第7話 午後実習④ 自由行動
第7話 午後実習④ 自由行動
霧の中を歩くたび、靴底が湿った地面を踏む音が小さく響いた。
石碑の広場から離れるにつれ、ざわめきは遠ざかり、代わりに霧の冷たさが肌にまとわりついてくる。視界は白く霞み、数メートル先の人影すら輪郭がぼやけていた。
そんな中、武田が突然、霧を切り裂くように叫んだ。
「よっしゃあああ!! 自由時間だ!! まずは武器だろ武器!!」
その声に、霧の奥で鳥が一羽、驚いたように飛び立つ影が見えた。
道案内を買って出た探索者が、嫌そうに眉をひそめながら口を開く。
「何処に行くつもりだ、武田。止まれ。そっちは反対だ」
低く、よく通る声が霧の中に響いた。
右手で進行方向を示しながら歩み出たのは、銀髪の男性探索者――小恋路の二つ上の兄、八神 優斗だった。
「こっちだ。みんな、俺についてこい」
白銀の髪が、ふわりと揺れる。
霧の中でも目立つその姿は、まるで“妹専属の護衛騎士”だ。
小恋路の横にぴったり張り付く護衛騎士さんのお陰で、僕は自然と、その少し後ろを歩く形になる。
(……やっぱり着いてきた……超絶戦隊シスコン兄さん……)
上杉が、半ば呆れたようにため息をつきながら言う。
「優斗さん。案内はありがたいですが……妹さんに近すぎませんか。
護衛というより、監視に見えますよ」
優斗兄さんは胸を張り、霧の中でも自信満々に言い切った。
「当然だ。
小恋路に悪い虫がつかないようにするのが兄の務めだ」
(ねえ、それって、絶対、僕のこといってるよね)
そんな時、小恋路がふいに振り返った。
白く煙る遺跡の中で揺れる髪が、淡い光を受けて綺麗だった。
「そういえばわたし、さっき“あとで相談に乗る”って言ってたよね。
どんな相談だったの?」
(あ……そうだった……)
僕は少し迷ったけど、正直に話すことにした。
足元に漂う冷気が、胸の奥の不安を少しだけ刺激する。
「……相談したかったのは、ジョブとスキルのことだよ。
エラーが出てるのはギルドが後で調べてくれるらしいけど……
残りのジョブとスキルが、どう見ても戦闘向きじゃなくて……
後方支援タイプっぽいんだ。どう思うか相談に乗ってほしくてさ」
小恋路は一瞬だけ心配そうな顔をしたが、すぐに明るい笑顔に変わった。
「任せて。泥船に乗ったつもりで安心して、全部、わたしが解決してあげるから」
あ、これ、洒落ツッコミ前提の振りだ。
「いやいや、沈む船に乗せないで貰えるかな?」
「あ、大船だったね。しっけいしっけい」
(いや、泥船からの大船って、落差すごいな……)
霧の中で、二人の笑い声が小さく響く。
緊張が少しだけ和らいだ、その瞬間――
「――ちょっと待て」
低い声が割り込んだ。
霧の奥から響くその声は、空気を一瞬で引き締める。
優斗兄さんだ。
「翔太、お前……“残りのジョブ”って言ったな?」
(あれ、優斗兄さん、目が真面目だ……)
「うん、そうだよ、優斗兄さん」
優斗兄さんは周囲を見渡し、霧の向こうに並ぶ五台のダンジョンカートを確認すると、後ろの三人に声をかけた。
「唐突ですまないが、武田、上杉、マリア。
目的地はもう見えているし、先に武器を選んでいてくれないか。
……ちょっと、“妹に近づく男”に言っておきたいことがあるんだ」
武田は「お、おう……」とだけ返し、気まずそうに頭をかいた。
