♪第三章♪ 茄子色のカノン *7*
約束の5月17日、悠馬は本来休みだったはずのバイトに、風邪でダウンしたスタッフの代わりに出ることになってしまった。しかし約束を違えるわけにもいかず、店長にお願いして特別に昼休みを2時間貰うことに成功した。
といってもまぁ、その分、夜に上がる時間が1時間延びるだけなのだが。
そうしてやってきた昼休み、13時半にカフェのドアを開くと、店内にはいつもと違い、すでに何人かのお客さんが来ていた。
店内はどこか懐かしく感じる、縁日風の装飾に溢れかえっている。
手作りらしい、ナスを標的に置いたナス射的や、紫色のお面、丸ナスっぽい形の、紫色のヨーヨー釣りまで用意されている。
一応、形式としては立食パーティーのようで、どのテーブルにもたくさんのナス料理が並べられ、お客さんたちは飲み物を片手に、それらを自由につまんでいるようだった。
「おっ、待ってたぜ、悠馬!」
いつもと違い、甚平姿にねじりハチマキをした漣に出迎えられる。彼にはなぜか、ここ数日の間に、下の名前で呼ばれるようになっていた。
「漣さん、これは一体?」
状況が飲み込めずにいる悠馬に、漣は不敵な笑みを浮かべた。
「さてここで問題だっ! 今日は何の日だか知ってるか?」
「たしか……世界電気通信記念日と、自然保護の日ですけど、それとこれと、何か関係があるんですか?」
「……って、悠馬、もしかして調べてきた?」
図星を指された悠馬は、慌てて目を逸らした。
漣が今日何があるのかまったく教えてくれなかったので、日にちと何か関係があるのかと思って、ネットで色々調べてみたのだが、結局わからなかったのだ。
どうやら真面目らしい悠馬の性格に、漣はプッと噴き出した。
「まぁ、俺が最初に同じ質問された時の答えよりはマシだけどな。でも残念、ハズレだ! 今日というか、毎月17日は、ナスの日なんだぜ」
「え、ナスの日なんてあるんですか?」
ナス好きなのに知らなかったことに、かすかな悔しさを感じながら、悠馬は聞き返す。
「俺も最近知ったばっかなんだけどさ、なんだっけなー……あっ、庄じぃ、ちょうどいいトコに!」
漣は悠馬の後ろから新たに入ってきた老人の姿に、キラリと目を輝かせた。
いつもはアロハシャツに短パンという派手な姿の庄一も、今日は落ち着いた濃紺色の浴衣姿だった。
漣の手招きに気付いて目尻の皺を深めた庄一は、店内をぐるりと見まわすと、感心した様子で頷いた。
「ふぅむ。思ってたより賑わっとって、何よりじゃな、漣どの」
「はい、おかげさまで。ところで庄じぃ、来て早々悪いんですけど、『ナスの日』の説明をまた、お願いしてもいいっすか?」
「なんじゃ、おぬし、もう忘れたのか? まぁいい」
そう言いながらも、庄一は得意げな様子でナスの日の説明をし、それが終わると、漣が続けて口を開いた。
「つまり今日はナスの日、ナス祭! つーわけで、ナス料理の試食をたくさん用意したからな、思う存分ナス料理食って、どれが一番おいしかったか教えろよ?」
「そういうことだったんですか……」
試食ということは、タダ食いということ――もしかしたら、お金に余裕がないと言ったのを気遣っての企画かもしれないと思いつつ、悠馬はありがたく参加させてもらうことにした。
とりあえず、漣に渡された紙皿に、手近のテーブルからいくつかナス料理を選んで盛ると、人の座っていなかったいつもの席を陣取る。
そこへ、他のお客さんとの会話を終えた美咲が挨拶にやってきた。
