金属バット
ご主人様の笑顔が増えた。
いつも家の中では不機嫌で、嫌味を言うとき以外は無視して、たまによく分からない命令をして聞き返したら馬鹿にしてくる父親。
誰も家にいない時には勝手に部屋に押し入って、気の済むまで関係ない愚痴をぶつけたり、近所の子供と比べてヒステリックに喚いて泣く母親。
この二人が急にご主人様に優しくなって、少しおかしくなりはじめていたご主人様も元気を取り戻してきた。
その原因がボク……だったら嬉しいな。
少年野球の試合、打席に立つご主人様に、ボクは少しだけ手を貸すようになった。
どんな速球も変化球も、ご主人様の体を少しコントロールして自分の体で弾き返し、ヒットやホームランにしていく。最初はちょっとした出来心だったが、今はもう未来の天才バッターとしてテレビが取材に来るほどだ。
通信でつながっている他のモノノケは、みんな今すぐ止めろと忠告してくる。
ボクだってよくないことだと思ってる。でも、ご主人様の笑顔を思うと、もう今さら止められないんだ。
そして今日、父親の転勤で都会に引っ越すことになっている。
ご主人様の部屋のものも乱暴にダンボールに詰め込まれてトラックに運び込まれている。
もちろんボクもだ。
ご主人様は別の移動手段で先に新居に向かっているらしい。
最近はご主人様のベッドで添い寝までしていたくらいだから、こんなに離れるのは久しぶりだ。
少し寂しくなって、最近疎遠になっていた知り合いに通信で声をかけようとして……なぜかうまくいかなかった。
モノノケは眠らない。なのに急に意識がぼんやりと、眠気のようなものが突然……
「チェックポイントに停車。ジャマー発動確認。モノノケ反応低減確認。数値すべて想定内。問題ないっすか、先輩」
「OKだ。次の作業に進む。……あと先輩じゃない」
「じゃあなんて呼べばいいすか」
「……なんだろうな。監督? 指示役? 上司? まぁともかく先輩はやめろ。バイト中はこちらの指示に従ってもらう意味でもだ」
「はーい、わかりましたよ、おっさん」
「……まぁこの際それでもいいが。しかし意外だったな」
「なにがすか?」
「バイトは毎回信頼できる教授に斡旋してもらってるが、最近は麻雀とパチンコと就活にしか興味ない、下手すりゃ学部生のがマシな詐欺修士が回されるのも多くてな。ちゃんと優秀なのが来るのは久しぶりだよ」
「同期にもいますけど、そういうヤツのが社会に出れば稼ぐんすよね。オレは博士からアカデミア志望っすけど、冷静に考えればなんでそんな茨の道を選んだんだか」
「オレの時代も大概だったが、今も相当酷いらしいな。助教も研究員のポストも少ない。公募があっても女子限定採用が半分以上だとか」
「やってらんないすよ。おまけに研究費を取るための書類ばっかり書いてて、実験もできなきゃ論文読む時間もない」
「……仕事に戻ろう。概要を確認しておく。読み上げてくれ」
「了解っす。施設のレーダーが数カ月前から断続的にモノノケの活動を示す時空の乱れを確認。調査の結果、9歳男児が愛用する金属バットがモノノケ化している可能性が大。リトルリーグの試合の際にモノノケによるサポートで男児のバッティング成績が向上されている模様」
「そこで今回の捕獲計画が押っ取り刀で計画されたと」
「そうっすね。父親の会社に手を回して昇進と引き換えに都内に移住させて、引っ越しの際の事故として不活性化させたモノノケを回収、他のものと一緒に燃えて処分したというカバーっすね。……問題にならないんすか?」
「引越し会社にも保険会社にも根回しはできているし、なんなら男児の父親も昇進の条件としてここで子供の荷物が燃えるのを了承してる。家族には秘密にしてるらしいが」
「コワ……」
「まぁ昇進のあと数ヶ月で使えない判定でまた僻地に飛ばされるんだが、そこまでは知らないだろうな。そこでパラハワ起こして処分、一家離散ってとこか」
「そいつ、おかしいと思わなかったんすか? そんな条件の昇進とか、どう考えても自分が評価されたわけじゃないって分かるでしょうに」
「覚えとけ。追い詰められると、本当に目の前の藁に全体重で飛び移るんだよ、人間っていうのは」
「……経験談すか?」
