第六話:迫りくる監視の目
迷宮から地上へ続く大縦穴。その断崖絶壁を、俺は垂直に駆け上がっていた。全身の筋肉が軋み、肺が焼けるように熱い。だけど、頭の中は冷たい水底のように静まり返っていた。
インカムの向こうで、カグヤの声が響く。
『レン、聞こえる? ガイルたちが、あなたの不在を狙って部屋を荒らしているわ』
「……分かっています。間もなく着きます」
カグヤの声は、ひどく事務的で静かだった。それが逆に、彼女の怒りを感じさせた。そして、俺の事で怒ってくれるている事に嬉しさも感じていた。
◆◆◆
地上、夕暮れの我が家前。
ガイルたち『雷刃』のメンバーは、俺の部屋から運び出した機材をトラックの荷台に放り投げていた。
「おい丁寧に扱えよ! このコンプレッサーと真空パック機、新品じゃねえか! 数百万は下らねえぞ!」
「へへっ、あの無能……こんな高級な機材を隠し持ってやがったのか」
「ガイルさん、これ全部売り飛ばせば今夜は豪遊できますね!」
ガイルはコンプレッサーを満足げにトラックの奥へ押し込むと、足元に転がっていた安物の工具箱を、邪魔だと言わんばかりにブーツの先で汚く蹴り飛ばした。
「あいつの物なんて、金になるもん以外はゴミだ。俺たちの稼ぎをくすねて買ったもんに決まってんだからな、回収してやるのが慈悲ってもんだろ」
ヒュンッ!!
キキィィィィィッ!
その時、上空から青い閃光が高速で降臨した。ガイルの目の前、わずか数センチの地面に、凄まじいスキール音を立てて一台のママチャリが停止する。
「……あ?」
ガイルたちが呆気にとられる中、俺はデリバリー・ランサーを降り、無言で地面に散らばった細かいネジやスパナを一つずつ丁寧に拾い上げ始めた。
「……おい、レン。お前、なんでここに……」
「どいてくれ。そこは俺の駐輪スペースだ」
俺はガイルを見もせずに淡々と言った。まるで、配達先にいる「邪魔な野次馬」に接するような態度。それがガイルのちっぽけなプライドを激しく逆撫でした。
「……無視してんじゃねえぞ、無能が!」
ガイルが激昂し、腰の剣を抜いて斬りかかってくる。その剣筋は一般的には速い。
だが、今の俺にはスローモーションに見えた。
俺は最小限の動きで半歩下がり、剣先を紙一重で躱す。空振ったガイルがたたらを踏む隙に、俺はトラックの荷台からコンプレッサーを軽々と回収した。
「て、てめぇ……! 避けやがったのか!?」
「避ける? ……いや、道端の障害物をわざわざ踏むやつはいないだろ。あんたの剣は迷宮の風より読みやすい。そんな重くて鈍いもん、配達の『障害物』にすらならないな」
「この、出来損ないがぁぁぁ!!」
俺は冷めた目で彼を見据え、言い放った。
「ガイルさん。あんた、俺の稼ぎも機材も自分たちのものだって主張してるらしいな。だが残念ながら、この機材は昨日カグヤから正式に受け取った開業報酬と資金で買い揃えたものだ。あんたら『雷刃』の汚い金なんて、1円も入ってない。不法侵入と器物破損、利用規約に基づき違約金を請求する」
「だ、黙れぇ! 殺してやる! ここで殺して、ダンジョンに放り込んで事故に見せかけてやる!!」
ガイルの目が血走る。殺意が本物になり、再び剣を振りかざした。
俺は冷静に相手の剣筋を見切り、軽くステップを踏んで躱そうとした――その瞬間。
「甘ぇんだよ、レン!!」
ガサッと背後の死角から、巨漢の盾職人・ボルドが飛び出してきた。
しまっ――! 狭い路地裏、ガイルの攻撃に気を取られ、横の物陰に潜んでいた残りのメンバーの配置を見落としていた!