彼女も祭に合わせてか、濃紺色――茄子紺とも言える色の浴衣に身を包んでいる。後ろで一つに結わかれた髪を留めているのも、ナスの形をした髪留めだ。
「橘田くん、いらっしゃい。どうぞゆっくりして……あ、もしかして、今日もバイトの昼休み中に来てくれただけだったりします?」
「あ、はい。でも、今日は休憩2時間もらったので、いつもよりはゆっくりできます」
「わ、よかった! じゃあ間に合うかもしれないわ」
「え……何がですか?」
「ううん、こっちの話なのでお気になさらず~」
なぜか照れた様子で首を横に振る美咲に、悠馬は小首を傾げつつ、ひとつめのナス料理に口を付けた。
「あ、ウマっ……」
こんがりとキツネ色の焼き目がついたチーズのほんのりとした塩気と、ホワイトソースがたっぷり絡まった挽肉とジャガイモとナスの組み合わせに、悠馬は思わず口元を緩める。
一見ただのグラタンにしか見えなかったのに、なんだこのおいしさは。これがプロの味というものなのだろうか。
悠馬が密かに感激していると、美咲は嬉しそうに目を細めた。
「それはムサカっていって、ギリシャの伝統料理なんですよ」
「え、ナスって海外にもあるんですか?」
ギリシャといえばアテネ、古代都市、白い壁に青い空というイメージが浮かぶが、そこにナスの存在が結びつかず、悠馬はとっさに聞いてしまった。なんとなく、ナスは日本の野菜というイメージがあったのだが――美咲はすぐに「もちろん」と答えた。
「ナスの原産国って知ってます?」
「そう聞くからには、日本じゃあないんですよね、きっと」
原産国も知らなかったなんて、ナス好きが聞いて呆れる、と悠馬は苦笑する。
しかし美咲は、自分も最近知ったばかりだと前置きをしてから、ナスのルーツについて丁寧に教えてくれた。
いわく、ナスはインドが原産で、710年頃に書かれた書物に『加須津韓奈須比』と記されていることから、日本へは七~八世紀頃に、中国から入ってきたものだと考えられている。
そんなに昔から日本にあったのなら、日本が原産の野菜だと勘違いしても仕方ないかもしれない。現に、京都が産地で有名な賀茂ナスは、伝統野菜として売られているわけだし、と悠馬は納得しつつ、次の料理を頬張った。
「……これもナス、なんですよね?」
「ええ、それはトルコ料理で、焼きナスを叩いたものなんですけど……」
カリッと焼かれた薄いフランスパンに乗っている、クリーム色のペーストは、そう言われてみれば確かに、焼きナスっぽい味がした。食欲をそそるニンニクの香りと、レモンのサッパリとした酸味が後をひいて、これもなかなか。
「おいしいですよ。あ、こっちのは見た目オムレツっぽくて、簡単に作れそうですね」
明るい紫色の皮が綺麗な揚げナスに、ふんわり焼かれた黄色い卵が乗っていて、その上にケチャップがかかっている。卵の生地にチラチラと見えている赤や黄色は、食べればすぐに、パプリカだとわかった。それ以外にも、小さく刻んで混ぜ込まれている炒め玉ねぎの甘みと豚挽き肉の旨みが、口の中で絶妙に絡み合って、そこらのオムレツよりもだいぶ豪華な味がした。
「それも一応、リエノンタロングっていう、フィリピンで作られてるナス料理なんです」
ギリシャにトルコにフィリピン……どれも行ったことのない土地なのに、たった一品ずつのナス料理に触れただけで、なんだかその国に親近感が湧いてくるから不思議だ。
「ナスって、ホントに色んな国で食べられてるんですね」