上杉は小さく肩をすくめ、「……なるほど、そういう話か」とぼそりと呟く。
マリアは扇子を口元に当てながら、「では、先に行くでありんす……」と、どこか楽しげに笑った。
三人はそれぞれ“察した”顔をしながらも、表面上は何も気づいていないふりをして、霧の向こうへと歩いていった。
◆◇◆◇◆◇
※『紅蓮の炎』志愚 呂零士視点
霧は、相変わらず鬱陶しいくらいに濃い。
けれど、そのぶん影ははっきりしている。
足元の濃い影に身体を沈め、影潜伏と隠密を重ねて、少し離れた位置から様子をうかがう。
三人が分かれたタイミングで、ヘッドホンの回線を少しだけ上げた。
「炎真。報告だ」
『おう、どうなった』
「武田 新之助、上杉 憲政、京極 マリアの三人が、先に武器屋方面へ離脱した。
今、この場に残っているのは、朝倉 翔太と八神 小恋路、それから兄の八神 優斗だけだ」
視線の先で、銀髪の兄貴分が、あからさまに妹の隣をキープしている。
(この兄妹が八神の親戚筋か――この二人は無事に返すように仕向けないとな。八神一族を敵に回すとか、割に合わねえからな)
心の中だけでそう評しながら、霧の向こうに消えていく三人の背中を追う。
「さっき分かれた三人の進行方向だが……」
影越しの視界で、ランドマークをざっとなぞる。
「方角的には、依頼書に記されていた“襲撃予定ポイント”のラインとほぼ一致している。このまま行けば、あいつらが最初の接触役だ」
『了解。つまり、“エサ役”は予定どおり、か』
「ああ。こっちは引き続き、“規格外新人くん”をマークする」
回線を少し絞り、再び霧の中の三人に意識を戻した。
◆◇◆◇◆◇
※翔太視点
霧の中に残ったのは、僕、小恋路、優斗兄さんの三人だけ。
小恋路が、じと目で優斗兄さんを睨む。
「兄さん……余計なこと言わないで」
「嘘も方便だ。自然だっただろ。
知る人間を最低限に抑えたかっただけだ。
新人研修が終わってから、ギルドとの交渉で助言の手助けになるかもしれんしな」
霧の中で、優斗兄さんの声だけが妙に響いた。
彼は声を潜めて言う。
「だから、翔太。ここだけの話にしとけ。
無防備にジョブやスキルを吹聴して回るなよ。
どこから話が漏れるかわからんからな」
「えっ……なんで?」
「そこからか。
じゃあ、妹に発情する猿でも分かるよう説明するから、よく聞けよ」
(これ、名指しで僕のこと猿って言ってるよね。ていうか、僕、そんなに年がら年中発情してないよ!? ウッキッキー)
優斗兄さんは、霧の奥を警戒しながら続けた。
「まずな。俺が耳をそばだてて聞いて回った結果――
今日の新人、全員“ジョブは一つだけ”だった」
「……え?」
小恋路も目を丸くする。
「じゃあ……翔太だけ、二つ……?」
優斗兄さんは、静かに頷いた。
「そういうことだ。
だから今日は、これ以上目立つ行動はするな」
(……そんな……僕だけ……?)
優斗兄さんは、霧の奥を警戒しながら続けた。
「毎週水曜に行われる新人研修には、地元企業の営業や人事が“保護クエスト”に紛れ込んでる」
「企業が……?」
「地元だけじゃない。自治体の職員、大手クランもだ」
(……そんなに……?)
「理由は簡単だ。実力ある新人を早期に囲い込むためだよ」
(……新人研修って、探索者就活の前哨戦だったの……?)