「ぐっ……!?」
「捕まえたぜ! 逃げ足だけの無能が!!」
両腕を背後から力任せにガッチリと羽交い締めにされる。
【絶対配送】のスキルは、移動速度と回避、そして「荷物を運ぶ」ことには特化しているが、素の腕力や攻撃力はただの一般人並み。この大男の拘束を解く手段は俺にはない。
「ハハハハ! 威勢がいいのはそこまでだったな、レン!!」
ガイルがニヤニヤと下品な笑みを浮かべ、ゆっくりと歩み寄ってくる。
ガチガチと鳴る剣先が、俺の首元に突きつけられた。
「逃げ回るしか能がねぇゴミが、調子に乗りやがって。どんなにバズろうが、所詮お前は力のないただのポーターなんだよ! ここで足の一本でも切り落とされたら、もう二度とあのふざけたチャリも漕げねぇなぁ!?」
「……くそっ……!」
必死に体を揺らすが、ボルドの拘束はビクともしない。逃げ場のない完全な窮地。ガイルが邪悪な笑みを深め、剣を大きく振りかぶった――。
「――うるさいわね。静かにしなさい」
冷徹で低い声が、上空から降ってきた。
「な……っ!?」
ガイルがぎょっと見上げる。
アパートの屋根の上、優雅に日傘を差したカグヤが、氷のように冷たい眼差しで彼らを見下ろしていた。
そして彼女の周囲には、無数の『浮遊魔眼』が、赤い録画ランプを点滅させて静かに浮かんでいる。
「カ……カグヤ……様……!?」
ガイルの手が、ガチガチと震え出す。
カグヤは屋根からふわりと舞い降りると、周囲の温度が一気に数度下がったかのような圧を全身から放ちながら、俺とガイルの間に割り込んだ。
「あなた……その汚い手を今すぐレンから離しなさい。……三秒以内に離さなければ、その両腕を肘から凍らせて叩き割り砕くわ」
「ひ、ひぃぃっ!?」
日本最強の探索者から放たれる冷たい視線と殺気に、ボルドは悲鳴を上げて俺を解放し、尻餅をついた。俺は自由になった手首を擦りながら、スマホを取り出す。
「助かったよ、カグヤ」
「後でお小言よ、レン。いくら回避が得意でも、挟み撃ちにされたら逃げられないでしょ」
カグヤは俺をかばうように前に出ると、一切の感情を排した冷酷にゴミでもみるような眼差しでガイルたちを見下ろした。
「……見苦しいわね。クビにした元仲間に嫉妬して、不法侵入と窃盗を働き、複数人で羽交い締めにしてリンチ……まぁ未遂だけど……。
どこまで落ちぶれれば気が済むのかしら。吐き気がするわ」
カグヤが空中に魔導ウィンドウを展開して見せつける。現在、彼女のチャンネルでリアルタイム生配信中。同接70万人を突破したコメント欄には、ガイルへの怒りと、カグヤの塩対応への謎の歓喜が入り乱れて荒れ狂っていた。
『うわあああ! 最低すぎるだろガイル!!』
『レンさん挟み撃ちにされて危なかった!!』
『きたあああ!! カグヤ様の冷酷なゴミを見る目!!』
『「吐き気がするわ」いただきましたぁぁぁ!!』
『俺もその目で侮蔑されたい……』
『ご褒美ですカグヤ様ありがとうございます!!』
『窃盗&暴行&殺人未遂の現行犯決定! 警察早く来い!』
「な……なん……だ、これ……」
ガイルの顔色が土気色に変わる。俺はスマホの画面をタップし、冷ややかに宣告した。
「ガイルさん。利用規約第15条に基づき、本日付で『雷刃』の全メンバーを『ダンジョン・イーツ永久利用停止ブラックリスト』に登録しました」
「は、ハンッ! そんな怪しい配達サービス、使えなくなったところで痛くも痒くも――」
「それだけじゃない」
俺は追及の手を緩めない。
「我が社は国内すべての配送業者と個人ポーターが加盟する業界団体『全日本ダンジョン物流協会(JDLA)』へ正式加盟しています。今回の暴行未遂・不法占有・危険行為の映像データは、そのままJDLAのデータベースへ全自動で転送・共有される」
「……あ……?」
「つまりあんたらは今後、ダンジョン・イーツどころか、他のどんな配送業者も、ギルド所属の個人ポーターも、一切雇うことができなくなったってことだ」
やっとガイルの小さな脳みそでも事の重大さを理解したようだ。
ダンジョン探索において、物資の補給や素材の持ち出しを担う「荷物運び」が存在しないということは、予備のポーションも、食料も、予備の武器も用意できない事を意味する。
機動力も、深層へのアタックルートも完全に絶たれる。
それは探索者社会において、「二度とまともなダンジョンアタックができない=探索者としての完全な死」を意味していた。
『うわあああ! JDLAブラックリスト共有キタ!!』
『ダンジョン・イーツだけじゃなく全てのポーターに拒絶されるwww』
『もう浅層でスライム刈るしかできねぇww』
『実質的な探索者ライセンス永久剥奪www』