一人暮らしを始めてから、まともな食事をしてこなかったせいもあるだろうが、こんなおいしいナス料理を食べれるなんて、悠馬にとっては本当に夢のような気分だった。
タダで試食というから、どんな料理なのかと少し不安に思ったのが、申し訳なくなってくる。後で一番おいしかった料理を漣に告げなくてはならないが、これは予想以上に悩むことになりそうだ。
「ところで、前から聞いてみようと思ってたことがあるんですけど……」
アールグレイのアイスティーで喉を潤した悠馬は、店内の中央、初めて見た時よりも成長したような気がする『謎の木』を指して美咲に尋ねた。
「あの木の葉っぱ、ナスの葉に似てるような気がするんですが……あれもナスに関係ある植物だったりするんですか?」
カフェの名前に含まれている『eggplant』という言葉からはじまり、店内に飾られている小物類はすべてナスグッズ、使われているグラスやお皿、食器類にはどれもナスの模様が入っているという、徹底したナスづくしっぷりに、悠馬は『木』にも何かあるのではないかと思ったのだ。
時々、木の枝と枝の間に挟まるように、小さなナスのぬいぐるみのような置物が飾られている日があるのも、常連の彼は知っていた。
「橘田くんって、ホントにナスが大好きなんですねぇ。あの木のことに気付いたの、橘田くんが初めてですよ」
「じゃあ、やっぱり?」
「そう、私も全然知らなかったんだけど、あれは『ナスの木』なんだそうよ」
「ええっ!? ナスって『木』だったんですかっ!?」
去年、自分で育てていて、木ではないことをこの目で見て知っていたはずなのに。
悠馬のその驚きっぷりに、美咲はなぜか噴き出した。
「ちょっ、なんで笑うんですか……」
「あ、えっと、ごめんなさい、蒼空が喜びそうな良いリアクションだなぁと思って、つい」
「蒼空……って、あの少年が?」
悠馬は数日前に一度会ったきりの、ちょっと不思議な雰囲気の少年を思い浮かべ、そしてあの日、帰り際になぜか謝られてしまったことも思い出し、眉間に皺を寄せた。
「ええ、蒼空は生粋の関西人だから、リアクションにうるさいの……って、話ずれちゃいましたけど、あの木は正真正銘、ナスの木なんですよ」
日本で育てられている食用のナスは一年で枯れるのが普通だが、原産地のインドなど、熱帯地域では、冬でも寒くならないため、高さ二メートルを越える木に育つ種類がいくつか存在しているのだという。
なぜその木が、日本国内の、ただの……といっては失礼かもしれないが、このカフェにあるのか――それは、美咲にもわからないらしい。
「八百屋のおばちゃんは、私がこの店舗を借りるずっと前、何十年も前に、ここで喫茶店を経営してた人が育て始めたんじゃないか、って言ってましたけどね」
何十年もの間、熱帯の植物がどうやって冬を越してきたのかは、不思議な気もする。
「そうだったんですかー……でもなんか、謎があるって、いいですよね」
「ですねー」
美咲がフフッと笑った瞬間、ナスの木の葉も嬉しそうに揺れた気がしたのは、悠馬の思い過ごしだっただろうか――。
ちょうど話に区切りがついた、その時。
チリチリーン、と涼やかなドアベルが店内に響き渡り、二人の女性客が入ってきた。
「あ、来たきた! 間に合ってよかったぁ」
美咲はそうつぶやき、悠馬に「ちょっと待っててくださいね」と言うや、彼女たちに近づいていった。
それまで悠馬は、漣や美咲との会話や料理に夢中であまり気にしていなかったが、店内にいる客はみんな、どこかで会ったことがあるような、見覚えのある顔ばかりだった。
しかし、どこで?