小恋路が、小さく息を呑む。
「……そんな裏事情があったんだ……」
「小恋路も、“姫属性”の希少ジョブ持ちだ。お前も、二つジョブが生えてる」
この二人は、間違いなく目をつけられる。だから今日は、俺が二人を守る。
悪い大人の思惑からな」
小恋路が、小さく呟く。
「……兄さん……」
優斗兄さんは、続ける。
「で、小恋路。お前のジョブとスキル、翔太に話したのか?」
「ううん。まだ」
「じゃあ先に言え。翔太も、後で言うんだぞ」
小恋路は、少し照れながら胸に手を当てた。
霧の光が、その頬を淡く照らす。
「えっと……
ジョブ:雷風姫Lv.1
スキル:細剣術 Lv.1、細剣技 Lv.2
魔法:雷魔法 Lv.1、風魔法 Lv.1
アーツ:雷風斬、姫武装
それと、今の時点で、雷属性だと、天から雷の柱を落とす魔法と、雷の針を広範囲にばらまく魔法も使えるみたいだし、風属性だと、一時的に見えない風の剣を作り出す魔法と、風の刃を一定方向にばら撒く魔法も使えるみたいだよ」
(……雷に風に、アーツまで……初心者の基本セットって、こんな豪華だったっけ……?)
「それから、姫武装……これもすごいわね。
姫武装を使うと、生命力一割と引き換えに、姫鎧がわたしの身体に自動装着されるんだって。制限時間は十分間で、その間は能力値が二倍。
それに、オートで防御してくれる風属性シールドが、わたしを守ってくれるみたい」
「…………は?」
霧の冷たさとは別の意味で、背筋がゾクッとした。
(え、すご……雷……風……姫……?
アーツ持ち……しかも二つ?
初心者で……?)
事前予習した知識が、脳内で警報を鳴らす。
普通はジョブ一つ、スキルか魔法かアーツのどれか一つ。
それが常識。
(やばっ……これ、もう“同じスタートライン”って呼んでいい差じゃない……)
優斗兄さんが、肩をすくめる。
「小恋路は、“前衛・中衛・後衛”どこでも戦える万能型だ。
大手クランが、喉から手が出るほど欲しがるタイプだな」
(……僕より……遥かに強い……
このままだと、“隣”じゃなくて、ただの“足手まとい”になりそうだ……)
小恋路は、左手で髪を触る。
褒めてほしい時の癖だ。
「うわー、すごいね。小恋路、おめでとう。これで夢に近づいたってことでしょ」
小恋路は、僕の反応を見て嬉しそうに笑う。
「えへへ。いいでしょう。
わたしって、いざというとき、けっこうくじ運強かったみたい。
これで翔太の隣に立てるように、頑張るからね」
(……“隣に立てるように”って言ってくれてるのは嬉しいのに……
今のままじゃ、追い抜かれていく背中を眺めてるだけになりそうで、笑う余裕なんて全然ない……)
「じゃあ、次は翔太の番だよ。
どんなジョブとスキルだったの?」
(……言いにくい……けど……言わなきゃ……)
僕はステータスウィンドウを開き、
霧の中で淡く光る文字を見つめながら、震える声で読み上げた。
「じゃあ、発表します。最初に、エラーのほうから。
四文字のジョブみたいなんだけど、黒塗りで読めなくて……。
ジョブレベルもエラー。多分、そこから生えたスキルもエラー。
そんで、魔力総量もエラー……」
小恋路が、ぽつりと呟いた。
「……え、怖い……」
優斗兄さんも、眉をひそめる。
「……マジか。新人でそれは聞いたことないな」
(……やっぱり怖いよね……)
僕は、諦め半分の気持ちで小恋路の顔を見た。
霧の中でぼんやり揺れるその輪郭を確かめてから、観念して口を開く。
「で、もう一つのジョブなんだけど……
先に言っとく。絶対に笑うの禁止だからね」
小恋路は、困ったように眉尻を下げて、口元だけをくいっと上げる。
笑いをこらえる時の、あの癖だ。
「笑わないようにはするけど……断言はできないかな」
(……死刑宣告……)
僕は一度、大きく息を吸った。
肺の奥まで冷たい霧を入れてから、ゆっくり吐き出す。
それでも喉の震えは止まってくれなくて、言葉が舌の上で何度もつかえた。
「発表します。デデデン……ジョブ:卵売りの商人……
スキル:卵生成……卵を生成する。
卵BOX……生成した卵をしまう収納BOX……」
沈黙。
霧の中の空気が、一瞬だけ止まった。
次の瞬間――
「ぷっ……ふふ……っ……」
「……あははははははは!!」
「やっぱ、翔太はひと味違うよ。あはははははは!!」
小恋路と優斗兄さんが、同時に腹を抱えて笑い出した。
霧の中に響く笑い声は、さっきまでの不安をまとめて蹴散らすくらい大きい。
小恋路は足元をふらつかせながら、膝に手をついて前のめりになる。
優斗兄さんも腰を折って、街灯のない路地で変なツボに入った大人みたいに、肩を震わせていた。
「ちょ、ちょっと!? 笑いすぎじゃ――」
小恋路は涙を拭いながら言う。
「だって……翔太……!
