23話 契約妻の誕生日
変わらない日々の中、今日は結婚してから初めての晴夏の誕生日だ。
「おはようございます。旦那様」
「おう。朝食、出来てるぞ」
(嬉しい。今朝も旦那様ごはんだ!)
湊は未だに晴夏の手料理はリスクと誤解しており、料理の必要がある時は自分で準備していた。晴夏は、自分の場所に向かうと朝食の隣に見慣れない巾着袋が置いてあるのを見つけた。中を見ると、弁当箱が入っていた。
「旦那様。これって……」
「新居初日に誕生日祝いにと言っていただろう。夕食はディナーに行くから、昼休憩の時にでも食え」
「ありがとうございます……。旦那様」
湊は味噌汁を飲みながら彼女の方にチラリと目線をやった。
(朝食は、和食の方が食ってる時の反応が良いんだよな……)
彼は、夜勤明けの日でも晴夏に朝食を作り、反応を楽しむのが趣味になりつつあった。巾着袋や弁当箱は湊が自分で選んでネットで購入していた。
「俺は食べ終わったら寝るから、自分の食器は食洗機に入れてポチっておいてくれ」
「分かりました。旦那様、夜勤明けなのにありがとうございます。一口一口、大事に食べますね」
「おう。忙しかったら無理してゆっくり食べなくても良いぞ」
晴夏は、輝く笑顔で笑い、いつもの表情で食べ始めていた。
(美味しい…。心まで温かくなる。初めての旦那様の朝ごはんを食べた時、お味噌汁までママが作ったのと同じ味がした時は、奇跡だと思ったなあ……)
湊が箸を置き、食器を流しの方へ持っていく音が聞こえる。
(この人の人生の中に私が登場しなかったら、本来はこの優しい人のまま過ごせたんだろうなあ)
(でも今はもう、失われてしまった。料理の中に名残があるだけ……)
彼女はいつの間にか、凪のような微笑みを浮かべて食べていた。
市立病院。お昼休憩中。
「ハルちゃん、今日はお弁当なのね!美味しそう〜!!料理上手なのねえ〜!!」
「この照り焼きチキンは新居初日に夫に作って貰って。私の誕生日祝いに食べたいとおねだりしたら、約束を覚えていてくれて、お弁当を作ってくれました」
「あらー!?熱々ねえ!」
「はい、大切な旦那様なんです」
晴夏は輝く笑顔で笑っていた。
(ハルちゃん…。まだ何も言ってくれないの?)
あやちゃんは、サンドイッチを齧りながら鈴木さんと晴夏の会話を黙って聞いていた。
(旦那様。午後の仕事も頑張りますね)
「ただいま戻りました」
晴夏が帰宅すると、湊は準備万端だった。彼の目はいつものように凍てついていたが、なぜか今はそれを見ると胸が苦しくなった。
「おつかれ。着替えたら出発しよう。時間はまだ充分にあるぞ」
「ありがとうございます」
晴夏は静かに頷いて寝室に行く。ドレッサーの前に座り、丁寧に髪をとかしていく。
(髪が前に垂れて不快な思いをさせないように、纏めてピンで止めておこう)
湊が選んだ、白地に水色の花が描かれたワンピースを身にまとうと、かすかに彼の皮肉げな笑みが和らいだ記憶が浮かんだ。
それから化粧直しをして、首に掛けていた結婚指輪を薬指に慎重に嵌めた。
(この姿なら、少しでも不快にさせずに済むのかな)
彼の運転する車に乗っている時、2人の会話は無い。晴夏は凪の微笑みを浮かべたまま、外の景色を眺めていた。
「誕生日おめでとう。晴夏」
「ありがとうございます。旦那様」
レストランの個室で、2人の会話はそれっきり。
(なんで旦那様は誕生日を私と一緒に過ごしてくださるんだろう?お仕事を入れても大丈夫なのに)
フォークを持つ手が止まる。
きらびやかな皿の上には色とりどりの料理が並んでいるけれど、どれを口にしても、味が薄く感じた。
(美味しいはずなのに……)
口当たりも香りも完璧なのに、食べた感じがしない。それが不思議で、少し怖かった。
(旦那様のごはんは、ちゃんと“生きてる味”がするのに)
家で食べる湊の料理は、言葉もなくても温かい。
けれど、このディナーは光に包まれているのに、どこか温度がない。息をしていない。
晴夏は凪のように微笑み、ナプキンを膝に戻した。
外から見れば幸せな夜。でも、胸の中では湊の味噌汁の香りだけが、ゆっくりと蘇っていた。
ホテルの一室に入り、カバンを置くと湊は問いかけた。
「今日のディナー、いつもの朝食の時みたいな顔をしてなかっただろう?気に入らなかったのか?」
「いえ、美味しかったですよ?ありがとうございます。旦那様とのお時間を頂けてありがたかったです」
晴夏は輝く笑顔で答えた。
「なあ。どれが本当の表情なんだ?」
「分かりません…自分でも」
(俺が聞くのを止めるまで答えないつもりかよ)
彼は香油の小瓶を取り出し、彼女をベッドへと促した。
(また、初夜の時の香油……)