このカフェの常連だとしても、悠馬が店に来る時はいつも、店内に一人なので、そこで会ったことがあるわけではない。漣たちの友人にしては妙に年齢層が高い。美咲の祖父の友人にしては、それほど親しげに話している様子もない。おしゃべり好きそうな、いかにもその辺の八百屋の前で井戸端会議をしてそうなおばちゃんや、そんなおばちゃんたちに囲まれて豪快に笑っている人の良さそうなおじさん――。
「あ、肉屋のおやっさん……?」
箸を片手に談笑していたのは、気さくな雰囲気と安くておいしいメンチカツ有名な、商店街イチ人気者だと言われている精肉店の店主――通称、おやっさん、だった。
その隣に座っているのは、バイト帰りに寄った八百屋でナスをオマケしてくれたことのあるおばちゃん。さらにその隣は、パン屋の若夫婦で……一人思い出すと、芋づる式に色んな顔が思い出された。
どこかで見たではなく、みんなこの彩の瀬商店街の人たちだったのだ。
そして今入ってきた二人組の女性のうち、片方にも見覚えがあった。
しかし、商店街で働いている人ではない。
腰まではあろうかという長くて綺麗な黒髪が印象的な、眼鏡の彼女は、つい数日前に、サウスウィンドのCDを買っていった人だ。
その彼女は、しばらく美咲と親しげに話していたかと思うと、ふいに悠馬の方をチラリと見やり、そして目が合った途端、慌てた様子でうつむいてしまった。
隣で賑やかに喋っているおばちゃんたちの声のせいで、美咲たちの声は聞こえなかったが、なんとなく、悠馬は自分のことを話されている気がした。
「なんだろう?」
そういえば、さっき美咲は「待ってて」と言っていたような気がするが、それと関係があるのだろうか。
居心地の悪さを感じながら、新たに皿に載せてきたパウンドケーキをフォークでつつくと、賽の目状の紺と黄色の物体が生地からコロンと転がりでてきた。
「……これ、ナスケーキか」
焼きチーズの香りに鼻をくすぐられながら、期待たっぷりに大きな欠片を頬張った悠馬は、しかし絶句した。
「……っ!?」
今にも口と目と鼻から、火が噴き出しそうなくらい――辛い、というか口の中が痛い!
こんなところで吐き出すわけにもいかず、必死の思いで飲み込むと、ぎゅっとつぶった瞳の奥から、涙が滲み出てきた。
これでもかというくらい、アイスティーを口の中に流し込み、ひとりで辛さと闘っていると、何もこんな時に来なくても……というタイミングで美咲が二人組の女性客を伴って近づいてきた。
悠馬の異変にいち早く気付いた美咲が、怪訝そうに眉をひそめた。
「橘田くん、どうしたんですか?」
「…………ひょ、ひょっと……から…くて」
まだ口の中がしびれたような状態になっていて、うまく喋れそうになかった。
「辛い? 今日はそんな辛い料理は作ってないはずだけど?」
「そんなはず……」
悠馬が必死に、今食べたナスのパウンドケーキの残りを指で示すと、美咲の表情は瞬時に固まり、急激に青ざめていった。
「……これ、蒼空がさっきイタズラしてチリパウダーが入っちゃったやつ! やだ、食べちゃったんですかっ!? ごめんなさいっ! 今、水持ってきます!」
美咲は大慌てでキッチンの方へ消えていき、その場には状況の掴めない悠馬と二人の女性が取り残された。
「…………えーと、こんにちは?」
「…………」
なぜか耳まで真っ赤になって沈黙している目の前の女性に、ただでも混乱中だった悠馬はさらに混乱を極めた。
と、うつむいたまま立ちつくしている黒髪の女性が、すぐ後ろに立っていた茶髪ショートカットの女性に肩をポンと叩かれ、ビクリと震える。
どうやら、緊張しているらしかった。
悠馬も接客のバイトを始めたころは極度の人見知りだったので、彼女の気持ちがなんとなくわかる。こういうときは、とにかく何か話題を提供すればいいのだ。
「……あの、この前、楽器屋でCD買っていって下さった方、ですよね?」
まだ痛みの残る口を押さえながら、必死に尋ねたのだが――彼女は悠馬の言葉に驚いたように顔を上げ、突然、踵を返したかと思うと、カフェから飛び出していってしまった。
「あ、ちょっと、りっちゃんってば、逃げてどうすんのよバカぁーっ!」
一緒にいた女性も、後を追いかけて勢いよく飛び出していくのを、悠馬はポカンと口を開けて見送った。
「橘田くん、大丈夫ですか……って、あれ? 里桃さんたちは?」
グラスになみなみと水を注いで悠馬の元へ戻ってきた美咲は、自分がいない数瞬の間に起きた出来事を理解できず、首を傾げた。
そして尋ねられた悠馬にも、何が起きたのかはさっぱりで、答えようがなかった。




