♪第三章♪ 茄子色のカノン *6*
「いやぁーっ、間に合わない間に合わない~」
5月17日、日曜日。
美咲は朝からカフェの店内を駆け回っていた。
祭っぽい雰囲気を出すべく、店内装飾をあれこれ変えるのはなんとか終わりそうだったが、肝心のナス料理の準備が終わっていないのだ。
「大丈夫だって。俺もいるんだからさぁ、ちょっとは落ち着けよ、美咲」
いつもの白いコックコートではなく、紺色の甚平姿で腰にエプロンを巻いた姿の漣が、落ち着き払った様子で言う。
「そもそも、祭とか言い出した蒼空が何で全然手伝ってくれないのよー」
確認しに行く時間が惜しいので見たわけではないが、おそらく二階の庭にいるだろう。しかもいつものお気に入りの竹の長椅子で昼寝しているに決まっている。
今朝方ひょこっと顔を出したと思ったら、食べたい料理のリクエストだけして、すぐにいなくなってしまったのだ。
それでいて、料理の味見ができる頃になると、突然キッチンに現れるのだ。
美咲がそう考えた瞬間――。
「おー、これこれ! 見た目はこんな感じやったなぁ」
漣がナスイーツ作りで余った皮を、ちりめんじゃこと一緒に炒めて甘辛く味付けたナスの佃煮、を目当てに姿を現した。
そしてすぐに佃煮は、その口に飲み込まれていった。
その見事なまでの早業には、美咲の苛立ちをまぁまぁと抑えながら漣も苦笑した。
「一応、味見も手伝いだから……なぁ」
たしかに、このレシピ案を出したのは蒼空だから、味見してもらうのは当然だが、何となく癪なのだった。
「で、ナスやん、味はどうよ?」
「ナスやん言うなや!」
蒼空が茄子神様だと知ってから、漣はからかうように『ナスやん』と呼ぶようになっていたが、蒼空はそれが不満らしかった。
「へいへい。で、味は?」
「んー……何や違う気がすんねんけどなぁ」
「まずいわけではない?」
「……わからんわ。食いたいと思ったんやけど、どんな味やったか忘れたわ!」
蒼空は自分でも納得がいかないように唸り、落ち込んだようにうつむいた。
味見の仕事にしても、結局、役に立ってないじゃないか、と美咲は手作りの射的用の棚に色々な形の生ナスを並べながら、呆れた。
「じゃあ、こっちの『しぎ焼き』は?」
それも蒼空のリクエストで試しに作ってみたもので、ナスを油でじっくり焼いて味噌をつけた料理だ。
「そっちはもう全然ちゃうわ! 何や、味噌なんてついとった覚えないし、見た目も全然『鴫』ちゃうやんか! ホンマに調理法、読んだんか?」
「調理法?」
キッチンから聞こえてくる漣と蒼空の会話に、美咲はハッと思い出して立ち上がった。
「あ、ごめんなさいっ! 漣さんにレシピの冊子渡してなかった!」
二階の書庫にある調理法の冊子を参考に、と蒼空が言っていたのを、忙しさに失念していたのだ。
美咲は慌てて取りに行き、埃を被った冊子を開いて渡すと、漣は眉をひそめた。
「……俺、こんな字、読めねぇんだけど。美咲は読めんの?」
書道を習っていない人にとっては、黒い線がにょろにょろ書かれているようにしか見えないのだ。
「ええ、読めることは読めるんだけど……」
ザッと調理法に目を通した美咲は、そこに記されている材料を読み取った途端、渋い笑みを浮かべた。
「何? もしかして、買ってある材料じゃ足りないとか?」
「足りないっていうか……これは無理ね。作れるわけがなかったわ」
蒼空が味も見た目も違うと評したのは、なるほど正しいらしい。
昔の『しぎ焼き』は、その名のとおり『鴫』という野鳥の肉を叩いて、身をくり抜いたナスの漬け物に詰めて焼き、ナスのヘタをしぎの頭に見立てて盛り付けたものだったのだ。
美咲の説明に、漣も「そりゃ無理だ」と苦笑する。
「え、なんや、作れんっちゅーのか?」
「悪ぃな、現代風ので我慢してくれ」
漣がそう言うと、蒼空は頬を膨らまし、不機嫌そうにキッチンを飛び出して、再び二階へと消えていってしまった。
「ま、こればっかりは、どうしようもねぇだろ」
「そうよね……」
二人で肩をすくめると、店内の茄子時計が、開店一時間前を鳴いて知らせた。
「やだ、こんな話してる場合じゃなかったわ!」
美咲は慌てて自分の作業に戻る。ナス射的の棚にナスを並べ終えると、次は蒼空に作るように言われた置物――よくお盆になると見かける、ナスに割り箸やマッチ棒で足と頭をつけたナス牛――作りだった。
それが終わるとようやく美咲は、自分が担当するナスのお菓子、ナスイーツ作りにとりかかった。
「漣さん……えっと、漣が色々知ってる、ナスの種類ごとに合った調理法っていうのは、やっぱり学校で覚えたんで……覚えたの?」
「別に無理してタメ口に言いなおさなくていいよ」
美咲はようやく少しずつ漣に対して敬語を使わないように喋れるようになってきたものの、まだ時々言い詰まってしまうことがあった。が、漣は笑って気にしないようにしてくれていた。
「まぁ、学校で教わったのもあるけど……」
「ナスの声を聞いたらええねんで! よく丸いヤツらなんか『油入れて欲しいねん!』とか言うてるやろ」
美咲が作り始めたナスイーツの甘い香りにつられて再び現れた蒼空が、話に割り込んできた。これぞまさに神出鬼没だ。
「って、ナスの声なんて、神様じゃないんだから、わかんないわよ……」
諦めたように笑った美咲に、しかし漣は蒼空の意見に同意した。
「俺は何となくわかるかも」
「……え?」
「ナスを触るとさ、水分と柔らかさが何となくわかるだろ。そしたら、クッションが効いてるやつは、『素焼きにすればふわっとしてうまいんだぜ』とか、言ってる気がしなくもないな……って、笑うなよ、美咲」
美咲は料理人としてマジメに話している漣に、笑ってはいけないと思って必死に笑いを堪えていた。
「だ、だって……ふふっ」
「だからよー、こういうのは長年の積み重ねと勘なんだって、さっき言おうとしたんだ。それをナスやんが変なこと言うからつられて……あーもぅ!」
なんだかんだで、漣と蒼空は気が合っているのか、時々、二人で何やら楽しそうに会話しているのを、美咲は何度か見かけていた。その内容が、ほとんどにおいて美咲についてなのは、彼女の知るところではなかったが。
「はいはい、あっ、ナスのパウンドケーキ焼けたわ。蒼空、味見する?」
「おっしゃー、それを待ってたんやで!」
フォークを構えて飛び跳ねる蒼空と、それに笑いかける美咲。
わざと無視された漣は「美咲ぃ~……」と肩を落としながら、石釜にナスピザの生地を入れていく。
こうして賑やかにも準備は進み、ナス祭開催を告げる12時の茄子時計が鳴った。




