第五話:職人のこだわりと、配達員の意地
銀座の老舗和菓子店『瑞月』。その厨房に漂うのは、厳選された小豆の甘い香りと、張り詰めた緊張感だ。
俺が専用のデリバリーバッグから取り出したのは、第30階層『豊穣の迷宮』の最奥、魔素の吹き溜まりにのみ自生する苺――【紅蓮の雫】。
「……相変わらず、完璧な状態で持ってきやがる」
店主は感嘆の溜息を漏らし、その巨大な苺を専用のトングで慎重に持ち上げた。
この苺はダンジョン内の高純度な魔素を吸って育つため、地上に出した瞬間から構成物質の変質が始まる。30分も経てば自重で潰れ、ただの赤い水へなり果てる厄介な代物だ。
店主は紅蓮の雫を愛おしそうに眺めながら、語り始める。
「ダンジョンでの配送ビジネスに目をつけた大企業は山ほどあった。
だが、大手フードデリバリーの『Ubor Eats』は配送員の安全が保障できず、配達達成率が5割を切って早々に撤退。
物流大手の『早川急便』もテスト配送までやったが、採算と効率が悪すぎると参入を断念した。『シロネコヤマト』なんて参入を表明してから数ヶ月経つのに、未だに本格稼働すらできてねぇ有様だ」
「結局、危険すぎるダンジョン内じゃ、個人の運び屋か大手ギルドの専属ポーターに頼るしかないんですよね」
「ああ。だが過去に何人もの凄腕ポーターや、空間収納スキル持ちの同業者がこいつの運搬に挑んで、全員ただの『イチゴジュース』にしちまった」
「リュックの容量拡張や、重量軽減のスキルじゃダメなんですよね」
「ああ。あいつらのスキルじゃあ、悪路を走る時の『揺れ』までは防げねえ。おまけに鮮度を保つ時間遅延もないからな」
店主は重厚なあんこの塊を手に取り、苺の表面を薄く均一に覆うように纏わせていく。
「だからこそ、中身が一切揺れず、完璧な時間遅延で鮮度を保ち、ママチャリでどんな悪路も走破しちまうお前の【絶対配送】だけが頼りなんだ。
お前がいなけりゃ、この自慢のイチゴ大福はこの世に存在すらできねぇ。
……よし、包むぞ」
店主は真剣な眼差しで、あんこを纏った苺をさらに求肥で包み込んでいく。
「いいか。苺単体じゃあ、少しの振動で果肉が死ぬ。だがこうして特性の餡と求肥で包めば、絶妙なクッション層になって苺を外的な衝撃からも保護してくれる。……地上の職人の努力と、お前の規格外な運びの技術。この二つが揃って初めて、こいつは『商品』として完成するんだ」
店主の指が魔法のように動き、白く美しい大福が桐箱に並べられた。俺はそれを速やかにバッグに収納する。
「預かります、親方。お客様に最高の状態で、届けてきますよ」
◆◆◆
『ダンジョン・イーツが第55階層通過!』
『てか瑞月の大福って、レンさんが苺を届けた日にしか作られない激レア品だろ!?』
『そうそう、カグヤ様はそれ知ってて指名したんだよな。この二人の関係……怪しい……』
自転車に取り付けたスマホの画面を、コメントが滝のように流れていく。
カグヤは元々あの店の常連だった。親方が「あの苺で和菓子を作りたい」とこぼしていたのを聞き、俺に連絡をしてきたのが始まりだ。
結果として、俺が『紅蓮の雫』を持ってくれば、親方が即座に大福を作ってくれるという連携プレイが生まれた。
第55階層、キメラの巣。
空を埋め尽くす魔物の群れの上、迷宮の壁をタイヤで捉えて駆け抜ける。数分後、俺は日本最強パーティが休息する第60階層のセーフエリアへと滑り込んだ。
「時間通りね ……一分一秒の狂いもないわ」
砂煙を上げて停止した俺を見て、カグヤが笑みを浮かべて立ち上がった。
俺はバッグから桐箱を取り出し、蓋を開ける。瞬間、閉じ込められていた店主の魂――朝獲り苺の爽やかな酸味と、炊き立てのあんこの甘い香りが、極層のよどんだ空気を一気に塗り替えた。
「これ……本当に『瑞月』の……! 配送不可、賞味期限1時間……幻のイチゴ大福……!」
驚愕するパーティメンバーたちに、カグヤが誇らしげに胸を張る。
「当然です。この大福は、レンさんが苺を運び、親方が包み、またレンさんが運ぶ……彼ら二人にしか作れない、世界で一番贅沢な一品なんですよ?」
俺は魔法瓶から、香ばしいほうじ茶を全員に注いで回る。大福を一口頬張った重戦士の男が、その場で膝をついた。
「なんだこれ……! かじった瞬間、果汁が口から溢れて止まらねぇぞ! あんこの上品な甘さとイチゴの強烈な旨味が、疲れ切った脳に直接染みる……っ!」
口端からボタボタと溢れ出す甘い果汁を、男は慌てて手甲の背で拭いながら、感無量といった表情で大福を貪り喰う。