「ひっ……!? あ、アホな……! ポーターを雇えないなんて……そんなの、俺たちに探索者を辞めろって言ってるようなもんじゃ……!」
「当然の報いよ」
カグヤは一切の同情もなく冷たく言い捨てると、浮遊魔眼のカメラを冷え切った瞳で一瞥し、不愛想に吐き捨てた。
「……配信は以上よ。くだらないコメント打ってないで、警察でもなんでも勝手に呼びなさい。じゃあね」
パチン、と指を鳴らして配信を一方的に即切りするカグヤ。
視聴者に感謝の手振り一つ見せず、最後まで蔑むような塩対応を貫く姿に、コメント欄は最後に最大の爆発を起こした。
『「じゃあね」の一言で切られたwwww』
『もっと冷たく罵倒してほしかったあああ!!』
『「くだらないコメント」たすかる』
『今日も最高の塩対応ありがとうございました!!』
遠くから、ウーウーと響くサイレンの音が急速に近づいてくる。
ガイルとその部下たちはその場に膝から崩れ落ちた。ガラリと音を立てて武器を取り落とし、何事かを虚しく喚いているが、もう相手にしてくれない。
カグヤは警察の到着を待つこともなく背を向けた。
「……私の『大切な友人』に二度と近づかないで。次は法じゃなく、私が直接処理するから」
ガイルに絶対零度の言葉を叩きつけたカグヤだったが、俺の方を振り向いた瞬間、その氷の表情が一気に氷解する。
彼女は荒れ果てた俺の部屋のドアを見ると、ため息をついた。
「……ちょっと、いつまでボーッと見てるのよ。あーーあ……部屋が滅茶苦茶じゃない。こんな鍵も壊された部屋、もう住める状態じゃないわね」
「まあ、鍵は付け直せば……」
「ダメに決まってるでしょバカ! ……し、仕方ないわね。私のマンション……部屋余ってるから。地下に広い専用ガレージもあるし……特別に貸してあげるわよ……っ」
彼女は俺の袖をギュッと掴み、顔を背けながら上目遣いでそういった。
「か、勘違いしないでよね! あくまで『ダンジョン・イーツの地上拠点』として貸すだけなんだから! 大家と店主の関係よ! 早く……ついて来なさい!」
「……え。マンション……? ガレージ付き拠点……? ……これって、実質同棲では!?」
本日最大の衝撃と共に、ふと喉の奥に引っかかっていた『決定的な違和感』に気がついた。
「……ねえ、カグヤ」
「な、なに? 素直についてくればいいのよ!」
「……なんでカグヤは、俺のアパートの場所を知ってたの?」
「……え?」
カグヤの動きが、ピタリと止まった。
「俺、カグヤに住所教えたことないよね? 考えてみれば、初めてカグヤがアパートに来た時も……開業届は提出前だったし、個人情報だから協会も絶対に自宅の場所は教えないはずなんだ。それに……」
俺は空中に浮く浮遊魔眼を見上げた。
「なんでガイルたちが俺の部屋を荒らしてるのを、リアルタイムで察知して速攻で配信ドローン飛ばせたの?
まるで、俺の部屋を『24時間監視』でもしてないと不可能なタイミングだったけど……」
「あ、え……えっと……そ、それは……」
さっきまでガイルを氷漬けにしそうだった最強の探索者が、滝のような冷や汗を流し始めた。
彼女は視線を泳がせながら、自分のスマホをサッと背中に隠そうとする。
「見せて」
「や、嫌よ! プライバシーの侵害よ!」
「見せて」
俺がジト目で詰め寄ると、カグヤは「うぐぐ……」と唸りながら、諦めたようにスマホを差し出してきた。
画面に表示されていたのは――
『レン君見守りネットワーク(高精度GPS&超小型防犯魔眼リンク)』
画面の中央には、俺のアパートを中心としたリアルタイムの3Dマップ。俺のスマホの位置情報、さらには部屋の周辺を24時間監視する極小魔眼の映像が、バッチリ映し出されていた。
「……カグヤさん?」
「ち、違うのよっ!! ストーカーとかそういうんじゃないのよっ!?」
「完全にストーカーの画面なんだが!?」
「違……ッ! これは『防犯』よ! あなたがまた悪質なパーティに狙われたり、危険な目に遭わないように、第一号顧客として警護してただけなんだから!
感謝しなさいよっ!!」
「絶対配送のスキルより恐ろしい追跡スキル発動してんじゃねえか!」
顔を林檎みたいに真っ赤にして必死に弁明するカグヤ。
日本最強の『氷姫』のヤバすぎる執着心に、俺は背筋にひんやりとした冷汗をかいた。
「ほら、さっさと荷物まとめるの! 私のマンションなら、セキュリティ万全なんだから……(私の目が行き届くし……)」
「最後なんて言った!?」
俺の腕を強引に引っ張り、引きずっていくカグヤ。
こうして『ダンジョン・イーツ』は、最強で最恐(?)の友人の手によって、強制的に最高の拠点(監禁先?)へと引っ越すことになるのだった。