「氷河期だからな。おかげでこんな履歴書にも書けない研究を20年以上やってる」
「……オレ、あわよくば、おっさんの勤めてるとこにインターン行けないかとか考えてたんすけど」
「止めとけとは言わんが、よく考えるんだな。履歴書にも書けない組織で数年働いた後に、表の世界の大学ポストや企業の研究室に戻れるかどうか」
「うへぇ……」
「夢がある世界ではあるぞ。例えばモノノケは同族間でなにやら信号を送り合っているのは間違いないんだが、使われているのは電磁波じゃない」
「……は? 電磁波じゃないってことは、光通信とかラジオ波とか、そういうものでもないと?」
「まったく未知の方法で通信を行っている可能性が高い。受信装置もなかなかまともに動作するものができてない」
「はぁ……」
「これが実用化されたらどうなるか考えてみろ。平文のくせに絶対に解読できない、なんなら情報が送られたとも傍受できない。戦争ならスターリンク並みに戦況を動かすぞ」
「…………」
「そもそも、特定の無機物に自我と忠誠心を植え付けられるなら、命令した場所が確実に爆発する爆弾とか、ドローンに一切の操縦者がいらなくなったり……フィジカルAIのたぐいが全部用無しになる」
「……なんか実用例が偏ってませんか。うちの国はそういう研究は禁止でしょうに」
「大学の自主判断ではな。裏ではそういうルートからカネが入って、成果を求められてる。やる気になったら上に口を聞いてやるが」
「すんません。遠慮しときます」
「それがいいだろうな。でも、そこまで引くほど夢物語に聞こえたか?」
「いや、おっさんの顔ですよ」
「顔?」
「さっきの追い詰められてって話、おっさんがそういう話に飛びついた顛末でしょ? おっさんはそもそもなにがしたかったんですか。今のこの仕事、正直かなりムリしてません?」
「……オレは、自然科学がやりたかったんだよ。分からないことに過去の知識と現代の閃きで挑む感覚が好きだったんだ」
「……」
「この金属バッドもそうだが、捕まえたモノノケは完全にぶっ壊れるまで研究する。持ち主と離れているうちにエネルギーが減ってくようでな。みんな人間に化けて嘘をついたり死んだふりしたりと実験をごまかそうとするんだが、全員必ず最期にはご主人様に会いたい、一目でいいから会いたいって泣きながら壊れてくんだ」
「…………」
「モノノケが生まれるには、才能のある持ち主の愛情となんらかのエネルギー、あと運が必要らしい。オレの持ち物がモノノケになるとは思えないが、それでも2ヶ月に一度は所持品をすべて捨ててるし転居もしてる。なんでかわかるか」
「まぁ、なんとなく」
「もしオレをご主人様なんて慕うモノノケが生まれちまったら……オレはそいつを壊れるまで拷問するのか? オレはもう壊れてるんだよ。散々壊してきた報いだ」
「あんたこそ、仕事辞めてこっちに戻ってきませんか。まだ間に合うかも」
「間に合わんよ。都内のでかい会社に裏から圧力かけられるような組織、抜けたやつが無事でいられるはずないだろ」
「なんで日本にそんな組織があって、モノノケなんて化物にこだわってんです」
「オレの先輩から聞いた話だが、明治の頃のでかい家にモノノケの主人がいたそうだ。そして、自分を慕うモノノケを失って、どんな手段を使ってもいいからもう一度会いたいと……そんな暴走の上にいろんな不条理が積み上がったのが今の組織さ」
「…………」
「今回の金属バットの持ち主の男児、モノノケの出力次第ではうちの研究室に社会科見学に来てもらうことになるかもしれんな。まぁ崩壊が確定してる家庭だから、どっちが幸せかはなんとも言えん」
「ちょっとあんた、さすがにそれは……」
「真に受けるなよ。文系の役人どもから研究費ぶんどるには、こういう分かり易いストーリーがウケるってことだ。いい加減本当に仕事の続きをするぞ」
「わかりましたよ……ん、金属バット、ないですね。逃げられたか?」
「そういうその場凌ぎの嘘が通じるとは思わないほうがいいし、それだけ情に流されやすいならこの仕事は向いてない。バイオ系にも手を出さんほうが無難かもな。さっさと渡せ。ほら、今日の報酬だ。さっさと使い切って今日のことはさっぱり忘れろ」
「……うっす」