毎朝たまご掛けご飯食べてるから……
神様が“翔太専用ジョブ”をくれたんだよ……!
凄いよ。これからずっと食費浮くね。やったね。おめでと!!」
小恋路はそこまで一気にまくし立てると、限界が来たように再び笑い転げた。
お腹を押さえてその場でくるくる回りながら、霧の中で「たまご」「商人」とか断片的な単語だけが、笑い声に混じって飛び散っていく。
優斗兄さんも、さっきまでの真面目な顔が嘘みたいに崩れて、肩を震わせた。
「ははは……祈っとけよ、翔太。
“卵の神様、ありがとうございます”ってな」
(……死にたい……)
小恋路が、息を整えながら言う。
優斗兄さんもニヤニヤしている。
「そうだ。折角だし、やってみろ。
どんな卵が出るのか、興味あるしな」
(……逃げ道、なし……)
僕は深呼吸し、
霧の冷たさを肺に入れながら、そっと手を前に振りかざす。
「……卵生成」
――その瞬間。
僕の手のひらが、淡く光った。
霧が揺れ、周囲から無数の光の粒子が吸い寄せられるように集まり、一点へと圧縮されていく。
小恋路が、息を呑む。
「……え……?」
優斗兄さんの表情が、固まる。
「おい……翔太……
それ……普通の卵じゃねえぞ……」
僕の手のひらに現れたのは――
黒い殻に、金色の紋様が浮かぶ“異形の卵”。
(……え……何これ……?)
黒い殻に、金色の紋様が脈打つ。
ドクン……ドクン……。
まるで心臓の鼓動みたいに、僕の手のひらが震えた。
「しょ、翔太……それ……生きてるよね……?」
小恋路が、一歩下がる。
優斗兄さんも、目を細めた。
「……魔力を吸ってるな。
翔太、もう少しだけ、ゆっくり魔力を流してみろ」
「え、えぇ……?」
怖かったけど、言われたとおりに意識を集中し、卵へ魔力を流し込む。
すると――ドクンッ!!
「うわっ!?」
卵が大きく跳ねた。
次の瞬間――殻に、ピシッと細い亀裂が走る。
「……割れる……?」
パキ……パキパキ……!
中から、何かが殻を叩く音が聞こえた。
コン……コン……!
卵に走る破裂音の余韻が、霧に吸い込まれる。
「ひっ……!」
小恋路が、僕の背中に隠れる。
優斗兄さんは前に出ようとしたが――
「兄さん、待って!」
小恋路が、腕を掴んだ。
「翔太の……スキルだよ。まずは……見守ろ?」
優斗兄さんは、卵を睨むように見つめていたが、掴まれた手に力がこもっているのに気づき、わずかに目を細めた。
離せない――そう悟ったように、苦い息を吐き、ゆっくりと頷いた。
そして――バンッ!!
殻が破裂し、黒い破片が霧の中に散った。
飛び出した“それ”は――ふわりと宙に浮かんだ。
四枚の透明な羽を高速で震わせ、小さな人形のような姿。
まるで――妖精。
「……え?」
その妖精は、空中で大きく伸びをすると、
「ふあぁ……よく寝た気分……」
そして、僕の目の前にふわりと降り立ち、
「主候補様、おはようございます!」
元気いっぱいに頭を下げた。
「え、え、え……?
もう展開についていけない……小恋路、任せた……」
僕は、小恋路の後ろに隠れる。
「いきなりなによ!