カグヤは、仲間たちの顔に生気が戻っていくのを見て安堵の息を漏らすと、俺の隣にもじもじしながら座った。
「……これ」
彼女は、すっとイチゴ大福を差し出してきた。
「あなたの分も注文しておいたの。食べるでしょ?」
「えっ、俺の分まで……?」
「べ、別にいらないなら私が食べちゃいますけど……。あなたも疲れてるでしょ? 疲れた体に甘い物は最高よ? いいから、食べなさい!」
ぷいっとそっぽを向いた、氷姫カグヤ。悪戯っぽく、けれど可愛げのある瞳で俺をちらちら見てくる。
「ありがとうカグヤさん。ありがたく頂戴します」
極層の冷気の中、二人で並んで大福を頬張り、温かい茶を啜る。苺の力強い躍動感。それを共に味わうこの時間は、俺にとっても何物にも代えがたい「報酬」だった。
「……美味しいでしょ?」
「はい。以前食べた時よりも美味しく感じますよ、カグヤさん」
「……あのさ、レンさん。私もあなたの事はレンって呼ぶから、私のことも『カグヤ』って呼び捨てにしなさいよ」
またぷいっとするカグヤだが、その耳は真っ赤に染まっている。本当に、見ていて飽きない可愛らしい女性だ。
俺が返事をしようとした、その時だった。
至福の時間を、スマホの不快な震えがぶち壊した。画面に表示されたのは、元パーティリーダー・ガイルからの、身勝手を煮詰めたようなボイスメッセージだった。
『おいレン。お前、俺たちに無断で商売を始めてるらしいな。規約を読み直せ。パーティ在籍時および、脱退から一年以内の収益は、すべて「育成費用」の返済としてメインパーティに帰属する。
お前が今稼いでいる金も、使っている機材も、すべて俺たちの所有物だ。今すぐ売上の全額を振り込め。さもなきゃ、お前を「横領罪」でギルドに突き出す』
「…………」
呆れて、言葉も出なかった。無能だと罵り、一方的に退職金一万円でクビにしたくせに、俺が独立して稼ぎ始めたと知るやいなや、適当な理屈をつけて「お前の稼ぎは俺のもの」と言い出したわけだ。
その強欲さに、俺は怒りを通り越して乾いた笑いが出た。
俺の隣でボイスメッセージを聞いていたカグヤの周囲の空気が、パキパキと音を立てて凍りついていく。
彼女が握っていたカップの茶が一瞬で芯まで凍りつき、冷気が霧となって彼女の足元を白く染めた。日本最強の探索者が放つ、無意識の殺意だ。
「……このゴミの処理、私がしましょうか? 転移石を使えば、今すぐ地上に戻ってあいつらを氷の石像にして差し上げますよ?」
彼女の瞳は本気だった。
だが、俺は落ち着いて予備のバッグから新しいカップを取り出した。魔法瓶からまだ湯気の立つ温かいほうじ茶を注ぎ、彼女の凍りついた手元へと差し出す。
「こほん……カ、カグヤ、体冷やしちゃいますよ。……そんな奴らのために、せっかくの美味しいお茶の時間を台無しにしないでください。
それに折角手に入れた転移石をこんな事で使うなんて勿体ないです。」
その瞬間、カグヤの表情が、陽だまりに触れた氷のようにふわりと溶解した。彼女は驚いたように目を見開いた後、受け取ったカップの温もりに目を細める。
「ふふっ、カグヤですって……」
小さく笑い声を漏らすと、彼女は上目遣いで俺を見た。
「ありがとう、れれれ……レン……っ」
「レレレのレンですか」
俺がツッコむと、カグヤの顔は尋常じゃないくらい真っ赤に染まった。
俺はデリバリー・ランサーに跨り、一気にペダルを垂直に立てる。
「あんなクズの相手は、俺だけで十分です。カグヤ、お茶会の続きは、また後で」
「あっ、レン! 一人で行くのは、危な……!」
カグヤの制止を振り切り、俺はセーフエリアの端、地上まで直通しているという大縦穴へと自転車を向けた。迷宮の全階層を貫くその巨大な空洞は、本来なら誰も立ち入らない奈落だが、俺にとっては直線の高速道路扱いだ。
「まったく! 常識が通じないんだから! フフッ」
カグヤの呆れたような、でも楽しそうな笑い声を背に、俺は断崖の縁を全速力で蹴り、そのまま垂直の壁面へと真横に突っ込んだ。
『絶対配送!』
車輪が壁に触れた瞬間、磁石に吸い寄せられるように機体が固定される。重力という概念を書き換え、垂直の壁を平坦な直線として認識した俺は、ペダルを踏み込んだ。
重力に抗い、地表へと続く数千メートルの壁を、一本の青い閃光となって一気に駆け上がり始める。
「待ってろよ、ガイル……。きっちり『特別料金』をふんだくってやる!!」
俺は迷宮の闇を切り裂き、最短ルートで地上への『配達』に向かった。




