唾を呑んで見ていると、
「あだぁっ」
悲痛な声と同時に、街灯の柱で打った男の脚から『いい音』がした。
野次馬たちから、うわあという声があがる。
ニースも思わず、あちゃあと声をあげた。
男は、顔をくしゃくしゃにゆがませている。もともと冴えない顔が、擦り傷と打撲で見るも無残だ。
「助けて……助けてぇ」
涙を流して哀願する声に、ようやくニースがはっとした。
銃士隊心得、第二条、守るべき命を守るべし。護るべき者であれば。
男の振る舞いは問題だが、このまま転がり死ぬほどのことはしていない。
なにより、あの手の刺青。前に見たものより、ずっと小さい。けれども、まぎれもなく不覚をとった時のあれによく似ていた。
「スピネ、もういい。やめなってば」
ニースはそう言って肩をゆすったが、魔女の目は据わったままだった。
「……許さぬ許さぬ許さぬ……」
なにやらブツブツ言っている。
どん引きしそうになりつつ、ふと、ニースは気づいた。
(……頭の羽根、こころもち大きくなっているような……?)
そう思った瞬間、背中にぞっと悪寒が走った。
この予感、この感覚。
自分の心を縛る鎖から、来るものだ。
銃士の直感ではない。
使い魔として与えられた本能めいた感覚。
それが、別の警鐘をニースの頭に響かせた。
「スピネ、スピネ! もういいから」
「止めるでない。あんな児戯で、そなたの髪を、灼きおった」
「髪なんて、また生えてくるからッ」
「みっともないではないか。そなたは、われの」
「じゃあ、あんたに髪を切らせてあげるからッ」
指でハサミの形をとって、前髪にあてがう仕草をしてみせる。
それを見て――スピネの頭の鴉羽根が、すっと伏せた。
「……そなたの髪に、われが手を入れても良い、と」
「うん」
「櫛で梳いてもよい、と。洗ってもかまわぬ、と」
「そ、そうだね」
ニースが「あはは」と笑うと、魔女は考えこみ、ややあってつぶやいた。
「悪くない。それは、なんとも悪くない」
彼女の口の端が持ち上がる。そして、両の手を静かに下ろした。
痛めつけられた男は、広場の真ん中にうつぶせになっていた。
うめき声からして、ちゃんとまだ生きている。
ほっと息をついてから、ニースには、確信に近い予感があった。
(次はどっちに怒られるのかな……先輩か、棟梁か)
銃士隊の警笛が、徐々に近づいてくる。
少女は肩を落とすと、魔女のフードをそっと被せてやった。
――少女の手が、〈みしるし〉を隠してくれる。
いらぬ気遣いと思いつつも、あたたかな思いが湧くのを否定できない。
猟犬。使い魔。しもべ。
従え、命じ、そばにはべらせるもの。
だから、髪が少し灼けたぐらいで、己が動じるべきではないのに。あのような児戯で、毛並みが乱されたと知った瞬間、許せなかった。
魔女は思う。何が、許せなかったのか。あの男の、児戯に等しい魔術か。しもべである猟犬の、愛でるべき美しさが汚されたことか。あるいは、それとも。
自分の心配りが、とんと分からぬ様子の、あの少女の笑みか。
魔女は、かぶりを振った。考えても、わからぬことであった。
わからぬに、違いない。
そう、思うことにした――