私だって意味わかんないよ!!」
二人でテンパっていると――
妖精は、くるりと宙で回転し、僕の肩にちょこんと乗った。
「主候補様、
わたしは、迷宮術師の眷属。
先代主様の力により、迷宮核の欠片を混ぜて生まれた存在です」
「……迷宮核……?」
優斗兄さんの顔色が、変わる。
「おい、翔太……
それ、ただの妖精じゃねえ……
“迷宮核の欠片”なんて、国家レベルの危険物だぞ……!」
妖精は、にっこり笑った。
「ご安心ください。
今後は、普通の卵生成スキルとして使用できます。初回の卵生成スキルは、わたしが生まれるよう事前に先代主様によって仕組まれていただけです。
主候補様には、危害は一切ありません。
むしろ――」
妖精の片目が、すっと開いた。
その瞳は、深い深い闇色。
「主候補様を害する者は、
わたしがすべて……“処理”しますので」
舌が、ぬるりと伸びた。
霧がざわりと震え、空気が一瞬で凍りつく。
(……これ、守る気持ちが強すぎて暴走してる……?)
小恋路が、僕の腕を掴む。
優斗兄さんは、剣に手をかけ、いつでも抜ける体勢だ。
妖精の闇色の片目が、二人だけを正確に射抜いていた。
(……こ、怖……
でも……僕には笑ってる……
これ……僕を守ろうとしてる……?
でも、このままじゃ……)
僕は息を吸い、震える声で言った。
「ま、待って……!
まず……僕の仲間に危害を加えないでほしい……!」
その瞬間――
冷たかった空気が、ゆっくりと温度を取り戻す。
妖精の舌が静かに引っ込み、闇色の片目の圧が消える。
張りつめていた空気が解き放たれ、霧がゆるやかに流れていく。
ニッコリと妖精は笑みを浮かべる。
「はい、主候補様。その願い、承りました。
わたしは、主候補様のお仲間に危害を加えません」
小恋路が、小さく息をつき、優斗兄さんも剣から手を離した。
妖精は、まるで褒められた子どものように笑みを浮かべている。
(……そっか……あれは“お願い”として扱われたんだ……)
妖精は肩の上で微笑んでいたが、僕はそっと両手を差し出した。
「……ねえ。ちょっと……こっちに来てくれる?」
妖精は、ぱちぱちと瞬きをし、小さく首を傾げた。
「主候補様……?」
(……主候補?
さっきから“主様”じゃなくて、ずっと“主候補”って呼んでるよな……
ってことは、今の僕はまだ“正式な主”じゃない……?)
(それに、ジョブ欄の■■■■……。
あれ、どう見ても“迷宮術師”って入る気しかしないんだけど……。
スキル欄の■■■も、何か隠してますって主張してるみたいだし)
(でも、妖精はずっと“主候補”呼び。
もしかして――この子とちゃんと契約しないと、
あの黒塗りは開かない仕組みになってる……?)
(……いや、そもそも“主候補”って何なんだ。
ラノベでよくあるマスター契約とは違うのか……?
