♪第三章♪ 茄子色のカノン *5*
「もーやだぁーっ、超濡れたんだけど! しかも、なんであたしまでまた来てんのよ!」
突然振り出した雷雨に、里桃と里杏は髪を濡らしながらカフェに駆け込んできた。
「あ、いらっしゃいませー。よかったら、これ使ってください」
濡れて入ってくるお客さんを想定していた美咲が、すかさずタオルを差し出す。
「わ、助かる!」
「あのっ、ありがとう、ございます~」
仲の良い姉妹は、七分丈の袖から出た細い腕についた水滴を互いに拭きあいながら、昨日と同じカウンター席に座った。
「ご注文はいかがなさいますか?」
湿ったタオルを回収しながら美咲は尋ねる。
「あー、じゃあ、あたしは昨日と同じ、ナントカって紅茶で」
「わ、わたしも、今日はあーちゃんと同じ紅茶……だけにします」
「かしこまりました」
さすがに、悠馬のように毎日アフタヌーンセットを頼む人はそうそういないだろう。
と、店内の音楽に里桃が反応を示した。
「あれ? この曲って……」
「もしかして里桃さんも、サウスウィンド好きなんですか?」
紅茶を入れていた美咲が手を止め、驚き半分、期待を抱いて里桃に問う。
「あ、えっと、好きというか、昨日CDを買って聞いたばかりの曲だったので……」
「なるほど。でも、良い曲いっぱいあるでしょう? 私は10年来のファンなんですよ」
「10年……ですかぁ。すごいですねぇ」
サウスウィンドがデビューした頃からのファンという美咲に年季の違いを感じたのか、にわかファンの里桃は恥ずかしそうにうつむいた。
一方の美咲はその様子から、彼女が悠馬のブログを見てCDを買ったのだと推測して、再び「なるほどねぇ」とつぶやく。
「え、なんですか?」
「いえいえ、お気になさらず」
まだ会ったことのない二人を、なんとかこのカフェで引き合わせてあげたいな、と美咲は思ったが、それは黙っておいた。
その後、若々しい爽やかな香りの紅茶が姉妹の前に並べられると、里桃はおずおずと、鞄からスケッチブックを取り出した。
それは、昨日、家に帰ってから夢中で描いて着色したという、このカフェのロゴキャラクターの絵だった。
つい先ほど、立体でその絵と同じものを見たばっかりの美咲は頬を緩める。
「こんな感じで、どうでしょうか?」
と里桃は美咲に尋ね――その視線がふと、レジの横に注がれた。
「あれ? ねぇ、あーちゃん……あのぬいぐるみって昨日もあったっけ?」
隣に座る姉に、何かを指し示しながら里桃は話しかけた。
「何が?」
「ほら、あそこに置かれてる、紫色のちっちゃいやつ」
里桃の視線の先には、手のひらサイズのナス形ぬいぐるみ――実は、突然駆け込んできた二人から逃げ遅れた蒼空なのだが――がレジ脇のカウンターにちょこんと座っていた。
美咲と漣は顔を見合わせてから、蒼空の方を窺い見た。
隠れたかったのか目立ちたかったのか、微妙にわからない位置にいる蒼空は、里桃に凝視され固まっていた。その様子は、必死で己の正体を隠そうとしているように見える。
ついさっき、漣や庄一には自分から正体を明かしたくせに、彼女たちに明かす気はないらしい。
美咲と漣にはその判断基準がさっぱりわからなかった。
「……あれって」
眉をひそめた里杏とは反対に、里桃の瞳がキランと輝き、美咲は何かバレたのでは、と思わず身体を震わせたのだが。
「あのナスのぬいぐるみ、なんか……私のイラストに似てない?」
ほら、と言ってスケッチブックをナスのぬいぐるみを見比べると、なるほどたしかに、丸っこい身体の形と短い手足、表情に至るまでそっくりだった。
と、里桃が蒼空に触れようと手を伸ばした瞬間、美咲は横から奪うようにしてナス姿の蒼空を鷲掴んだ。
――痛いやんかっ!
