20話 何を隠している?
タクシーのエンジン音が一定に響く中、晴夏はシートに凭れたまま静かに眠っていた。無防備に開いた唇、小さな寝息。朝の光が頬を淡く染めている。
(よく寝れるな、この状況で)
湊は窓の外を眺めるふりをしつつ、顔合わせの時のことを思い出しながら横目で彼女を観察した。「段取り名人」とピュアに変換した一言。黒川のことは一言も触れず、今が幸せの頂点のように振る舞う自然さ。
(全部、美談に変換してるんだろうな)
父の前でも、谷村家の前でも、完璧に「幸せな結末」しか見せなかった。あのワンピースを着て、母の代わりを演じながら。
(……汚い部分は、全部自分で抱えてるつもりか)
無意識に、指先がシートを叩いていた。支配したはずの女が、いまだに手の届かない場所にいる感覚。
(ピュアな仮面の下で、何を隠してる?)
(いや……隠してるんじゃなくて、見せない選択をしてるのか?)
熟睡する晴夏の瞼が小さく動いた。夢の中でも、きっと笑ってるんだろう。
誰かを安心させ、時に狂わせる完璧な笑顔で。
(本性を全て暴きたくて仕方ねぇな)
湊は小さく息を吐き、視線を前に戻した。車は新居へと、静かに進んでいった。
タクシーが静かに減速し、エンジン音が途切れた。湊が料金を払い終えると、運転手がドアを開ける。
「お先にどうぞ」
湊はキャリーを降ろし、振り返る。晴夏はまだ眠ったまま、シートに凭れていた。
(……起きねぇのかよ)
軽く肩に触れると、彼女の瞼がゆっくり開いた。ぼんやりとした瞳が、湊を捉える。
「着いたぞ。新居だ」
「……あ、はい」
晴夏は慌ててシートベルトを外し、降りようとする。だが足取りがふらつき、湊は反射的に支えた。
「まだ寝ぼけてんのか。カバン、落としたぞ」
「すみません……」
小物しか入らなそうなカバンを手渡すと、そのままキャリーを片手で引き、晴夏の腰に腕を回す。華奢な感触。
(この体で、あの笑顔を維持してきたのか)
エントランスの自動ドアが開き、ひんやりした空気が流れてくる。新居のロビーは清潔で、無駄のない空間だった。
「荷物は?」
「これだけです」
晴夏が指した大きめのキャリー。1週間分がやっと収まるサイズ。湊は無言でそれを引き、奥のエレベーターへ向かう。
(たったこれだけか。いつでも出ていける量だな)
晴夏は隣で小さく息を整えていた。タクシーでの熟睡顔と、今の少し緊張した表情。どちらも“ピュア変換”の断片に見える。
エレベーターの扉が開き、二人は静かに入った。
数字が上昇する音だけが、狭い空間に響く。
(ここからが、本当の始まりだ)
湊はそう思いながら、晴夏の横顔をちらりと見た。彼女は窓の外の街を見下ろし、無言で微笑んでいた。