だったら、ここで聞いておかないと……)
「ちゃんと……目を合わせて、話したいんだ。ここに来てくれる?」
僕は右手を突きだすと、手のひらを上に向ける。
その言葉に、肩に座っていた妖精はふわりと羽ばたき、僕が右手を広げた上へ降り立った。軽い。温かい。そして、まっすぐに僕を見上げてくる。
(……この子と、ちゃんと向き合わないと……
“候補”って呼ばれてる理由も……
ジョブの黒塗りも……
全部、繋がってる気がする……)
妖精は、ほんの少し震える声で言った。
「……主候補様。
契約を……引き継ぐために……
まず……わたしに“名”を与えてください……ずっと、その時を待っていました……」
◆◇◆◇◆◇
※『紅蓮の炎』志愚呂 零士視点
霧が濃い。
視界は悪いが、音と気配はよく拾える。
足元の影に身を沈め、遠くの話し声に意識を合わせた。
――朝倉 翔太、八神 小恋路、その兄・八神 優斗。
新人三人の声を拾いながら、耳に当てたヘッドホンへ、小さく囁く。
「……炎真。聞こえるか」
『はい、問題ありません。状況をお願いします』
『紅蓮の炎』のリーダー、炎真の落ち着いた声が返ってくる。
依頼人が背後にいるとき特有の、外向き営業用トーンだ。
「まず一人目。八神 小恋路。ジョブは“雷風姫”」
『……“姫”ジョブですか。それはまた、恵まれた人材ですね』
「雷と風、それに“姫武装”。
前衛・中衛・後衛、どこでも動ける万能型。希少ジョブだ」
『承知しました。後日、佐々木様にもそのようにお伝えします』
事務的な確認が終わる。
問題は、その隣だ。
「次。朝倉 翔太」
名前を出した瞬間、向こう側の空気が、少しだけ締まった。
『はい』
「ジョブスロットが、最初から二つ発現したようだ」
短い沈黙のあと、炎真が息を吐く。
『……“都会基準”で言っても、二ジョブスロット持ちといえば、実質Sランク候補じゃないですか。ここ最近は、とんとそんな派手な話は聞いたことがありませんでしたが……』
「俺もだ。
片方のジョブは、“卵売りの商人”」
『は……卵、売りの……? 確認ですが、そう表示されているのですね』
「ああ。文字どおり“卵売りの商人”だ」
『一つ目はハズレですか。それで二つ目はどういうジョブでしょうか』
ヘッドホンの向こうで、少しだけマイクが揺れる音がした。
どうせ、佐々木坊ちゃんあたりが暴れているのだろう。
『なぜだ! ジョブスロットが2つだと。どうしてあんな庶民が、俺より優れているんだ! おかしいだろうが!』
予想どおりの声が割り込む。
『佐々木坊ちゃん、どうかお静かに。
いま、生の現場情報を得られる大事な場面ですので、騒がれるのは後にしていただけないでしょうか?』
炎真は表向き、ていねいな声でなだめてから、俺に促した。
『零士、続けて』
「もう一つのジョブ欄が、厄介だ」
霧越しに盗み見たステータスウィンドウを思い出す。
「ジョブ名は四文字分、すべて黒塗り。“■■■■”表示。
ジョブレベルも“エラー”。
スキルスロットの一つも“エラー”。
魔力総量まで“エラー”だ」
『……すべてエラー。数値不明、ということですね』
「ああ。
新人標準は、ジョブ一つにスキルか魔法かアーツが一つ。
でも、こいつは二ジョブ持ちで、一枠まるごと中身不明」
『なるほど。S級候補の“危険物”と見ておいたほうがよさそうですね』
霧の向こうで、翔太の手のひらが淡く光る。
闇色の殻と金の紋様をまとった卵が生まれ、ひび割れ、四枚羽の小さな妖精が顔を出した。
『主候補様。
わたしは、迷宮術師の眷属。
先代主様の力により、迷宮核の欠片を混ぜて生まれた存在です』
妖精から聞き取った内容を、マイク越しの炎真に、そのままの言葉を自分の口を通してはっきりとそう告げる。
『……迷宮核の欠片。
間違いありませんか、零士』
「聞き間違えるような単語じゃない。
自分でそう名乗った。
それと、“主様”じゃなく、“主候補様”だと」
『主候補……。眷属契約は未完了、ということですね』
(ギルド長が直々に動く案件ってわけか。
そりゃ、俺たちに“様子見”を回してくるはずだ)
炎真が、一拍おいてから続ける。
『迷宮核由来となると、国家レベルの重大案件です。
ギルド経由よりも、その上のほうが先に動くでしょう』
「同感だ」
(今日の事態が事前に分かってたとしたら、裏で間違いなく日本政府もかんでるな……これは)
化け物じみた気配をまとった妖精が、朝倉 翔太の肩の上でにっこり笑った。
「ご安心ください。
今後は、普通の卵生成スキルとして使用できます。初回の卵生成スキルは、わたしが生まれるよう事前に先代主様によって仕組まれていただけです。
主候補様には、危害は一切ありません。
むしろ――」
片目が、すっと開く。
底の見えない闇色。
「主候補様を害する者は、
わたしがすべて……“処理”しますので」
舌が、ぬるりと伸びた。
霧がざわりと震え、空気が一瞬で凍りつく。
同時に、《直感》Lv.20が胸の奥で針を振り切った。
(――今のは、本気だ)
頭で考える前に、身体が理解する。
その舌先も、闇色の片目も、
朝倉 翔太でも、八神 小恋路でも、八神 優斗でもない。
少し離れた闇の中――完全に気配を殺していたはずの「俺」に、真っ直ぐ向けられていた。
圧が、のしかかる。
魔神に額を掴まれているような、理屈抜きの威圧。
肺の奥が凍り、呼吸の回数だけが妙に意識される。
(威圧……レベルの桁が違う)
その瞬間、頭の中に、別の声が滑り込んできた。
(主候補様を害する者は、わたしがすべて……“処理”しますよ。
あなたは、どうしますか?)