そんな悲鳴というか文句を聞いた美咲は慌てて両手でそっと持ち直すと、カウンターの下で漣にバトンタッチした。
突然の美咲の行動に驚いていた里桃には、曖昧な笑みでごまかす。
「あは、ははは……えっと、これ、壊れやすいものなので、すみませんね」
「あ……いえ、こちらこそごめんなさい。かわいかったから、つい……」
「りっちゃんはぬいぐるみに目がないもんねぇ」
里杏の言うとおりで、里桃の鞄には手触りが良さそうな犬のマスコットのキーホルダーが、携帯にはキャラクター物のぬいぐるみストラップが付いていた。
「そ、それはそうと、そのロゴ、すごく素敵で、なんだかウチのカフェにはもったいないくらいですね」
「いえ、そんな!」
まさか褒められるとは思っていなかったらしい里桃が、照れくさそうに顔を赤らめると里杏が「良かったじゃん!」とひじでつついた。
「俺も、それは結構イケてると思うぜ。そのロゴを入れた名刺とかチラシとかあったら、いいんじゃね?」
キッチンの方から出てきた漣もそう評価し、里桃の表情は誇らしげなものに変わる。
「あの……じゃあ、チラシとかもよかったら私が作りましょうか? このロゴを入れて、あとはえっと、メニューとかも少しに載せてみたりとか……ど、どうでしょうか?」
「え、いいんですかっ?」
美咲が答えると、里桃は照れくさそうに頬をかいた。
「はい、チラシのレイアウトを考えたりとかも、好きなので……」
中学生の頃は新聞部に属していたという里桃は、イラストを描くのはもちろん、記事や写真などを配置するといった編集作業が好きだったという。漫画家を目指す前は、イラストレーターになりたいと思っていた時期もあったのだと美咲に語ってくれた。
「あぁ、でも……せっかく作ってもらっても……」
「チラシ配る人が、いないんだよなー。ほら、この店、美咲と俺しかいないから」
蒼空が外に出られないことを知り、美咲の性格を理解してきたらしい漣は、フォローするようにそう説明する。
客が少ないとはいえ、営業時間中に二人が店を離れてチラシ配りをする余裕まではないのか、と理解した里桃が「じゃあ」と切り出した。
「あーちゃんがビラ配り……するとか?」
サラッとつぶやかれた言葉に、それまで黙っていた里杏が顔を引きつらせる。
「えー……バイトはしばらくしないって二人で決めたんじゃん」
この4月から互いの夢を目指すべく専門学校に通い始め、学校生活とそれぞれの執筆に専念してみるために、一年間はバイトをしない、と決めたという。そう提案したのは里桃で、さらにそれを破ろうと言い出した里桃に、里杏は不満そうな表情になった。
「でも……これはバイトっていうより、人助けだよ? それに、あーちゃんは前にバイトでそういうの、してたじゃない?」
そういうの、とはポケットティッシュ配りのことで、里杏は高校生の時にこづかい稼ぎに何度かやったことがあるらしい。
困ってる人が目の前にいて、役に立てる経験者がここにいる……そして、里杏にとっての極めつけは。
「ねぇ、ダメ? ね、お願い! あーちゃんならやってくれるよね?」
妹の里桃がたびたび行使する、お願いスマイルだった。
「うーん。まぁ、りっちゃんがどうしてもっていうなら……」
降参とばかりに両手を上げ、渋々了承した里杏に、里桃は嬉しそうに悲鳴を小さくあげながら抱きついた。
妹が喜ぶならそれでいっか、と見事に丸め込まれてしまった里杏は、照れくさそうに頬をかく。
一方、まんざらでもなさそうな里杏の様子と、好き好きオーラ出しまくりの仲良し姉妹に羨ましそうな視線を向けていた美咲は、「あ」と声を上げた。
「バイト料とか、どうしましょう……」
「あー、はいはい。別にタダでやってもいいけど、その代わりここのメニューの割引とかしてくれる?」
ここでバイト料をとろうものなら、里桃に怒られるに決まっている。だが、割引くらいならいいだろう、という里杏がとっさに思いついた妥協案だった。
「それは、もちろんです!」
というか、それくらいしかできないのが申し訳なくなってくる美咲なのだった。
しかし里杏は本当にまったく気にしていない様子で、カラッと笑って頷いた。
「なら、全然オッケー」
「ありがとうございます~」
「よかったな、美咲」
何度も頭を下げる美咲に、里桃たちは恥ずかしそうにティーカップに口を付けた。
「……にしても、りっちゃんってば、ナス嫌いのくせに、なんでそんなに張り切ってんの?」
「え、里桃さん、ナス嫌いなんですか?」
里杏のつぶやきに、美咲は目をみはった。
まさかナスが嫌いな人がこのカフェに来て、しかもあんなにかわいいナスの絵を描くなんて、思いもしなかったのだ。
「う……実は……」
「そうだったんですか……。え、でも、ナスって変な味のクセとかない方ですよね?」
子供の嫌いな野菜の代表格、ピーマンやニンジンには独特の苦味だったり青臭さがあるから、嫌いな理由はわかりやすい。その点、ナスでそういったことを、特に感じたことがない美咲としては不思議だった。
「なんかあの、ぐにゃっ、とした食感が、噛んでも噛んだ気がしないんですよね。もさっとした種の感じとか、独特のニオイとかもダメで……。あと見た目の紫色が、絵にする分にはいいんですけど、食べ物にしては毒々しいなぁって」
どうやら、嫌いな人にしかわからない、臭いがあるらしい。
見た目の毒々しさは、そう言われてみれば、たしかに紫色というのは、食欲が進む色ではないかもしれない。
「んー……たしかに」
美咲が納得げに頷いていると、漣が「じゃあさ」と話に割って入った。
「緑色のナスとか、白いナスとかがあれば、食べてみたいと思うか?」
そんなのあるわけない……と言いかけた美咲はハッとする。
そういえば、蒼空の書庫でナスの品種について書かれている本を見たとき、白ナスという品種名を見た気がする。
「食べれるかはともかく、そういうのがあるなら、ちょっと見てみたい気はします」
意外と前向きで、素直な里桃の返事に、里杏も同意した。
「うん、ホントにあるなら、私も、ちょっと見てみたいかもー」
「じゃあさ、今度の日曜の昼間って、またココに来られる?」
日曜は授業がないから普通に来れるはずだ、と里桃と里杏は視線で確認しあうと、漣に頷き返した。
「来れますけど、何かあるんですか?」
色んなナスを見せてくれるだけ、というわけではなさそうな口ぶりに、里杏が尋ね返すと、漣は不敵な笑みを浮かべて答えた。
「それは、来てのお楽しみっつーことで!」
今度の日曜は、5月17日――ナス祭の日だ。
漣が昼間、悠馬のことも誘っていたのを思い出した美咲は、そっと笑みを浮かべた。