冷たい、としか言いようのない念話。
怒りでも恨みでもなく、ただの“事務連絡”のような無機質さ。
それが頭の中に、直接の警告として突き付けられた。
(……選択肢は二つ。
ここで死ぬか、今すぐ退くか)
答えは、一秒もいらなかった。
影を踏み越え、その場から即座に離脱を選択した。
化け物じみた気配をまとったあの妖精の視線が貫いていた地点から、滑るように霧の薄いほうへ距離を取った。
魔神に睨まれて、その場に居座るほど馬鹿じゃない。
生き残るスカウトは、危険を感じたら“まず逃げる”が鉄則だ。
『零士、状況は――』
炎真の声が追ってくる。
「既に撤退中だ。
迷宮核由来の眷属妖精に、威圧と念話を一度食らった。
俺を“主候補の潜在的脅威”として、一度マークした形だな」
影から影へと抜けながら、短く状況を並べる。
「《直感》Lv.20が、さっき限界まで振り切れた。
魔神クラスと正面から目を合わせている感覚。
ここに留まるのは、死を意味するくらい、いかれてた」
『了解しました。
撤退を最優先してください。ブリーフィングどおりです』
炎真の声は落ち着いていた。
その背後で、依頼人の焦った声がまだ聞こえる。
『なあ、どうなんだ炎真! あんな庶民が本当に俺より上なのか!』
『佐々木坊ちゃん。
現時点では“未知数”と申し上げるほかありません。
詳しい分析は、零士の帰還後に説明いたします』
表向きていねいにそう答えながら、炎真が小さく息を吐く音が、スピーカー越しに聞こえた。
『零士、まとめを』
「了解」
霧が薄くなり、圧が背後に遠ざかっていくのを確認しながら、淡々と口にする。
「八神小恋路。“雷風姫”。希少ジョブの万能型。
朝倉翔太。ジョブスロット二つ持ち。
片方は“卵売りの商人”。
もう片方は、ジョブ名・レベル・スキル・魔力量すべてエラー表示。
初回スキルで、迷宮核の欠片由来の眷属妖精を孵化。
妖精は、魔神級の威圧と念話持ち。
“主候補様を害する者は処理する”と宣言済み。
少なくとも、“ただの庶民”じゃない」
『……承知しました。
佐々木坊ちゃんには、“非常に特殊な例外ケース”としてご説明します』
霧を抜けきり、ようやく肺の奥まで呼吸が入る。
(敵に回せば、最悪クラス。
味方にできれば、これ以上ない戦力)
《直感》も、経験も、同じ答えを出していた。
志愚呂 零士は、静かに息を吐き、影から姿を現した。
応援よろしくお願いします!
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「この後一体どうなるのっ……!?」
と思ったら
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いいたします。
面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
ブックマークもいただけると本当にうれしいです。
何卒よろしくお願いいたします。




